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第16話 雀の涙



 第一段階となる悪霊〈海原伊央吏〉を呼び寄せ、強力な結界が張られた神楽殿に引き上げることができた。


 あとは捕縛して、目くらましとなる隠形術をかける段階となり、


「さてと、こっちも、はじめようかね」


 いよいよ禮子が『呪詛返し』に取り掛かろうとしたのだが、背後にある神楽殿からは、それはもう凄まじい音と唸り声、そして罵声が聞こえてくる。


 いつもの格闘スタイルに入った左近之丞と悪霊〈海原伊央吏〉の取っ組み合いは、フルコンタクトの打撃戦と寝技、絞技の応酬となっていた。


 その激しさに寿々も目が離せない。


 人間って、あんなに高速で動けるものなの? 人間ばなれしている。


 そもそも悪霊と人が戦っている時点で、とんでもないことなのだけど……


 真理愛の除霊でみたときの対 猥山戦とはレベルがちがった。あれはほぼ左近之丞のワンサイドな戦いになっていたし、紙垂しでで作った正方形の結界リングとは広さからしてちがう。


 ひょっとしたらボクシングやプロレスの正規リングよりも広いのではないかと思う神楽殿で、ブチ切れモードの霊能者・左近之丞と打たれ強そうなタフ系・悪霊〈海原伊央吏〉の一戦は、白熱していた。


 この異種格闘技戦に、じつはプロレスやボクシング観戦のデートで仲を深めた格闘技好きの妹夫婦は、「うぉー!」とか「そこだ、いけー!」などの歓声をあげながら大興奮していた。


「なんだよ、あの動き! 関節どうなってんだ! なみのグラップラーじゃないぞ!」


 流れるような動きで悪霊〈海原伊央吏〉を絞め上げていく左近之丞の体術に、七福の目が輝く。


「ああああっ! おしいっ! 人間相手なら、いまので確実に落ちてたぞ!」


 タフな悪霊は、絡みつくような左近之丞の手脚から抜け出し、両者は立ち技に移行した。


 ふたたび、神楽殿リング中央で、一進一退の打撃の攻防となる。


 悪霊〈海原伊央吏〉は、異様に長い手足のリーチを活かして、なかなか懐にいれないように動いているけれど、スピードに勝る左近之丞は、数回のフェイントから袴の裾を翻して跳躍。


 死角から放たれた強烈な蹴りに、叶絵の賞賛が止まらない。


「袴男子の足裁きって、超萌える! しかも、あの緩急がいい! 左右のコンビネーションも最高にイケてる! ああ、いま理解した! ギャップ萌えキャラとしてなら、あの罵詈雑言も全然アリなんだよっ!」 


 アニメ大好きな妹は、アニメキャラクターとして、口の悪い左近之丞を受け入れつつあった。 


「悪役 VS 悪役のヒール戦みたいになっているのがいいよね。まさにルール無用のデスマッチが観戦できるなんて! きてよかった!」


「こんなの地下格闘場でも、絶対に観られない! 俺はもう、左近之助の大ファンになった!」


「左近之助ではなく、左近之丞だから」


 訂正したけれど、夢中になっている夫婦はまったく聞いていない。


「そこだ! いいぞ、サコンノスケ! そのままコーナーに追い込んでラッシュだ!」


「いけっ、いけっ! 負けるな、サコンノスケ!」


「うるさくって、かなわないねえ。これじゃあ、集中できやしない……」


 予想外の声援に、禮子もお手上げのようだった。


 神楽殿リング上では、セコンドばりの七福の声援が聞こえたかのように、神楽殿のコーナーに、左近之丞が悪霊〈海原伊央吏〉を追い込んでいた。


 それでも耐えるタフな悪霊に舌打ちした左近之丞が、ここで何やら早口で発しはじめた。


 神楽殿内は強い結界が張られているせいか、さっきのように柵に足をかけた左近之丞が、結界の外に身を乗り出して吐く罵詈雑言ほどは、明瞭に聞こえてこない。


 けれども――祝詞のりとかな? 寿々はてっきり、禮子が祓いをする前に奏上する祝詞や祭文のようなものを言っているのだろうと耳をすませば、左近之丞から聴こえてきたのは意外なモノだった。


「……色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき!」


 いや、ちょっと待って、これって!


