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第5章 スバルに願う

第1話 呼び出し


 さすがに疲れたな。


 高原中央著から戻ったのは、午後9時半。


 シャワーを浴びた寿々は、すぐに冷蔵庫を開けた。


 先々週、グリーンガーデン高原ヒルズの酒屋で、左近之丞に買ってもらった地ビールは最後の1本になっていた。


 缶ビールを補充してから、キッチンでグラスを用意して、ビール瓶の栓を抜く。そのまま瓶でグビグビして、


美味うまーッ!」


 余りはグラスへ。


 ソファーに腰を落ち着けて、ようやく一息つけた。


 それにしても、長い一日だった。


 午前中は、玉輿神社の奥宮で伊勢崎の呪い返しから悪霊調伏。水際で見ていただけなのに、けっこう疲れた。


 それがひと段落した午後は、寿々のうたた寝に次ぐ、左近之丞のうたた寝があって、外に出かけることなく夕方となってしまった。


 すっかりお腹が減って、目覚めた左近之丞と美味しい料理と酒を楽しみに六天道閣へ――向かったまでは良かったのだけど。


 駐車場から別邸に辿りつくことなく、逃亡中の通り魔犯に遭遇するという、幸運体質の寿々にしては、不運な出来事があった。


 それでも、毒舌格闘スタイルの左近之丞がいてくれたので、通り魔犯は秒殺され、捜査員たちが追いついたころには、もうボコボコにされていた。


 だれひとり怪我をすることなく、通り魔犯が捕まったのは、とても良いことだったけれど……


 その後、腹ペコのまま高原中央署で事情聴取を受けることになり、若女将が持たせてくれた練り菓子を、途中でパクリとしなければ、お腹の音がグーグー鳴っていただろう。


 そんなこんなで、左近之丞に送ってもらい、ようやく帰宅。冷えたビールにありつけたのだった。


 フルーティーなクラフトビールで喉が潤されると、次はグラス片手にキッチンに行き、インスタントの焼きそばが出来るまでの間、焼酎の水割をつくった。


 焼きそばでお腹を満たして、焼酎をもう3杯飲んで、そのままソファーで寝落ちしてしまった。


 翌日の日曜日。


 昨夜の疲れがたっぷり残っていた寿々は、一日中家でのんびり過ごし、夜はしっかりと晩酌を楽しんで、ようやく自分のペースを取り戻した。


 そうして、十一月の第四週がはじまった。


 月曜日。午前中に来年度の企画の打ち合わせを終えた寿々は、地域貢献活動費の申請書を作成。


 申請にあたり、玉輿神社の『秋の御縁むすび大祭』が、地元でいかに愛され、高原市の伝統行事であるかを強調する文章と、初詣、秋の大祭を含めた玉輿神社の過去3年分の参拝者数データを添えて、地域貢献活動後に生じる付帯効果についてさらりと触れておいた。


 会社の上層部には、これだけで何が言いたいかは伝わるだろう。


 東京支社のスーパーエース・伊勢崎と連名というのも効果アリだ。


 となりの席の中条百合によれば、「それ、まちがいなく爆速で通るよ」とのこと。


 その理由として、申請書にしても稟議書にしても、伊勢崎の名前があれば、ここ一年ほど差し戻し案件はゼロらしい。


 申請書を1時間もかからずに作成した寿々は、総務課に提出。【大至急】のマーク付きで送信した甲斐があって、夕方には返信がきていたのだが、メールを開いて驚いた。


 関連部署を飛び越えて営業本部長名で『受諾』とあった。そしてなぜか、申請書の余白には括弧書きで(当日、応援要員を数名派遣)とある。 


「ねえ、こんなことってある?」


 寿々に画面を見せられた中条も目を丸くしている。


「わたし、総務、人事と渡り歩いてきたけれど、こんなのはじめてみた。もう、営業部案件になっているから、けっこうな額の地域貢献活動費になると思う。たぶん、イベント費用クラスかな」


