母グロリアの不幸が始まったのは11年前――――私がまだ12歳だった頃。あの日の出来事は昨日のことみたいに思い出せる。
私が物心つく前にお父さんは亡くなってしまい、お母さんと2人で質素に暮らしていたけど毎日が楽しくて、幸せな日々はずっと続いていくものだと思ってた。
あの日はマナ・カルドロンへ仕事に行っていたお母さんが数日ぶりに帰ってきて2人で夕食を食べながら将来の事を語っていたよね。
女手一つで私を育てる為にゴレガード城の使用人として忙しく働いていたお母さんは40代にしては少し白髪と皺が多く、いま思うと相当苦労させていたのかな?
そんなお母さんが帰ってきたのだから本当は静かに休ませてあげなきゃいけなかったのだと思う。だけど数日ぶりに会えたことが嬉しかった私はずっと喋り続けちゃったよね。学校のテストで満点を取った私を褒めてくれたお母さんの笑顔は強く印象に残ってる。
「100点なんて凄いじゃない! 本当に努力したのねエミーリア」
「えへへ、ありがとう。天国のパパも喜んでくれているかな?」
「エミル……パパはママ以上に喜んでいると思うわよ。学校の先生を務めていただけあって学業への関心と思い入れが凄く強い人だったから」
父エミルと母グロリア……2人の名を見聞きする度に私は両親から愛されていることを実感する。だってエミーリアという名前は両親の名前を合わせたものだったから。
お母さんはお父さんの写真をジッと眺めた後、視線を私に移して頭を撫でてくれた。
「お父さん譲りの学力があれば色々な職業に就けそうね。エミーリアは将来何になりたいの?」
「う~ん、お医者さんか学校の先生どちらかで迷っていたんだけど、やっぱり先生かな。パパが頑張っていた仕事をしてみたいし、何より学校の先生ってカッコいいもん! それに小さい子供も好きだしね」
「うふふ、子供のエミーリアが子供好きって、何を言っているんだか」
小馬鹿にしつつもお母さんは凄く嬉しそうに笑っていて私も嬉しかった。今日はいっぱい話したいことがあるし話せるものだと思っていた。だけど突然玄関が大きな音を立てて開き、ずかずかと入ってきたゴレガードの大臣によって私のささやかな望みは崩される事となる。
「グロリア・クレマチスよ。貴様にやってもらわねばならない仕事がある。今すぐワシと一緒に城へ来い」
当時のゴレガード大臣は今の大臣と違って猛禽類のような鋭い目、逞しい体格、顎先から耳の近くまで伸びた髭が特徴的な強そうな初老の男性だった。こちらを見つめる目がどこか冷たくて子供心に絶対に逆らってはいけないオーラを放っているように見えた。
お母さんも私ほどではないけれど怖がっており、震える声で詳細を尋ねる。
「こんな時間に仕事ですか? 一体何を?」
「いいから城に来い。娘が心配なら娘と一緒に来ても構わぬ」
有無を言わさず背中を向けて歩き出す大臣に私とお母さんは渋々ついていく。城についたところで大臣は私だけを1階の個室に入れて扉を閉め、扉越しに説明する。
「ここにある本やオモチャを好きに使っていいからしばらくここにいなさい。私とグロリアは隣で大事な話をするからな」
そう告げる大臣の声は初めて合った時以上に冷たく感じて私の背筋はピンと伸びる。何も言えず連れていかれた母の事が凄く心配になった私はすぐに大臣の言いつけを破り、窓の鍵を開けて外へと飛び出した。
幸い外が暗くなっていて見張りの兵士も少ない。私は隣の部屋の窓近くにある茂みに身を隠して聞き耳を立てることにした。すると早速、大臣が話し始める。
「グロリア、お前は先日までクレマン様や他貴族数名と共にマナ・カルドロンを訪れていたな? 具体的にはどこまで付いて行ったのだ?」
「カルドロン神殿の入口までですね。それがどうかしましたか?」
「そうか、ならばマナ・カルドロン元首の孫とクレマン様が神殿の奥で喧嘩していたことは知らないのだな。正直、この事件には相当頭を抱えたものだよ」
