のんびりと茶を飲んでいた陰陽頭が「何ごとだ」と客間から廊下に出てきて、立花からの報告を受ける。
「東【古寺】の警戒エリア
「鬼門か……北の
「北【道場】には、すでに要請済みとのことです。しかしながら、昨日の『
「――俺が行ってくる!」
報告している立花の声にかぶせてきたのは、桜散塚だった。
「わははっ、じゃあな、景近の弟!」
寿々が顔を向けたときには、妙に芝居がかった「わははっ」という笑い声を響かせながら、中庭から見通せる山々の景色に向かって走って跳んでいき、その背中はもう小さくなっていた。
いったい、どんな脚力をしているのだろうか。
慌てたのは1班の陰陽師たちで、
「あの人はぁぁぁ! 丸腰でっ! すみません、寿々姫様、こちらありがたく頂戴いたします! 御前を失礼いたしますっ!!」
ピカピカになった霊剣〈七星剣〉を受け取った九十九多聞と班員たちは、元気いっぱい飛び出していった桜散塚を追いかけていった。
千夜子の溜息は深い。
「おそらく、班員たちはだれも追いつけないでしょうね。班長としての意識がこれっぽっちもない男なので、後方の隊列を気にかけるという、ごく当たり前のことができないのです」
なるほど。名選手、名監督にあらず――ということだ。
「強いんですけどね……強さと統率力は別モノだと、チャラ散塚班長を見ていると、いつもそう思います」
「え、チャラチリヅカ?」
「あだ名です。あの猿男は、気に入った女性には見境なく声をかけるという悪癖がありますので、寿々姫様はとくにお気をつけください。猿よりも言葉が通じない男ですので」
千夜子のなかでは、左近之丞と同じくらい、桜散塚の評価も低いようだ。
左近之丞にしても桜散塚にしても、陰陽師って、残念イケメンが多いんだなあ、と思いながら、まだまだ廊下に並んでいる『3点セット』待ちの武器系呪物に手を伸ばしかけたときだった。
またしても、コの字型の廊下を全速力で走ってくる者がいた。
「東より、追加の緊急要請です!」
走り込んで来たのは、さきほどの立花良太郎とともに母屋で出迎えてくれた桐生撫子だった。
「さきほどの
ここで桐生撫子は、中庭を見回して気づいた。
「陰陽頭、あの、1班の桜散塚班長は? 寿々姫様の御力によって、回復なされたと聞いたのですが……」
そのころにはもう、陰陽頭と陰陽助、陰陽允は頭を抱えていた。
「うぬぬぬぬうっ!」
陰陽頭が唸る。
「あの……バカ桜が、後先考えずに飛びだしていきおってからっ!」
桜散塚には、バカ桜というあだ名もあるようだ。
それにしても、ここにきて、あらら~な状況になってしまっている。
最上位と上位クラス複数の悪霊が相手となれば、討伐の難易度からして、陰陽課1班が要請に応じるのがベストなのだろう。
しかし、すでに桜散塚と1班の班員たちは、
「陰陽頭、どうなさいますか? 上位の悪霊だけであれば、2班が応戦できるでしょうけれど、最上位クラスの邪気に対抗できる霊力をもつ陰陽師となると……」
陰陽助の顔が険しい。それだけ、最上位の悪霊というのは禍々しい存在なのだろう。
急を要する状況に、陰陽頭の判断は――
「ぬううくぅっ……かくなる上は、やむを得ず! 北御門左近之丞、行ってこい!」
こうするより他ない、という苦々しい表情で告げられたわけなのだけど。
「あ゛あ゛ぁっ?? なんで、命令されるわけ? ジジイ、ついに頭が湧いたか?」
左近之丞が素直に了承するはずもなく、言い争いがはじまった。
「いいから、イケえええぇっ! 文句はあとでキクッ!」
「いいや、けっこう。今、聞いてもらうから。さっき飛び出していったバカを、さっさと呼び戻せ! それか、速足の伝令でも送れ」
「バカ桜に追いつける伝令など、いるわけがないだろう! それこそ、オマエが行けえっ!」
「やだね。他をあたるか、自分で行けば?」
ふたりのは言い争いは、平行線をたどっている。
寿々からすれば、頼み方はともかく、「やむを得ず!」という陰陽頭の判断もわかるし、陰陽寮の陰陽師でもないのに命令されることに反発する左近之丞の「なんで?」もまた、言い方はともかくとして真っ当な主張ではあると思う。
でも今は、立てつづけにはいってきた緊急要請で、事態がひっ迫していることは、だれの目にもあきらかだった。
寿々だって、営業部時代に後手にまわってしまって「ああ、もうっ!」となる局面は、何度も経験してきた。
そのときは正論どうこうよりも、少ない選択肢のなかで、いかに最善の策を選ぶかというのが重要だった。
ふと、視線を感じた。喧々囂々な左近之丞と陰陽頭の間から、寿々に視線を送ってきているのは陰陽助。
胸の下あたりで両手を合わせて『お願いします』のポーズをしている。
何をして欲しいかは、一目瞭然。
寿々のとなりにいる千夜子も気づいたのか、小声で「寿々姫様……ここはひとつ」と囁きながら、ブルーレンズ越しにウインクしてきた。