今日、こうなることを『先読み姫』と呼ばれる禮子は、あらかた分かっていたのかもしれない。
呪物、神具など諸々の「払い」もそうだけど、これらを見越して、寿々と左近之丞のふたりを【陰陽寮】に向かわせたのだとしたら、禮子こそ名采配の名将だと、寿々は思った。
なにはともあれ、これも請求書相殺のためであれば、寿々としては最善を尽くすのみ。
中庭に向かって「左近くーん」と声を張る。
「左近くんが行かないなら、わたしが行こうか? パン、パンッて、してくるから、ここで待っていて――うわっ!」
言い終わらないうちに、目のまえには左近之丞がいた。
廊下を縁側がわりにしている寿々の両脇に手を突いて、しっかりと囲い込まれてしまった。
「それは、ダメです」
真上から見下ろしてくる笑顔が、とりあえず怖い。
「寿々さんが行けば、たしかにあっという間でしょう。でも、ですね。その分、とっても危険なんです。悪霊どもは、無防備な者から狙う習性がありまして、いくら寿々さんが素晴らしい後光を発していても、弱い霊を盾にして強い霊が襲ってくる可能性があります。それから……」
「それから?」
「東は密教僧どものエリアですから、寿々さんをひと目みたら、色欲と煩悩まみれの坊主どもが、ワラワラと群がってくるやもしれません。そんなところへ寿々さんを行かせるくらいなら――おいっ、ブスッ!」
「なんだ、ブサイク」
「悪霊ヤロウのところに、さっさと案内しろ」
「このわたくしが、北御門・ブサイク・左近之丞を? まあ、いいだろう」
ようやく話がまとまった。
そこから一気に慌ただしくなった陰陽寮。
東エリアの緊急要請に応えるべく、急ピッチで準備がされていく。
「緊急要請とはいえ、最上位クラスの悪霊相手ですから、準備は必須です。さきほど1班が飛び出していきましたが、本来であれば、装備品を確認していくべきで、丸腰など……本当にあり得ないのですが」
頭が痛い、と言わんばかりの陰陽允から、
「こちらと……こちらも、お願いいたします!」
これから出動する2班の班員たちの武器を順に渡してもらい、寿々はせっせと布で磨きあげ、柏手と言霊で仕上げていく。
新品同様になった武器を手にした班員たちの驚きは、想像以上に凄まじかった。
「なんですか、これはぁぁ~っ! 昨日とは全然ちがいます! 切れない包丁のようだった、わたしの愛刀がっ!」
「穢れが浄化されている! 雀の涙ほどだった霊力が……朱雀のごとく漲っています! 柄が熱っ!」
「か、軽い! そして、振ったときの風切り音が……これまで鉄骨みたいな音をしていた僕の槍が……」
昨日の今日の変化に、皆、驚き戸惑っている。
なかでも千夜子の武器は、左右の剣身の根元に蒼玉が埋め込まれた双剣なのだが、両方の剣身には邪気がびっしりとはびこっていて、蒼玉はその美しさを完全に失っていた。
寿々はその剣を手にとったとき、オイオイ、オイオイと泣いている蒼玉の嘆きに寄り添い過ぎたのか、
「いままで、よく、我慢をなされていましたね。すぐに汚れを落として、美しいお顔をみせてくださいね」
ついには剣を擬人化して、直接、声をかけていた。
それがまた、劇的な効果があった。
語りかけられながら布で磨かれた剣身は、あっという間にキラキラと白金のごとく輝きはじめ、柏手と「キレイにな~れ」の言霊によって浄化されると、たちまち蒼玉は、色鮮やかで艶やかな瑠璃色の守護石として生まれ変わった。
「寿々姫様、ありがとうございます! 綾小路家の家宝を蘇らせてくださいました!」
双剣を胸に抱きしめ、千夜子が涙ぐんでいると、陰陽課の陰陽師たちと同じ黒衣と黒袴に着替えてきた左近之丞が現れた。
さっそく陰陽允は、
「あの姿を見ると……当時の苦労が蘇る。ああ、胃が痛くなってきた」
とかなんとか言いながら、今度は漆黒の鞘を持つ長い刀を寿々に差し出してきた。
「寿々姫様、こちらの打刀もお願いいたします。〈六連星〉という妖刀でして、北御門にしか扱えない刀でございます。通称〈ろくでなし
珍妙な呼び名の由来について、陰陽允はこう説明した。
「いわくつきの刀でして、平安時代の呪術師たちによって調伏された、とある怨霊が宿っております。調伏されてもなお、
それほどに我の強い刀は、さらに我の強い左近之丞しか抑え込めないのだという。
そのため、左近之丞が陰陽寮を去ってからというもの、一、二を争う攻撃力を持つ妖刀でありながら、出番なく地下蔵で眠ったままであったそうだ。
そのいわくつきの妖刀を、
「おい、|六連星〈そいつ〉を寿々さんに近づけるな」
陰陽允の手から、左近之丞が奪い取った瞬間だった。
鞘の上からだというのに、ブワリと妖力が立ち昇った。
霊力とはまた少しちがう、穏やかさの欠片のない荒ぶる魂を宿した妖刀からは、鞘におさまっていながら、そのなかで刀身が暴れているのか、振動する音まで聞こえてくる。
2班の陰陽師たちの武器に触れたときも、黒い棍棒のようだった桜散塚の霊剣〈七星剣〉に触れたときも、強い霊力は感じたけれども、ここまで荒々しくはなかった。
それを左近之丞が、自分の霊力を上げてグッと抑え込んで、いつものように罵詈雑言を浴びせる。
「てめえは5年経っても不満タラタラだな。いい加減、あきらめろ。これ以上、盾突く気なら鋼に戻して、滅してやるぞ! ろくでなしの我がまま怨霊がっ!」
そこで寿々が「ちょっと、ちよっと、左近くん」と、鞘を握る左近之丞の手に、自分の手を添えた。
ポッと頬を染めた左近之丞を見て、千夜子と陰陽允の顔が、これでもかと歪んだ。
「うえぇ、照れた北御門なんて……気持ちワル。吐き気が……」
「やめろ、ブサイク、反吐がでる」