「そのような事があったのですね。ですが、クレマン様はまだ10歳で元首の孫も確か11歳でしたよね? 子供の喧嘩ぐらいで大事にはならないような気がしますが」
「普通の喧嘩ならな。だが、今回はやり方がまずかった。相当頭に血の昇ったクレマン様は神殿に飾ってあった国宝の陶器を叩きつけて割ってしまったのだ」
一国の王子が隣国の国宝を破壊する……それが国交にどれだけ悪影響を及ぼすかは当時子供だった私でも分かるくらいマズい行為だ。大臣の声色も相当参っていることが伝わってくるし、お母さんも小さく困惑と驚愕の声を漏らしている。
その後も大臣は『元首はそれほど怒っていないが立場上、国宝が割れた事実と割った犯人を近いうちに民衆へ報告しなければいけないこと』『ゴレガード王国側はクレマン王子を守りたいと考えていること』を強調したうえで話を続けた。
大臣や貴族ともなると気苦労が多くて大変だなぁと気の毒になってくる。だけど未だにお母さんを呼び出した理由がさっぱり分からない。早く本題に入ってくれないかなぁ……と盗み聞きを続けていると大臣はとんでもないお願いをお母さんに持ち掛ける。
「……このままではクレマン様を中心に国家間で亀裂が生じる。ボルトム王はそのようにお考えだ。だから王子の代わりに国宝を割った者を仕立て上げて国民に納得してもらう必要があると我々は考えた。グロリアよ、クレマン様の身代わりとなって罪を被ってはくれぬか?」
「はっ? ちょっと待ってください。どうして私なのですか? それに国宝の破壊なんて7,8年は牢屋に入れられますよね? そんなの嫌に決まっているじゃないですか!」
「まぁ待て、グロリアへ頼みたい理由を順番に話していく。まずグロリアは状況的に最も犯人のフリをしてもらいやすいのだ」
大臣はお母さんが付き人という身分を通して警備の厳しいカルドロン神殿の敷地に入った点が状況的に都合がいいと語っていた。他国から来ていて一時的とはいえフリーに動ける人間は犯人に仕立て上げやすく、当日ではお母さんしか該当しないのだと思う。
大臣は更に話を続ける。
「次にグロリアが罪を被り牢屋に入る件だが、ちゃんとメリットを用意してある。それは金だ。お前は早くに夫を亡くし、女手一つで娘を育てている。今も金銭的に苦しいのだろう? 娘の将来次第では今よりもっと金もかかるはずだ。我々はグロリアが牢屋に入っている期間、本来の給料の10倍を渡すと約束しよう。もちろん家に1人になってしまう娘の為に家政婦だって派遣する」
金? 家政婦? 私の将来? ふざけないで! と頭が怒りで支配された私は窓を割って怒鳴りつけてやろうと茂みから顔を出す。しかし、私が腕を窓に振り下ろす直前でお母さんは勢いよく立ち上がる。
「お断りします。確かに私たちの家は貧乏ですが娘と何年も離れ離れになるなんて考えられません。親子の時間は後から取り返しが効きません。それに娘との時間が私にとって1番大切ですから」
お母さんは私が最も欲しいと思っていた言葉を発してくれた。私だって貧乏でも幸せなんだから取引なんて望んでいない。
あとはお母さんが部屋を出て私と一緒に帰るだけ……そう思っていたけれど眉間に皺を寄せた大臣が突然瞳孔を開き、信じられないことに右手を伸ばしてお母さんの首を掴み始めた。
「使用人風情がワシを煩わせるなよ? これはもう決定事項なんだ。お前には罪を被ってもらう」
「うぐぐっ……は、離しなさい!」
首を絞められても尚、反抗するお母さんを見て大臣は大きく溜息を漏らす。
「ハァ……馬鹿な女だ。ワシの機嫌を損ねおって。もういい、お前を牢に入れた後の資金援助は無しだ。お前はただただ牢に入り、娘には一層貧乏になってもらい孤独を味わってもらう。裁判当日もグロリアには怪我をしてもらって欠席してもらうことにしよう」
「や、やめて、お願い……」
願いも虚しく大臣はお母さんを殴り始めた。窓越しに見ていた私は助けに行きたかったけど、ただただ怖くて泣く事しかできなくて何も出来なかった。こんな理不尽が許されてもいいの?
この日、私たち親子は引き裂かれ、私の孤独が始まった。