「それって、どれくらい?」


「おそらく、数百万単位」


「そんなにっ⁉」


「そうじゃなければ、営業本部長名で決済しないでしょ。仕入れの計上とか細かい内訳も必要になってくるから、わたしも手伝おうか?」


 ここにきて、元総務課で経理担当だった同期の協力は、大変ありがたかった。


「ありがとう。百合、何か飲む?」


「美味しいコーヒーで」


 コーヒーを買いに行くついでに、寿々は伊勢崎に電話をかけた。


このスピード感。これは間違いなく、スーパーエースが手を回しているにちがいない。


 二回目の呼び出し音が鳴り終わる前に、『はい、伊勢崎です』と電話口からは明るい声がした。


「蓬莱谷です。お疲れさま」


『寿々先輩、お疲れさまです』


「なんか、いつもと声がちがう。すごく元気そう」


『それはもう、頭痛、肩こり、腰痛に心労などなど。諸々の痛みから解放されて絶好調ですから。あっ、週末は、大変お世話になりました』


「お役に立てて何よりです。ところで伊勢崎くん、玉輿神社の地域貢献活動費の件だけど」


『あっ、申請、通りましたか?』


 すぐに察した伊勢崎の様子から、


「いったい、どこまで根回ししているのよ。ちなみに、営業本部長名で許可がおりてきますけどー」


 問いただした寿々に『その二つ上です』と伊勢崎。


「それって……常務じゃないの」


『あっ、寿々先輩、知っていましたか。うちの常務と玉輿神社の宮司をしている禮子さんの弟、満平みつひらさんは、中学と高校の同級生らしいですよ』


「えっ、そうなの!? 知らなかった……って、なんで伊勢崎くんが知っているのよ?」


『それはですね……』


 先週の土曜日。


 玉輿神社の奥宮にて守護霊となった〈海原伊央吏〉と共に、敷地内にある宿泊施設〖宿坊・御寿院〗預かりとなっていた伊勢崎は「お世話になっているので」と、忙しい神社のお手伝いをして神官や巫女たちと仲良くなり、宮司である満平とも懇意になったという。


 御茶に誘われ、楽しく会話をするなかで、宮司の満平と自身の会社の常務が、同級生であるということを知りえた伊勢崎。


 このあたりのコミュニケーション能力と情報収集力はさすがだ。


「神社内で、ニッコウ食品うちと取引できそうな物や、神事や祭事で必要になりそうなものは、だいたい把握できました。現状の取引業者も分かりましたから、競合したときのことを見越して、貢献活動後の企画書では、利益試算をした方が良いかもしれませんね。それから、地域貢献活動費がけっこうな額になりそうなので、数字に強い助っ人がいた方がいいかもしれません」


 行動力、頭の回転の速さといい、根回しの良さといい、悪霊や呪いから解放された伊勢崎は、まさに無敵かもしれないと寿々は思った。


「その助っ人だけど、わたしの同期でとなりの席の中条百合様が御手伝いしてくれるそうだよ」


『中条さんが⁉ それ、とても良いです。さすが、寿々先輩のまわりには人材がそろっていますね』


「ありがたいことにね。そういうことで今、わたしは百合様のコーヒーを買い出しに行く途中。パシリ中なんだから」


 アハハと笑う伊勢崎の声が聞こえる。


『なるほど。そこに俺がいたら、はりきってパシリになるんですけどねえ。ああ、やっぱり、本社の営業部にいきたいな』


 それは新井課長が泣いて悲しむだろう――ということは思っても口にせず、元気そうな伊勢崎に、寿々は訊いた。


「ところで、体調の方はどう? 守護霊を数珠に封印したって聞いたんだけど」


『それ、誰に聞きました? あの金髪陰陽師ですか?』


 声色が一気に変わった伊勢崎に、


「え~と、ダレだったかなあ~」


 濁した寿々は、「まあまあ、それで?」と話しの先を促した。


 禮子によって封印の術式を組まれた数珠は今、伊勢崎の左手首にあるそうで、


『この状態だと、伊央吏はかなり深い眠りに入っていて、俺に干渉することはできないし、意思の疎通も図れません。伊央吏が覚醒するのは、数珠を右手に付け替えたときだけで、守護霊としての使役方法も、禮子さんにしっかり教えてもらいましたので、もう大丈夫です』


 よかった。そちらの方は、問題なさそうだ。


『それと、もうひとつ』と、少し硬い声で伊勢崎は教えてくれた。


『呪詛師に依頼して、俺に『呪い』かけさせた秘書課の社員ですけど……』


 今朝、新井課長から、本日付けで『退職願い』が本人より出されたと教えてもらい、それ以上、深く追求することなく、伊勢崎はこの件を終わりにしたという。


「それでいいと思う」


 これまでの伊勢崎の労をねぎらった寿々は、来週末に迫った『秋の御縁むすび大祭』の打ち合わせを近日中にすることを決め、電話を切った。


 そうしてバタバタと目の前にある仕事をこなして、迎えた金曜日。


 明日からは待ちに待った三連休とあって、社内はソワソワしていた。


 本当なら寿々も、真理愛を誘って飲みに行きたいところだが、親友は明日から「たっくんと軽井沢なの~」だそうだ。また「色々と準備があるから~」と、すっかり浮かれていた。


 そこにタイミングよく掛かってきたのは、禮子からの電話だった。


『寿々ちゃん、ちょっとお店まで寄ってくれないかい?』





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