 驚いて禮子を振り返ると、玉輿神社の伝説巫女は「やれやれ」といった表情で教えてくれた。


しきくうに異ならず、くうしきに異ならず、色はすなわちこれ空なり、空は即ちこれ色なり――驚くだろ。北御大社の息子が祝詞でも祭文でもなく、仏様のありがた~いを経典を唱えるなんて」


 般若心経について禮子は、


「正式には――魔訶般若波羅密多心経まかはんにゃはらみったしんぎょう。魔物、妖怪、怪異に対して、強力な呪力を発生させる経典なんだけどね。まあ、このまま見ていな。ますますなんでもアリになってくるから」


 その言葉どおりだった。


 般若心経をかわきりに、左近之丞は仏教の真言――いわゆる、サンスクリット語のマントラにのせて攻撃をはじめた。


「オン・バサラ――ッ・ウン!」


 これまではまったくちがう。


 一撃の蹴りが、悪霊〈海原伊央吏〉に片膝をつかせた。左近之丞が真言を唱えながら繰り出す打撃には、青い閃光となった霊力が宿り、バチバチという音が響く。


 派手な稲妻サンダー系の技に、叶絵は「カッコイイ!」を連呼した。


「うおおお、電撃かよっ! マジで、イカしてんな!」


 七福は、もうすっかりサコンノスケ推しになっていた。


 大幅にあがった左近之丞の攻撃力について禮子は、


「密教系の呪術は攻撃力が高いのと、あの男の霊力との相性がいいんだろうね」


 そう説明した。


 以前「仏教、神道、陰陽道は、切っても切り離せない」と、禮子はいっていたけれど、慈悲深い〖仏の教え〗とは無縁そうな左近之丞が、真言を唱えたからといって使えるものだろうか。


「神職でも密教由来の呪術が使えるの? 左近くんって、煩悩騒ぎのときも、あまりお寺には行きたくなさそうだったけど……」


『恋むすび』で禮子に煩悩を祓えと騒いでいた日。


「神社の息子が、寺でなんか祓えるかっ!」と、言っていたような……


 禮子からは、これまでで一番といっていいほどの深いため息が吐かれた。


「北御門家が、陰陽師家系っていうは知っているだろう。陰陽道っていうのは、もともとが陰陽いんよう五行をベースにして、密教や修験道、神道を折り込んでいるからね。まあ、要するに陰陽師っていったら実践的な呪術屋みたいな側面があって、用途に合わせてアレコレ組み合わせるんだよ」


「なるほど」


「それにしたってねえ。一応、あれでも神職なんだよ。しかも北御大社っていう格式高い神社の出自だっていうのに……信仰心は雀の涙よりない。あの男にとっては仏の教えも似たようなもの。慈悲なんて逆立ちしたって一滴も出てこないだろうね。寺だって、あんなのに般若心経やら真言を唱えてもらいたくないだろうよ」


 ここぞとばかりに、禮子の愚痴はつづく。


「それなのにさあ、いつの間にか、そこいらの密教僧より強くなってしまってねえ。祓いや除霊に使えるなら宗派なんてどうでもいいから、陰陽道の型にもはまろうとしない。本当に扱いにくい男だよ」


 そのあいだにも、神楽殿からは、


「どうした、悪霊! 調子に乗りやがって――その程度か! ほら、がんばれよ。オン・――・ソワカ!」


 高笑いしながら真言を唱えなる左近之丞の声が、途切れ途切れに聞こえてきた。






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