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第4話 トンネルを抜けたら


 ダウンベストの裾を引っ張って、


「ちょっと待って」


 いまにもトンネル内に突っ込んでいきそうな左近之丞を引き留める。


 ピタリと動きを止めた左近之丞の視線が、裾の伸びたダウンベストに落とされ、それから寿々に戻された。


「なんでしょうか、寿々さん」


 引っ張られているのが嬉しいのか。凶悪さは、引き潮のように消えていた。


 ポッと頬を染めた左近之丞は、


「なんでも言ってください。やっぱり、こんな空気の悪いところで1泊するよりも、いまからでも夕陽が美しいサンセットクルーズを予約して――」


 やっぱり海がいいらしい。


 しかしそこは「そうじゃなくて」と首を振って、寿々は訊いた。


「祓わないとダメ? それとも、ここに溜まっている霊がどっかに行けばいいだけの話?」


 大量の悪霊や魑魅魍魎が巣食っていそうなトンネルを抜けるのは、たしかにあまり気持ちのいいものではない。でも、それなら……


 トンネルの入口に立ち、寿々が右腕を伸ばしただけで、暗闇にいる悪霊や魑魅魍魎が、奥へ奥へと逃げているのがわかる。


 狭義において、禮子や左近之丞がおこなう「祓う」と、嫌な気配を文字通り素手で払いのける寿々の「払う」は、意味がちがうのだろうけど。


「このまま車で突っ切ることもできる、っていうことは、要するに祓わなくても、進むことに支障はないんだよね」


「はい、そうです。ただ、トンネルの内部はさすがに邪気が濃いので、寿々さんにも視えてしまうと思うのです。それに奥宮の神域とはちがって、このトンネルは百鬼夜行の通り道みたいなものですからクソ霊……禍々しいヤツらが多くて、息苦しさを感じると思います」


 なるほど。やっぱり、そういうことか。


「わかった。それじゃあ、わたしが視なくてもいいように、息苦しさを感じないように、トンネルの中にいる悪霊たちを弾き飛ばせるだけ弾き飛ばすから、もし残っていたら、それだけお願い」


 そういって寿々は、一歩前に。


 頭上にある注連縄を見上げて、大きく息を吸い込んでから――パンッ、パンッ!


 もう一度、パンッ、パンッ――柏手を4回打った瞬間だった。


 巨大な注連縄が、風もないのに揺れ動いたかと思ったら、寿々の背中からトンネルに向かって、強い風が吹き抜けていった。


 風が吹きぬけたあと。


「あっ、出口だ」


 トンネルの奥にみえたのは、光に照らされた美しい紅葉。


 となりに立っている左近之丞は、嬉々としている。


「すごい、すごい! やっぱり、寿々さんは凄い。トンネルにいたクソ霊どもが、一瞬にして弾き飛んでいった。中位クラスの悪霊もいたと思うんですけど、寿々さんの前では、てんで相手になりませんでしたね。消滅する勢いで吹っ飛んでいきましたよ。見ていて、最高に気分が良かったです」


「全部、飛んでいった?」


「はい。邪気がすべて消し飛んだので、トンネルの奥まで見通せます。この状態で寿々さんが通ったら、後光でしっかり浄化もされますから、しばらくはクソ霊アイツらも寄り付けないでしょう」


 と、話している途中から、左近之丞の顔がどんどん険しくなる。


「これに気づいたら、おっさん連中が縋りついてきそうだな……まあ、もう気づかれたか。しょうがない……寿々さん」


「なに?」


「この前も言いましたけど。僕はまだ、嫉妬を克服できていないので、あまり他の男は見ないでくださいね。身の程知らずのバカがいるかもしれませんが、情け容赦なく断ってください。そうしないと――」


「そうしないと?」


「陰陽寮で血の雨が降りかねません」


 赤茶の瞳が冷えびえと光ったのをみて、とりあえず寿々は「……うん」と頷いた。


 入口と出口から光が射しこみ、明るさと清々しさを取り戻したトンネル。車で走り抜けると、そこには白木の大鳥居があった。


 大鳥居の手前にある砂利が敷かれたスペースに車を停めた左近之丞は、


「ここからは歩きなんです」


 その言葉にやっぱりかぁ、と寿々は落胆した。


 1泊分の荷物はそのままに、トートバックのみを手にして車を降りる。


 大鳥居を見上げた先に見えるのは、三間一戸さんげんいっこ楼門ろうもんだ。


 そこからさらに顎の角度をあげると、勾配のきつい屋根が特徴的な神明造しんめいづくりの社が見えた。


 つまり、ゴールはあそこ。


 現在地から楼門までの間には、百段をゆうに超える階段があって、楼門の先にもまた、一直線に階段がつづいている。


 ただでさえ山奥にあるのに、なんだってまた、さらに高いところに社を作るかな。胸中で愚痴る。


 神様が見ていようがかまわずに、寿々は大いに愚痴った。


 先日の玉輿神社もうでによる筋肉痛が癒えたばかりだというのに……


 玉輿神社に比べて段数は少ないものの、傾斜は確実にキツそうだ。左右の脹脛ふくらはぎと両腿が、見ているだけでピクリとしてくる。


「【陰陽寮】はこの上です」


 いよいよもって、行くしかない。


 あそこに行かなければ、請求書の相殺はできないのだから。


「あの、寿々さん。お荷物をお持ちしましょうか?」


「ありがとう。お願いします」


 遠慮することなく、寿々はトートバックを差し出した。


 大したものは入っていないけれど、少しでも身軽な方がいい。


 白木の大鳥居をくぐり、まずは楼門を目指した。傾斜のキツさに、両足が悲鳴をあげるのは、寿々の予想よりもずっと早かった。


 途中、手を貸そうとしてきた左近之丞に、


「放任主義な蓬莱谷家にも、ゼエ、ゼエ……唯一守らないといけないことがあってね……ゼエ、ゼエェ……神様の元には、ゼエ、ゼエ……一歩、一歩、自力でいくべし」


 ついこの間、伊勢崎に教えたのと同じことを、荒い息づかいで繰り返した。


 頻繁にインターバルを取りつつ、


「まったくもう、そんな高いところに社をつくっちゃって……そんなに下界を見下ろしたいのですかっ!」


 声を大にして追加の文句を言いつつ、なんとか自力で楼門までたどり着いたとき。


 そこには、美女がいた。







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