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第13話 陰陽師 




 開放的な神楽の舞台に立つ男を目にしたとき。


 伊勢崎の胸はざわめきだった。


 金髪の長身、遠目からでもアイツだ――と、ひと目でわかった。もとより、あれほどの美形は男でも女でも、一度見たら忘れない。


 普通の男ではないと思っていたけれど……


 さきほどから神楽殿の方を凝視する伊勢崎に、「気になるかい」と禮子が声をかけてきた。


 睨むように向けた視線を男から外すことなく、伊勢崎は頷いた。


「教えてもらえるなら、あそこに立つ男が、どこのダレで、寿々先輩とどういう関係なのか知りたいです」


 神楽殿に向かう寿々のうしろ姿を横目にしながら、禮子は応えた。


「袴姿の男は、高原山にある北御大社の三男で、北御門左近之丞という。まあ、問題の多い男でね。わたしたち神職の間でも異端児扱いされている陰陽師なんだけど、それらしい仕事はあまりやらない男でね。まあ、仕事熱心とはいえないね」


「陰陽師?」


「聞いたことぐらいはあるだろう。悪霊や魑魅魍魎を祓い、祈祷をしたり吉凶を占ったりする呪術者だよ。まあ、わたしも似たようなもんだけどね」


 伊勢崎は、男の正体に少なからず驚いた。


 陰陽師――もちろん聞いたことはあるけれど、平安時代ならいざ知らず、まさか現代に実在するとは思っていなかった。


「当代の陰陽師のなかじゃ、霊力の高さは一、二を争う逸材なんだけどねえ。いかんせん、扱いづらい男だから神社仏閣界隈でも手を焼いているのさ。口も悪いし、目上の者を敬うってことを知らないから、陰陽頭おんようのかみを怒らせて、万年人手不足の陰陽寮を追い出された最初の男だよ。そういうわけでね、あの男を担ぎ出せるのは、寿々ちゃんくらいしかいないのさ」


「どうして寿々先輩が?」


「元見合い相手だからね」


「も、もと、見合い相手?! 寿々先輩が見合いをしたんですか? そんな男と?!」


「少し前にね。まあ、わたしが半ば強引に見合いをさせたんだけど、初対面であの男がヤラかして、大失敗に終わったよ。まったくもう、あの男ときたら……しょうもない」


 それを聞いて、伊勢崎の全身から力が抜けていく。


 高原駅で寿々と男を見かけた夜。ふたりの関係をあれこれ推し量ってみたけれど、さすがに見合い相手だとは思わなかった。


 もし、その見合いが上手くいっていたらと思うと――大きな息を吐いたところで、禮子が可笑しそうに笑う。


「安心でもしたかい?」


「いえ、安心するほど俺に脈があるわけではないので。それにしても、そこまで俺に話してもいいんですか?」


 それにも禮子は笑った。


「見境なく話しているわけではないよ。結婚相談所なんかをしているとね。それなりに人をみる目というのは養われるものさ。わたしの場合、霊視もできるからね。伊勢崎さんが、どういう人なのかはもちろん視させてもらっているよ。また、ずいぶんと寿々ちゃんのことが好きなんだね」


 直後、ポンッと音がしそうなほど、伊勢崎の顔が真っ赤になる。


「いや……その、ええと、隠しても無駄ですよね……はい、そうです」


「寿々ちゃんには、いまいち伝わっていないようだけどねえ」


「おっしゃるとおりで。悠長なことをしている場合ではないと、わかってはいるんですけど、寿々先輩を前にすると嫌われたくない思いが先行してしまって、お利口さんな後輩から抜けきれなくなってしまうんです」


「器用そうに見えて、不器用だよねえ」


 そう言いながら禮子は「お清めだよ」と、神酒をひと口、伊勢崎に含ませる。


 コクリと喉を鳴らして飲んだとき、伊勢崎の纏う空気が変わった。


 ――おや? と思った禮子が、いまだ神楽殿に顔を向けたままの伊勢崎の視線を追えば、左近之丞の手を取る寿々がいた。


 呪いをかけられているせいで、ただでさえ暗く濁った伊勢崎のオーラに負の感情がのせられると、それはまた厄介なことになる。


 仕方ないね。


 伊勢崎の左右の肩に、ひとつまみずつ清めの塩を振った禮子が、最後に玉輿神社特製のザラザラとした粗塩を、ゴリゴリと額に押し付けた。


「――ッ! 痛て、イテ……」


 突如襲ってきた痛覚に、逃げようとして頭を後退させようとするが、どういうわけかピクリとも動かない。


 高原駅で寿々に『さようなら』と言われたときのような、金縛りに近い拘束を受けた伊勢崎は、禮子からの粗塩攻撃を受けつづけるしかなかった。


「こんなときに、妙な嫉妬はやめときな。寿々ちゃんが、だれのために、あの男に頼んだと思っているんだい」


 ゴリゴリ。ズリズリ。


「痛っ! イタ、イタ……はい」


「わたしは寿々ちゃんが可愛いからね。あの子が幸せになれるならいいと思っている……にしても、あの子はねえ。幸運気質なくせに、男運だけはどうもダメなんだよ。心配だよ。まったく」


