障子を開け放った客間には、明るい陽射しが射しこんでくる。
もう間もなく12月だというのに、ポカポカ陽気が気持ち良い。
「ひとつお尋ねしますが――」と目を細めた陰陽頭は、一旦言葉を切り、中庭に顔を向けた。
「本当に、天気が良いです。灰色ではない澄んだ青空を見上げたのは、いつぶりでしょうか」
「そうですね」
相槌をうった陰陽助と千夜子も中庭から見える空に顔を向けたので、つられて寿々も、青空を眺める。
目尻の皺を深くした陰陽頭は、昨日までの空が、黒に近い灰色だったと教えてくれた。
「ここでは、それが普通です。この地には、悪霊や死霊、魑魅魍魎が吸い寄せられてきますから、とにかく邪気が濃い。それを祓い、現世にとどまらせないようにするのが、我々の務めなのですが……」
寿々を除く面々の顔には、疲労の色が濃かった。
「本来であれば、【祓い】と〖浄化〗は、ふたつでひとつです。祓事をしたならば、その穢れを浄めなければなりません。しかしながら、悪しき霊を祓えるほど強い霊力を持つ者は数が少なく、祓った霊魂が残す穢れを浄化できる者は、さらに少ないのです」
この話は、禮子からも聞いていた。
『まったくねえ。祓ったところで残り
陰陽頭が言っているのは、そのことだろう。
「わたしの従姉である玉依姉様のような強い浄化力を持つ巫女がお越しになると、幾分は空に青みが戻り、祓いを生業にする陰陽師たちの霊力も回復が早まるのですが……玉依姉様も高齢になり、この山奥まで来られるのは体力的にもキツイでしょう」
禮子の従弟である陰陽頭は、「見た目はアレなんですけどね」と付け足した。
七十代にして四十代にしか見えない禮子の年齢不詳ぶりは、【陰陽寮】でも有名なようだ。
「わたし、禮子さんを見ていて、霊力の高い人は老けないのかと思っていました」
寿々の言葉に、陰陽頭は声を上げて笑い、陰陽助と千夜子も笑みを浮かべた。
「そんなことはありませんよ。これでも、霊力は人並み以上でしたので、陰陽頭なんてやっていますが、わたしの顔を見てくださいよ。心労が多いせいもありますが、浄化しきれない邪気や残滓が溜まり、人並み以上に老けてしまって……こう見えて、わたしはまだ五十代ですよ。どうみても、お爺さんではないですか」
五十代……
声には出さなかったものの、顔にはすっかり『好々爺だと思っていました』と出してしまった寿々。
しかし、どうみても五十代にはみえない。
髪の毛は乾燥しているのかパサパサで、黒衣から見ている両手は、生気を吸い取られたように浅黒く、血管が太く浮き出た手の甲は、とくに老化が目立った。
「これも、残滓が溜まっている影響ではあるのです」
そういって陰陽頭は、濃い染みが広がっている目尻の下。濃いシミを指さしたのだが、ここで寿々は――あれ? となった。
よくよく見れば、陰陽頭の顔に点々とある濃いシミは、黒いモヤモヤに似ている。
てっきり老化によるシミだと思っていたけれど、もしかして……と寿々は、
「動かないでください。ちょっと失礼しますね」
長卓越しに、陰陽頭の顔に手を伸ばして、「えいっ」と指先でこすり取るようにシミを払った。
「え、えええっ!」
「お、おおおっ!」
驚きの声をあげたのは、陰陽頭の顔を覗き込んでいた千夜子と陰陽助。
「シミが、消えましたぁっ!」
「消しゴムで消したかのように!」
ふたりとも女性なので、顔のシミ、くすみには敏感に反応する。
何が起きているのか理解していないのは陰陽頭だけで、「何、なに?」と顔を動かそうとして、陰陽助に強い口調で「動かない、そのままで!」と怒られた。
その間にも寿々は、グイグイと親指の腹で汚れを落とすように、陰陽頭の顔をこすり、「だいぶ取れたかな」と手を離したときには、七十代にしかみえなかった陰陽頭は肌艶の良い、五十代相応のイケオジになっていた。
絶句する陰陽助と千夜子。
とくに陰陽助は、「んなっ……‼ 若がえったわ。マジか」と口元をピクピクさせていた。
そのまま寿々は、「手も失礼しますよ」と老化の激しい陰陽頭の手をとり、こちらはいつものようにササッと手で払ってみた。
シワシワに乾燥して、血管が浮き出ていた手が、少しずつしっとりとしてきて皮膚に弾力が戻ってきた。
「こ、こ、これはっ!」
ようやく変化を目にすることができた陰陽頭が、腰を引かせ気味に驚いているが、寿々としては物足りなかった。
陰陽頭の手に触れてみて分かったのだが、皮膚の表面の下。真皮から皮下組織にかけて浸透している黒いモヤモヤを感じる。
これを消すには――
甲を上に向けていた陰陽頭の右手の向きを変えて、片手で祈るように縦にした寿々は、自分の両手でパチンッと音が鳴るほど強く、左右から挟み打った。それを二回。
柏手を打つようにして「飛んでけ~ッ!」とやると、黒いモヤモヤが消滅。
左手もつづけて、パンッ、パンッ、と柏手を打つと、もっとも老化を感じさせていた陰陽頭の手は、瑞々しい皮膚に覆われた張りのある美しい手に生まれ変わった。その変化に、陰陽頭もまた絶句。
「……れ、れ、霊力が戻ったぁ!」
千夜子が慌てて持ってきた手鏡で若返った顔も確認して「ヒィッ!」と腰を抜かしかけた。
「信じられません……でも、感じます。身体の中にあった悪いモノが、どこかへ飛んでいった気がして、霊力が……満ちていく」
その後――
「寿々姫様っ! どうか、どうか、なにとぞ!」
「わたくしたちにもっ! 強めの柏手をっ!」
鬼気迫る顔で陰陽助と千夜子にせがまれた寿々は、ふたりの顔面を交互に親指でグリグリこすり、その後、手を挟みこんでの柏手をそれぞれ打った。
その効果が同じく発揮されたことで、三人は確信に至る。
渋いイケオジになった陰陽頭は、「もう、お尋ねするまでもありません」と両手で拳を握った。
「さきほどお訊ねしたかったのは、呪物や神具に限らず、生身である陰陽師の体内に巣食う残滓や邪気の除去が可能かどうか、ということでした。もしや、と思っておりましたが、まさか本当にそうとは……寿々姫様は呪物に触れることで穢れを取り除けるだけに留まらず、体内で、血と霊力が複雑に巡る我々――呪術師の体内に巣くう霊障類を消し去り、霊力を『完全回復』させる能力がおありなのです! これは、極めて稀で、得難い能力にございます! 光の御業にございます!」
興奮気味の陰陽頭が手をついた。
「どうか、なにとぞ! 霊力がつきかけている陰陽師たちをお救いください!」