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第2話 請求書



 午後7時になる少し前。『恋むすび』の扉を開けた寿々。


「禮子さん、こんばんは」


「いらっしゃい、寿々ちゃん」


 いつものように穏やかに出迎えられ、禮子が茶菓子を用意してくれている間に、寿々は御茶を淹れて待つ。


「召し上がれ」


 禮子が用意してくれた茶菓子は、寿々の大好きな串だんごとドラ焼き。


 みたらしの甘さを、渋めの緑茶で中和してモグモグ。餡子がたっぷり詰まったドラ焼きを三口ほどで食べ終えた寿々は、改めて先日の感謝を伝えた。


「禮子さん、先週の土曜日は本当にありがとう。伊勢崎くんと電話で話したんだけど、声がすごく明るくなっていて、体調も良さそうだったよ」


 禮子に報告しながら、また茶を飲んだ。


「それは、良かった。元気になったのなら何よりだよ。ところで、寿々ちゃん。今日、店に寄ってもらった理由なんだけどね」


 やわらかな口調も優しげな眼差しも、いつもとおなじだった。


 無警戒だった寿々の前に――


「はい、これ」


 罫線が引かれた白い紙が一枚おかれる。


 その一番上にある数字のゼロを「一、十、百、千、万、十万、ひゃくま……」数えたとき。まだ緑茶が半分ほど入っている茶碗を、寿々は危うく落としそうになった。


 禮子はいたって普通に、合計額の下にズラリとならんだ内訳を読み上げていく。


「奥宮の使用料、お清め代、結界術および各種術式費用、守護霊封印用の数珠、宿坊の宿泊料、玉依姫……わたしのことだよ。その指名料に、あとは玉輿神社の特製粗塩と……こんなもんかね」


 こんなもんかね、じゃないっ!


 一番安いのが、粗塩500グラムで一万円って、それはないって!


 内訳に記載されているそれぞれの高額ぶりに、寿々は驚きを隠せない。


「ちょっ、ちょっ、ちょっとまってよ、禮子さんっ!?」


「なんだい?」


 涼しい顔のまま、禮子は緑茶をゴクリ。


「これでも、かなりオマケしたんだよ。なにせ、寿々ちゃんの頼みだからねえ。通常価格はこれの三割増し」


「さ、三割マシ……」


 ヒエエエェェッ~である。


 先週の金曜日。


『~価格交渉は任せてね。わたし、禮子さんのお気に入りだから』


 伊勢崎を相手に得意気に言っていた自分の首を、うしろから絞めてやりたいくらい、とんでもない金額だ。


 どうしよう。


 価格交渉する以前の金額に「ううぅぅっ」と唸っていると、ここで禮子から「まあ、そうはいってもね」と、救済案が提示された。


「ひとつだけ、この金額を、ゼロにする方法があってね」


「ゼロに? 本当に?」


「本当だよ。この請求金額と相殺する形で、ひとつ……いや、ふたつほど頼まれてくれないかい」


「それは、どんな頼みごとかな?」


 この金額を相殺できる頼みとはいったい……と身構えた寿々だったが、禮子からひとつ目の頼みを聞いて拍子抜けする。


「えっ、そんなことでいいの?」


「いいよ」と禮子。


「ただし、場所が少し離れているからねえ。1泊になるけどいいかい? 山奥だけど温泉付きの良い旅館があってね。そこを用意するよ。もちろん先方もちで、夕食には美味しい酒もつけさせるから、どうだい?」


「1泊でも、2泊でも、もちろんやるよ」


 この請求金額がチャラになり、温泉付きで美味しい酒が飲めるのなら、寿々に断る理由はなかった。


 ただし、問題は交通手段だ。寿々は、車を持っていない。


「禮子さん。ちなみにそれは、どこの山奥なの? 電車かバスで行ける?」


「ああ、それは心配しなくてもいいよ。そもそも、地図にのっていない場所だから、電車もバスも通っていない。明日は、案内役兼送迎役が、寿々ちゃんまで、車で迎えに行くからね。それで、もうひとつのお願いっていうのがねえ……」


 翌朝。午前九時ちょうどに、インターホンが鳴った。


「はーい」と寿々が扉を開けると、


「おはようございます!」


 満面の笑みで登場したのは、案内役兼送迎役の北御門左近之丞。


「荷物はこちらですか?」


 1泊分の荷物が詰まったキャリーケースを、寿々の手から受け取り、


「さあ、行きましょう!」


 ウキウキのご様子。


 本日の左近之丞の装いは、薄手の黒のダウンベストに、同色のVネックセーター。ド定番のインディゴブルーのデニムパンツは、脚の長さをこれでもかと主張している。


 ようするに、本日もカッコいいのだが、いかせん、霊能者や悪霊が相手になると口が悪い。


「ババア……玉依さんが、巻き込んでしまったようで、すみません。あんなガラクタ、僕ひとりで届けても良かったんですが……でも、寿々さんとドライブできるなんて! 残念ながら行き先は【陰陽寮】っていう、クソみたいなヤツラの棲家で、楽しいことなんてひとつもない、クソみたいな場所ですけどね。ああ……まったく。目的地がアソコじゃなかったら、もっと楽しめるのに」


 禮子の頼みごとのふたつ目が、じつはこれ。


 【陰陽寮】行きを渋るだろう左近之丞を、必ず現地まで連れていくこと。


「あの男ときらたら、寿々ちゃんの言うことしか、聞かないからねえ」


 というわけで寿々は、左近之丞のお目付け役である。


 どうして【陰陽寮】に行かなければならないのか。


 このあたりの事情について、寿々はまったく知らなかったのだが、さかのぼること先週の土曜日。長い一日の最後の出来事が【陰陽寮】行きの理由となっている。

ガラクタ──と左近之丞は言っているが『通り魔事件』の犯人が所持していた凶器が、まさかの呪物だったらしく、しかも得体の知れない呪符を所持していたという。


 通常、犯罪現場の証拠品となる毛髪、骨、遺留品の鑑定および検査は、科学警察研究所がする。


 しかし証拠品が、呪物、呪具、蠱物まじものなど、非科学的側面がある場合は、神社仏閣庁の支配下組織である専門機関に、それらの鑑定、検査が依頼されるのだと、禮子は教えてくれた。


「日本にそんな機関があるなんて、はじめて聞いたよ」


「まあ、これは公にできることではないからね。呪物だ、呪具だ、なんてものが犯罪に利用されている――なんて世間に知れたら、おおきな騒ぎになってしまうだろうよ」


「なるほど。たしかにそうだね」


 呪術系の専門機関はいくつかあって、陰陽師や巫女が在籍する【陰陽寮】のほかに、密教僧、修験者などが在籍する機関があり、


「そのすべてが神社仏閣庁の支配下にあって、互いの拠点もそう離れていないんだよ」と禮子。


 警察などから依頼された事案は、偏りがないように神社仏閣庁が振り分けているそうなのだが、


「今回の証拠品については、警察上層部から強いご指名が入ってねえ」


 よりにもよって一番人不足の【陰陽寮】に依頼が回ってきたそうだ。


 というわけで、その証拠品となる呪物と呪符を届ける役目は、実際に通り魔犯と相対した左近之丞が適任となり、それが無事に【陰陽寮】まで届くのを見届ける役目は、寿々が適任となったわけだ。







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