 額を真っ赤にした伊勢崎に、シレッとした顔で禮子は教えてやった。


「だたまあ、ひとつ言えることは、わたしの店に男を連れてきたのは、伊勢崎さんがはじめてだったよ。しかも、夜遅くに躊躇ためらいなく電話してくるほど、心配だったんだろうね。それに、昨日は『ほうらい屋』に泊まったんだろう。もう家族公認みたいなもんだねえ。伊勢崎さんの方が、よほどうまく寿々ちゃんの懐に潜り込んでいるよ」


 それを訊いた伊勢崎からは、かげったもやが消え、かわりに頭からほんのり桜色をした綿毛のようなものが、ふわりふわりと空にむかって飛んでいく。


「俺がはじめて、ですか……そうですよね。いつも心配してくれて、それに家族公認かあ。俺が作った朝ごはん、美味しいって言ってくれたし……料理ができる男が好きって言っていたし……ああ、毎日つくりたい」


 その様子に、霊力の拘束を解いてやりながら、禮子は大きなため息を吐いた。


 一気に浮かれたねえ。


 男というものは、つくづく単純な生きものだと思う。老いも若いも、目の前にいる伊勢崎も、今朝、しかめっ面で奥宮に現れた北御門の三男坊も。


 禮子が神楽殿に視線をやると、寿々に何を言われたのか、くだんの三男坊はポワワァァとなっていて、あっちはあっちで金髪の頭から、特大の綿菓子みたいなピンク色の塊を、空に向かってポンポン飛ばしていた。


 飛ばされていく塊は、しだいにハート型へと形をかえていく。


 これから悪霊を相手にしなければならないというのに、大丈夫かね。伊勢崎さんの10倍は浮かれているよ。


 幾分心配になりながら、禮子は見慣れた奥宮の社を見て――それにしても、と思う。


 まさか、北御大社の息子と祓いを行う日が来るとは……ふと、嫌な記憶がよみがえった。


 あれは、禮子がまだ十代のころ。とある悪霊の封印に駆り出され、その時に組んだのが、現在の北御大社の宮司であり、左近之丞の父である北御門慶三郎けいざぶろうだった。とにかく相性が悪かった、という記憶だけが鮮明に残っている。


「脳筋陰陽師とは、二度と祓い仕事をしない」


 そう胸に誓ったのは、かれこれ数十年以上前で、あの脳筋男がアメリカの大学で教壇に立っていると聞いたときは、博識な霊にでも憑かれたかと思った。


 それが半世紀を経て、その息子と祓い仕事をすることになるとは……感慨深くはないが、因縁めいたものを感じる。


 しかし今回に限っていえば、組むというよりは分担という意味合いが強く、与えられた役目を脳筋の息子が、きちんと果たしてくれたらそれでいい。


 その役目とは、寿々によって弾き飛ばされている悪霊〈海原伊央吏〉をおびき出して捕縛。伊勢崎から引きずり出した『呪い』が転移するのを阻止するというもの。


 禮子は悪霊〈海原伊央吏〉が捕縛されている間に、伊勢崎の身体を蝕んでいる『呪い』を解き、呪いをかけた呪詛師に数倍にして叩き返すという、手筈になっている。


 寿々が神楽の舞台から戻ってきた。


 さて、いよいよだ。


 脳内が桃色になっている男は、こちらを見ようともしないが、勝手にはじめさせてもらう。


 寿々と叶絵、七福に「はじめるよ」と声をかけた禮子は、伊勢崎には「じっとしていなよ」と、粗塩をこすりつけた額と腹の上に指を滑らせ、体内に巣くう『呪い』に向けて、自分の霊力をわずかに流しこんだ。


 刺激を受けた『呪い』が反応すれば、伊勢崎に執着している悪霊〈海原伊央吏〉は、『呪い』が発動したと早合点し、それに抵抗するために、伊勢崎の身体に戻ろうとするだろう。


 奥宮の結界が揺らいだ。


 外側から入り込んできた禍々しい荒魂を、森の精霊たちが禮子に知らせる。


「来たよ!」


 神楽殿に向かって、禮子の声が飛んだ。






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