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第11話 白木の鳥居



 鶴亀商店街を見下ろす高台にある玉輿神社。


 大鳥居をくぐり、参道となっている鶴亀商店街を抜ければ、名物となっている七百段超えの長い石段がある。


 本殿までのルートは、傾斜のある石段を登りきるか、裏手にある脇道を車で行くか。この二つなのだが、昨夜「必ず石段を登っておいで」と禮子に言われている。


 これには禮子流の理由があって、神域で祓い清めるためには、まずは苦ある選択をして「それでも拝みに参りました」と、神々に信仰心をアピールしなければならない、というもの。


 そうして今、苦ある選択をした石段の前。朱色の大鳥居【一の鳥居】のもとには、軽装の伊勢崎と寿々。そしてなぜか、叶絵と七福までいる。こちらも動きやすいトレーニングウエア姿だ。


「同級生が同級生の霊に憑かれて、しかも呪いまでかけられちゃって、そんなのほうっとけないじゃない」と叶絵。


「俺と加藤新八の推薦で昨日の夜、護彌は『等々力会』に入ったから、仲間はほうっておけない」という七福。伊勢崎のことも、今朝から「護彌もりや」と名前呼びになっている。


 なんでも『等々力会』の若手幹事である高原北高の後輩・加藤は、昨夜、七福から連絡を受け、急遽「伊勢崎いいいぃぃぃ」と自転車をかっ飛ばして銭湯までやってきたそうだ。


 忘れられなかった喧嘩仲間と数年ぶりの再会を果たした直後。伊勢崎の身に起きた苦労話を聞き「護彌やああぁぁぁ」と号泣したという。ちなみに加藤新八は、現役の競輪選手だそうだ。


 その話を聞いて、寿々は思った。


 やっぱり伊勢崎くんは、男に好かれる傾向が強いんじゃないかな。しかも熱烈に……思っただけで、もちろん口にはしていないが。


 いまも鳥居の前で、七福に髪の毛をグワシッ、グワシッと撫でられ可愛がられ、


「心配するなよ。護彌には、俺や新八、等々力会の仲間がついているっ!」


「痛い、痛い。握力オバケ」


 ずっと、じゃれ合っている。久しぶりにみる男子特有の暑苦しさだ。


 ひとつ気がかりなのは、シャッターを閉めたまま出てきた『ほうらい屋』のこと。叶絵に訊いた。


「お店はいいの?」


「お母さんが戻ってきたら開けるから大丈夫」


 温泉ランドからいつ帰ってくるかわからない母・照子を、叶絵はあてにしているようだ。たぶん、開店時間は大幅に遅れるだろうけれど、すでに叶絵も七福も、禮子から「来てもいいよ」と許可をもらっていると言い、そうなると寿々に反対する理由はない。


「それじゃあ、みんなで行こうか」


 朝八時。


 玉輿神社の最奥にある奥宮に向かって、四人は出発した。


 本殿までの石段は幅が広く、ほぼ真っすぐだ。朝参りの参拝者がいるものの、まだまだ閑散としていて石段の先がよく見通せる。


 石段の両脇には、樹齢三百年以上のくすのきの大木が間隔をあけて配植されていて、見事な枝ぶりが、景観をぐっと引き立てている。


 夏場には、この枝葉が日陰を作り、参拝者を日差しから守ってくれるのだ。そんな感じに、周囲の景色を楽しめるのも前半だけ。


 四百段を超えた場所にある休憩所で一息つくと、ここからさらに傾斜がきつくなる。日ごろの運動不足がたたった寿々と叶絵は、一気にペースダウンした。


「がんばれ、カナちゃん! 神様がみているよ!」


 少し後ろから、体力無尽蔵な七福が、叶絵を鼓舞している声がきこえるけれど、振り返る余裕はない。


 寿々もまた、ハア、ハアしながら重くなっていく両腿を上げるのに必死だった。


 並んで登る伊勢崎に「手を引きましょうか?」と言われたけれど、ブンブンと首を振る。


「伊勢崎くん、ハアハア……放任主義な蓬莱谷家にも、唯一守らないといけないことがあってね……ハアハア」


「唯一? それはなんですか?」


 一旦止まって水を飲んだ寿々が、まだまだ遠くに見える境内への入口である【二の鳥居】を睨んだ。


「参拝には、自力でいくべし」


 初詣、願掛けの百詣、御礼詣り。これらはすべて一歩、一歩、自分の足で神様の元に出向いてこそ、御利益があるというもの。これは禮子流に通じるものがある。


「寿々先輩、それなら、もっとゆっくりでいいですよ。休み、休み、登って行きましょう」


「ダメよ。そんなことしていたら……ハァ、ハァ……約束の時間に遅れてしまうかもしれない。叶絵と七福さんはともかく、伊勢崎くんとわたしは、絶対に行かないと……ハァ……にしてもよ。ちょっと、わたし、体力落ちすぎじゃない?」


