この光景をみて、捜査員たちは思ったはずだ。
――えっ、あれ、どっち?
逃走中だった通り魔犯を追いかけてきたわけだから、その服装などは目にしているはずだった。
それでも、自然と警戒する視線を向けてしまうのは、タクシーのボンネットで、通り魔犯だろう男を足蹴にする金髪の男。
薄暗闇のなか。灯篭の明かりが、一段高いところにいる金髪男を照らしていた。その手には、鋭利な刃物が握られ、鈍い光を放っている。
「人騒がせな迷惑ヤロウが……なんで、よりによって、今日、ここで!」
ドカッ――と、脇腹あたりに蹴りが入り、腹ばいから仰向けにされた通り魔は、すでに意識がない。
「時と場所をわきまえろっ!」
そんな言葉とともに、さらに蹴りが入りそうになったところで、
「そこまで! そこの人、動かないで! そのまま、両手をあげて!」
捜査員のひとりが声をあげた。
危険人物は意識のない通り魔から、金髪男になっていた。
今度は自分が制止を求められる側になった左近之丞が、ギロッと私服の捜査員や制服警官たちを睨んだ。
その顔がまた、美形であるがゆえに凄みがすごく、刃物を手放し、指示にしたがって手をあげたにもかかわらず、警官たちは警戒を解かずに、構えた警棒を前に突き出している。
騒然となった現場で、
「あの方は、北御大社の御子息で……」
怪我の有無を確認しにきた捜査員に、若女将と支配人が左近之丞の身元について話した。
そこで現場は落ち着くどころか、さらに騒がしくなった。
「えっ、あれが、北御門家の?! いや、それは……本当に間違いありませんか? 脅されていませんか?」
「身の安全は保障しますから、正直にいっても大丈夫ですよ」
すぐには信じようとしない捜査員たち。
しかしタクシーの運転手も、高原駅から乗車したお客様だと説明し、
「タクシーを奪われそうになったところを、助けてくれたんです」
車内から見ていた状況を口にすると、ようやく左近之丞の周りから警官たちが離れていった。
それを見計らって寿々が「左近くん」と近づくと、
「寿々さん、大丈夫でしたか?」
ボンネットから飛び降りて、急に表情が和らいだ金髪男のもとに、現場を取り仕切っている捜査員がやってきた。
左近之丞の名前を確認し、
「ご協力感謝します。お怪我はありませんか?」
とりあえずの質問をしたあとは、お決まりの言葉がつづいた。
「ご足労をかけて申し訳ないのですが、詳しい話をお伺いしたいので、署までご同行いただけますと……」
左近之丞の顔が、ふたたび険しくなったところで、寿々が間に入った。
「あの、わたしも同行していいですか? 左近……北御門さんとは友人で、ここまでタクシーでいっしょに来ました」
「ご同乗者の方ですね。えーと」
「蓬莱谷寿々といいます」
「それじゃあ……」と承諾しかけた捜査員と寿々の間に、今度は左近之丞が割り込んだ。
「寿々さん、別のタクシーを呼んでもらいますから、先に帰っても大丈夫です。警察が捕まえるのが遅いから食事がキャンセルになってしまい、お腹が空いていますよね。それに、暗い場所から刃物を持った男がいきなり飛び出してきて、怖い思いもさせてしまいました。まったく、数だけ多くても捕まえられないなら意味がないな。山で鬼ごっこの練習でもすればいい」
こちらを気遣いつつも、警察への嫌味がすごいが、言われた捜査員も、この手の嫌味には慣れているのか、表情をかえることはなかった。
「それは申し訳ないですね。ご忠告どおり走り込みを増やしますよ。若手の」
とかなんとかいつつ、その目はいっていた。
刃物を持って飛び出してきた通り魔を、ボコボコにしたのはオマエだからな。そのせいで、コイツから聴取できないんだからな。
どちらかというと、オマエの方が危険だからな。一歩間違えたら、過剰防衛で逮捕していたからな。
警察と左近之丞の視線がバチバチするなか、これは付いていった方がいいな、寿々は同行を決めた。
任意の事情聴取だとしても、おそらく警察と相性が悪そうな左近之丞は、一触即発の状態がつづきかねない。それに、帰ったところで気になってしょうがない。
左近之丞の手を、寿々は握った。
「警察署までいっしょに行きたい。あとで、わたしだけ呼ばれても嫌だから。それに、びっくりし過ぎて、いますぐは何も食べられそうにないよ」
「……はい。寿々さんが大丈夫なら、その、いっしょだと僕も嬉しいです」
素直になった左近之丞を見て、捜査員の表情もやわらいだ。
通り魔犯はすでに連行されていて、寿々と左近之丞は駐車場に回されてきた覆面車両で高原中央署に向かうことになった。
若女将と支配人は、客への説明があるため、警察署には後日、出向くことになり、左近之丞と寿々に深々と頭を下げてきた。
「北御門様、本当にありがとうございました。おかげ様で、若女将ともども、怪我をせずに済みました」
本邸から従業員を呼び寄せた若女将は、小さな紙袋を受け取り「こちらを」と、寿々に渡す。
「練り菓子にございます。蓬莱谷様、せっかくお越しいただきましたのに、このようなことになってしまい、誠に申し訳ございません。どうか、日を改めまして、ぜひともお越しくださいませ」
「ありがとうございます」
御礼を言って銀色の紙袋を受け取った寿々は、支配人と若女将が見送るなか、六天道閣をあとにした。