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第12話 モンスター



 母屋の裏手にあるという宿舎から、続々とやってくる陰陽師たち。


 程度は違うものの、だれもが黒いモヤモヤに身体を侵されていた。


 それぞれの状態を確認しながら寿々は、ひとり、またひとりと、黒いモヤモヤを手で払い、陰陽頭のように皮下組織にまで潜んでいる気配があれば、その部位を両手で挟みうちながら残滓を消し去っていく。


 そうすることで邪気が消え、霊力の回復とともに、肌のハリや潤いを取り戻した陰陽師たちは、一様に若返った。それはもう劇的に。


 平均年齢四十から五十の間かなと思っていた陰陽課は、二十代から三十代の若手陰陽師集団となって、寿々を驚かせた。


 あらかた終わったところで「寿々姫様」と千夜子がやってきた。


 切れ長の目をした千夜子もまた十歳ほど若返っていて、今では二十代前半にしか見えない。


「あとひとり、1班の班長がいるのですが、お願いできますでしょうか」


「はい、大丈夫ですよ」


 手で払って、柏手を打っているだけなので、まだまだ余裕だ。


「おそらく、その者がもっとも残滓に侵されております。優先的に浄め課の巫女から浄化は受けたのですが……今朝もまだ起き上がれないほど悪化しておりまして、ただいま、宿舎から連れて参りますので、今しばらくお待ちください」


 よほど体調が悪いのだろう。


「そんなに悪いなら、わたしが宿舎に出向きましょうか?」


「お心遣い、ありがとうございます。陰陽課の宿舎は地下通路で中庭とつながっておりますので、もうすぐ……あっ、ちょうどやってきたようです」


 千夜子の視線を追えば、中庭の中央より少し奥。ツツジの植え込みがあるあたりから、ゆっくりと現れたのは――ほぼモンスター。


 うおおぅ……


 そのグロテスクな姿形に、寿々の顔から余裕が消えた。


 あれはもう、残念ながら人には見えない。これまでの陰陽師たちとはレベルが違った。


 黒いモヤモヤは濃縮された粘土の塊のようになっていて、それが全身にベッタリとはりついている。


 背中に垂れ下がった残滓はドロリとしたアメーバ状になっていて、表面からは黒い陽炎かげろうが立ち昇ってユラユラと不気味に揺れ動いていた。


 上半身はとくに両腕がひどい有様で、肩から上腕、前腕にかけて残滓の塊が付着して、肘の関節部分がわずかにくびれているとはいえ、左右とも異様な太さになっている。


 腰から下も、またひどい。下半身が溶けているのではないかと思うほどドロドロで、背中と似たアメーバ状の残滓を引きずり歩いているような状態だった。


 さきほど残滓を払ったばかりの陰陽師が肩を貸しているけれど、その足取りはとにかく重そうだ。


 全身がそんな状態だというのに、近づいてくるにつれ、それよりもまだ酷い部位があることに寿々は気づく。


 頭部。遠目では髪の毛が揺れ動いているのかと思っていたけれど、そうではなかった。


 左側頭部が異常なほど膨れ上がって、そこから溢れでるように粘着性のある残滓が、顔のほとんどを覆ってしまっていた。かろうじて右目が見えているけれど、どこまで視えているかは怪しい。


「苦しそう……」


 障子に近い場所から中庭を見ていた寿々は、目を険しくさせて思わず腰を上げていた。そのまま廊下に進み出て、自分から中庭に降りようとしたとき。


 顔の四分の三を黒く染めた陰陽師がこちらを向いた。


 かろうじて残滓に覆われていない右目に強い光が宿り、邪気と霊気がないまぜになったような霊力がブワリと湧きあがったと思ったら、次の瞬間には、寿々がいる廊下から2メートルほど手前。地面に片膝をついて、こちらを見上げてきていた。


 いつのまに――


 驚きに目を見張ったとき、


「ああ、光が……」


 男の低い声は、ひどくかすれていた。


 これほど近くにいても、やはり右目は瞳の色すら判然とせず、鼻も口も、黒い残滓に覆い隠されている。


 すぐにでも払ってあげないと――履物も履かずに、また直に廊下から中庭へと降りようとした寿々だが、先に立ち上がったのはドロドロの陰陽師で、


「汚れる。俺がそちらに」


 廊下の際まで寄ってくれた。


 一段高い場所で、中庭に降りようとして膝立ちになった寿々と、少し前屈みになった陰陽師の目線の高さがちょうど合った。


「苦しいですよね」


 自然と両手を伸ばした寿々は、仮面のようになっている男の両頬を挟み込むようにして、全身全霊で願った。


「からだに悪いの全部退散‼」


 瞬間的に、自分の内側から強烈な光が放たれたような気がした。


 眩しいっ‼


 目がくらむほどの光量。こんなのは、寿々もはじめてだった。


 ストロボのように発せられた光のせいで、反射的に目を閉じてしまい、恐るおそる目を開いたとき。


 漆黒の仮面があったはずの場所には、勿忘草わすれなぐさに似た淡い水色をした髪と、美しい琥珀色の瞳を持つ青年がいた。


 数秒前とは、あまりに別モノすぎる光景に、一瞬「ダレ?」と訊きそうになった寿々だけど、


「俺の……身体から邪気が消えた? 霊力が戻って……」


 かすれた低い声はそのままだったので、すぐに仮面の陰陽師だとわかった。


 それにしても、陰陽課の陰陽師たちは、男女ともに美形率が高い。


 左近之丞の顔で見慣れているとはいえ、目のまえにいる陰陽師もまた、だれもが振り返る美形だ。


 ただ、どうも様子が奇怪おかしい。というか、急に様子があやしくなってきた。


 両目になった琥珀色の瞳は、興奮状態にあるのか瞳孔が大きくなり、獲物を狙う猛禽類を思わせた。それに加えて、急にハァハァしだした息づかいになったのも、ちょっと怖い。


 身構えた寿々に、瞳孔が開きっぱなしの陰陽師は、荒い息づかいのまま告げた。


「俺は、桜散塚さくらちりづか一心いっしん。一途な独身、31歳。いきなりだけど、結婚してくれ。できれば今夜、アンタとちぎりた……」


 晴れた空の下に、雷鳴が轟いた。


 バリバリと激しい音がして、横から青い閃光がほとばしる。


 寿々が「あっ」と口を開けたときには、閃光が桜散塚一心を串刺しにして、中庭へと吹き飛ばしていた。


「いますぐ死にたいらしいな。この……変態サイコ陰陽師ヤロウがっ!」


 怒鳴りながら寿々のとなりに立ったのは、怒髪天を衝いた左近之丞だった。





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