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第22話 おやすみ



 ブーン、ブーン……ブーン、ブーン


 耳障りな音がして、止んで、またブーンと鳴ったかと思ったら――ゴトンッ。


 床から大きな音がした。


「……ん、なんだ?」


 ここで寿々は、自分がソファーで眠りこけていたことに気づいて身体を起こす。瞬きすること数回。床からはまだ、ブーン、ブーンと聴こえてくる。


 数秒後、ようやく目が覚めてきて、さっきの物音は、かたわらに置いていた携帯電話が、自分の寝返りによってフローリングに落ちた音だと気づいた。


 落下した携帯電話は、まだブーンと鳴っていたけれど、寿々が拾い上げる前に着信は途絶えた。


 携帯電話の時刻は【13:59】で、ちょっと休憩のつもりが、二時間近く寝ていたらしい。


 その間に不在着信が2件。メッセージが3件。相手はすべて『北御門左近之丞』となっている。


「あー、そうだったよ」


 午後から出かける予定だったことを思い出した寿々は、自分の額を叩いた。


 急いでかけ直すと、『もしもし!』と左近之丞がすぐに出て、電話口からは、時刻を知らせるチャイムも聴こえてきた。

「左近くん、ごめん! 家に戻ってから、うっかり寝てしまって」


 謝る寿々に、左近之丞は気を悪くした様子もなく、


『大丈夫です。今朝は色々と大変でしたから……それで、そのやっぱり今日は……疲れているようなら、また今度にしましょうか?』


 こちらの体調を気遣ってくれているけれど、その声には落胆が滲んでいる。


 こういうところは、まだまだ隠せないようだ。それでも、なんとか明るい声をだそうと、左近之丞はがんばっている。

『僕のことは気にしないでください。今朝、寿々さんに会えて話もできましたし、あのあと玉輿神社から戻って……その、まだ家にいるので』


 そのあきらかな嘘に、ついに寿々は噴き出した。


「嘘つき。いま、高原駅にいるでしょう。場所はセンター広場の2階。そこから、金のニワトリを乗せた時計のオブジェが見えるよね」


『……えっ、どうして? もしかしてどこかに……』


 必死に周囲を見回す左近之丞の様子が手に取るようにわかり、ソファーから立ち上がった寿々は、バルコニーの窓を開けた。


「わたしは今、そこにはいないよ。でも、簡単。金のニワトリが鳴いているから」


 時刻を知らせるニワトリは、高原駅で一時間ごとに「コケ―ッ♪」とメロディにのせて鳴く。時刻はちょうど【14:00】で、個性的なチャイムの鳴音を、寿々は電話口から今も聴いている。左近之丞の嘘はバレバレだった。


 というネタばらしを、名探偵を気取りながら披露して、肌寒い秋風をうけた寿々の目は秋空を見上げた。午後も天気は良い。


 それから20分もするとインターホンが鳴り、扉をあけるとバツの悪そうな左近之丞が立っていた。


「お邪魔します。あの、嘘をついたわけではなくて……」


「いいから、いいから」


 リビングのソファーに座らせて、準備していたコーヒーを淹れる。


 玉輿神社の宿坊で着替えた左近之丞は、そのあと禮子と相談して守護霊となった〈海原伊央吏〉を数珠に封印することにしたそうだ。


「数珠に?」


「はい。封印の術式は僕よりもババア……玉依さんの方が得意なので、たぶん、アイツ……伊勢崎サンの生活に不便がないようにすると思います」


「そうなんだ。なんか予定外のことが多かったね。それじゃあ、ちょっと待っていてね。すぐに用意するから」


「はい。あの、寿々さん」


「なに?」


「本当に疲れていませんか?」


「わたしよりもずっと、左近くんの方が疲れているでしょう?」


「いいえ。まったく!」


 本当かなあ、と思いながらも寿々は、左近之丞をリビングに残して寝室へ。広々としたウォークインクローゼットで着替えはじめる。

 なんといっても今日は、映画のあとに六天道閣別邸『松』を控えている。左近之丞が茶系のスーツだったので、寿々も秋色のワンピースにした。


 シンプルなアクセサリーを選んで、備え付けの鏡台で――頬にチークをのせようとブラシを手にとったとき、鏡の前で浮かれている自分に気づいた。


 無意識だった。


 真理愛と飲みに行くときよりも、あきらかに気合が入ったメイクしている自分に、少々驚く。


 最悪だった見合いの日から、幾度とない謝罪を受け入れ、怨念アートな御朱印作品の送付停止を条件に、『お友だち』からはじめたのはいいけれど、それでもまだ、あれから三か月も経っていない。


 どうにも距離が縮まるのが早すぎる気がした。


 これはやはり、ちょっとおおげさなほど好意を向けてくる左近之丞に、すっかりほだされているからだろう。俗にいう『お姫様扱い』をされて、心を許しはじめている状態。


 とはいえ、寄せられる好意の源が、純粋さとはまた別で、悪霊や魑魅魍魎を弾き飛ばしてしまう自分の特異体質によるところが大きいことも、もちろん寿々は理解している。実際のところ、それがすべてかもしれない。


 ただこれが、20歳かそこらの大学生時分の自分だったなら、「これは愛じゃない」なんて青クサイことをのたまっていたかもしれないけれど。そこはもう27歳。


 世知辛い世の中で社会人経験を積み重ね、失敗が多いとはいえ恋愛もそこそこしてきたので、これがなかったら「愛してもらえない」よりも、これがあるから「愛してもらえる」と考える方が、よっぽどいいという境地に至っている。


 それらを踏まえて、鏡の中にいる自分に問いかける。


 わたしがいま浮かれている最大の理由は、名料亭のなかの名料亭、六天道閣別邸『松』に行けるからなのか。それとも、左近之丞と出かけることが楽しみなのか。 


 絶妙な、せめぎ合いだった。


 寿々はあきらめることにした。


 くだらない問答までして、やっぱり『松』でしょう――と、自分の気持ちを落ち着けようとするくらいには、左近之丞に対してこれまでとはちがう感情が、すでに芽生えはじめているのだ。


『僕は生きている間に、するべきことはすべてします。愛する人のそばにいられる間に、僕のすべてをささげて愛します。たとえ報われなくても――』


 今朝、和装により男前ぶりが三割増し中だった左近之丞から、ド直球な愛を告げられたことを思い出し、寿々の心がざわめく。


 高原駅で待ち合わせしても良かったのに、自宅に呼んだのは……


 突き詰めて考えるには、あまりに時間が足りなかった。リビングでは、左近之丞が待っている。


 追加でお気に入りのピアスをつけて、寿々の準備はできた。


 とりあえず今日は難しい話は無しにして、料理と酒を楽しもう!


 仕事以外の面倒ごとを後回しにしがちな27歳は、「おまたせ……」とリビングに戻って、ソファーの上で丸くなって眠る左近之丞を見つけた。


 コーヒーは飲み終わっているから、カフェイン以上に眠気が勝ったということだ。揺り起こす気には到底なれない。


「昨日の夜は、嫉妬で眠れなかったものねー」


 猫のように背中を丸めた左近之丞にブランケットをかけてやり、金髪を撫でる。


「おつかれさま。おやすみ、左近くん」






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