 正直なところ、本殿までがここまでキツくなるとは思わなかった。


「去年も、今年も、初詣はここまで息は切れなかった……ハァ」


 それなのに。一年もたたないうちに、どうしてここまでキツく感じるのか。


 伊勢崎が苦笑いを浮かべた。


「たぶんそれは、営業企画室になって、外回りからデスクワーク主体になったからじゃないですか? だから、どうしても筋力が落ちて、そのかわりに……」


「伊勢崎くん、それ以上言ったら、今からキミを狂犬崎きょうけんざきくん、って呼ぶからね」


「ごめんなさい。あっ、でも俺は痩せすぎよりも、ほどよく丸みがあって柔らかさのある方が好――」


「黙って」


「……はい」


 キッと睨んだ寿々は、伊勢崎いわく筋力のかわりに付いたものを消費するべく、険しい顔で登りつづけ、なんとかたどり着いた【二の鳥居】。遅れること三分ほどで、叶絵と七福も到着した。


 四人で鳥居をくぐり、手水舎ちょうずしゃで順番に、手と口を洗う。それから橋を渡って、おなじく朱色の巨大な【三の鳥居】をくぐって、いよいよ境内へ。


 本殿で参拝した四人は、ここから関係者以外〖立ち入り禁止〗の社務所の裏道を使い、本殿の真裏へといく。


 そこにはまた鳥居が。これまでの鳥居とちがうのは、その色と大きさだ。


 色鮮やかな朱色から、自然に溶け込むような白木の鳥居。


 大きさは一気にサイズダウンして、地上高は二メートルほど。横幅も狭くなり、大人ふたりが並んで通れるか、通れないかの大きさになる。


 色も大きさも見栄えはしない。けれども、その佇まいは、玉輿神社に数ある鳥居のなかでも別格だった。


 この神秘的な鳥居を前にすると、寿々はいつも思う。


 この鳥居をくぐったら、神話の世界にタイムスリップしそう。


 実際、白木の鳥居越しに見る景色は、日々の手入れが行き届いた美しい本殿や整備された境内の雰囲気とは、まったく異なっている。


 玉輿神社の本殿裏に広がるのは、深い森。


 自然の傾斜がつづく山道に沿うように苔むした石段があり、周囲は鬱蒼とした原始の森を思わせる。そして、異様なほどの静寂。


 ここを訪れる者は、だれに教わらずとも、この先にもっとも神様に近い神域があるということを肌で感じる。


 神話の時代。


 天地開闢てんちかいびゃくがなされ、高天原たかあまはら神世七代かみよななよの神々が誕生した。


 国之常立くにのとこたちの誕生からはじまって、最後に生まれたのが、伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミの二神。


 高天原たかあまはらの神々に命じられた伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミが生みだしたのが、今の日本列島である――などなど。


 神々のお話は、口頭伝達を経て、日本最古の歴史書『古事記』、『日本書紀』に取りまとめられた。


 それまで口承で伝えられていた国造りが、文字となり編纂されたときの日本とは、この白木の鳥居の奥に広がる景色ばかりだったのかもしれない。


 およそ1300年前の日本に想いを馳せながら、深い森に引き寄せられるように寿々は、白木の鳥居をくぐった。


 草木の匂いが、一気に深まった。


 澄んだ森の空気を吸いこむと、なぜか身体がフワリと軽くなったような気がする。呼吸も楽になり、蛇行する細い山道も軽い足取りですすむことができた。


 寿々を先頭に、伊勢崎、叶絵、最後尾に七福とつづく。この森に入ってからというもの、不思議とだれも口を開かない。


 神様の耳障りにならないように、静寂を乱さないように、足音さえも控えめに森の最奥にある『奥宮』をめざした。





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