高額な請求書との相殺で、禮子が「御使い」を頼んだ理由が、ここにきて分かった気がする。
いまの陰陽寮でもっと不足している部分を補い、改善するためには、自分の特異体質が必要だったのだ。
あらゆる残滓、霊障を『払う』ことができる手。悪霊や魑魅魍魎を弾き飛ばしてしまうという『柏手』に、浄化のできる『後光』と、それからもうひとつ。
「ああ、寿々さんが淹れてくれる御茶が、世界で一番美味しい。癒される」
寿々が淹れた御茶を飲む左近之丞に、三役と千夜子からは、羨ましそうな視線が注がれている。
むかしから禮子も、寿々が淹れるお茶が好きだった。
『寿々ちゃんが淹れてくれる御茶は特別なんだよ。霊能者の心を落ち着かせて、穏やかにしてくれる。まあ、そばにいるだけでも、十分癒されるんだけどねえ』
これも『後光』の効果のひとつらしく、呪術によって精神の領域を酷使する多くの霊能者たちにとって、この光が「癒し」となって、霊力もまた回復するのだという。
寿々が
その期待に応えたい。長卓の上にある
「良かったら、皆さんの分もお淹れしましょうか?」
寿々の言葉に三役と千夜子の目が輝いた。舌打ちしたのは、左近之丞だけ。
寿々の淹れた御茶をひとくち飲んだ陰陽頭が、「ほうぅぅ」と声をもらした。
「なんとも……心が落ち着きます。身体の中から、霊力が湧いてくるようです」
「禮子さんも、よくそう言って喜んでくれます。これは、わたしの特異体質のようなものですが、この力がこちらでお役に立つと、禮子さんは言っていました」
「お役に立つどころか……寿々姫様がいらしてくださったおかげで、我々は救われるでしょう。すでに、陰陽寮のいたる所にあった穢れが消え去っております。空気が浄められるとそれだけで霊力が回復するのです」
やはり親戚だからか。禮子と少し似ている陰陽頭は、柔らかな笑みを浮かべた。
和室でこうして茶を飲んでいる姿は、優しそうな
「こうなるまで放っておくのが、バカなんだろ」
ひとたび左近之丞が口を挟むと、憤怒の形相になる。
「黙れ、悪童! 口を開くな、場が穢れる!」
ふたりを見ていると、これまた禮子と左近之丞の言い合いを思い出す。
『強い霊能者同士ほど、そりが合わない』
禮子はそう言っていたけれど、陰陽頭と左近之丞もそれに当てはまりそうだ。もしかしたら、千夜子と左近之丞の関係も、それに近いのかもしれない。
楼門で会った瞬間から、軽快なキャッチボールでもするようにポンポンと慣れ親しんだ感じで言い合っていたので、喧嘩別れでもした元恋人同士なのかな、と思ったけれど、
『――ンブッ! ゴッ、ゴホッ!』
激しく咳き込んだ左近之丞の様子から、霊力の摩擦でそりが合わない方だったか、と考えを改めていると、「寿々姫様」と陰陽助から声がかかる。
「ここからは陰陽頭に代わり、わたくしからお話をさせていただきますね。玉依姫様からは、この【陰陽寮】に蓄積されたあらゆる穢れを、寿々姫様に消し去っていただけるとお伺いしているのですが、お間違いございませんか?」
「はい。禮子さんからは、呪物、神具に限らず、気になったら全部払ってくるように言われています」
「ありがとうございます! 祓い事が主な役割である【陰陽寮】には、邪気や穢れが溜まりやすく、敷地内をみていただいてお分かりかと存じますが、なかなか浄化が間に合っていない状況です」
黒いモヤモヤのことだろう。
中庭を見渡しただけでも、点々とした黒いモヤモヤがいくつもある。
つまるところ、禮子が頼みたかったのは【陰陽寮】の大掃除だ。
『寿々ちゃん、手あたり次第、払ってきてもらっていいかい。難しいことはないよ。いつものように手でパパッとやったり、柏手をうったりして、それだけで十分だからね』
『えっ、そんなことでいいの?』
『いいよ』
伊勢崎の祓いにかかった諸々の諸経費が、たったそれだけで相殺されるのかと、聞いたときは驚いたけれど、実際ここに来てみて「なるほどな」となった寿々である。
正直なところ、お安い御用だ。しかも今夜は、美味しい料理とお酒に、温泉付きのお宿が待っている。
「さっそく、はじめましょうか」
早めに宿に入って、湯上がりの一杯を楽しみたい。
「それでは、寿々姫様に払っていただきたいモノを、こちらの客間にお運びいたします。その間に――」
陰陽助の顔は、左近之丞へと向いた。
「中央より依頼された一件と証拠品を検めさせてもらいましょう。今一度、詳しい話を聞かせてもらいたいので、北御門は陰陽允と別室へ」
「別室? 寿々さんから離れる気はない」
「別室といっても隣室だ。念のため、結界を張っているのが分かるだろう。得体の知れない呪物を、寿々姫様の御前に並べる気か?」
それでも不服そうな左近之丞が異を唱えようとしたところで、
「だったら――」
「これも分かっているだろうが。昨夜、かなり大きな討伐があってね。立ち会える陰陽課の陰陽師がいない。千夜子の霊力が少ないのも気づいているだろう。万が一、証拠品の呪物が暴走したとき、管理課の者では対処できるか怪しいのだ。よって……」
「わかったよ」
腰をあげた左近之丞が外に向けて顎をクイッとさせ、
「ほら、いくよ。はやくして」
陰陽允を急かす。
「人を顎で使うなっ!」
文句を言う陰陽允には見向きもせず、客間の開かれた障子に手をかけて寿々を振り返った。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね。寿々さんがやりたくないことは、何一つしなくてもいいですからね」
金髪の前髪が揺れ、赤茶の瞳が少し心配そうに寿々を見つめてきた。
「うん。また、あとで」
「……やっぱり、寂しいです」
「左近くん。わたしたち、何のためにきたのかしら」
「行きます。さっさと終わらせて、すぐに戻ります」
ちょっと肩を落とした影を障子に映しながら、となりの室へと消えていった左近之丞。
「あの悪童があそこまで聞き分けが良いとは……いやはや、驚かされました」
好々爺に戻った陰陽頭は、驚きに目を瞬かせていたが、
「ところで、寿々姫様、ひとつお尋ねしますが――」
その目がスゥーっと細められた。