四ヶ月の習得期間――。
トーマスの教えでイオルクは色んな鍛冶技術の基礎を覚えた。溶鉱炉の使い方、金属の精製、金属を叩いて加工するのに必要な熱処理の手順……。他にも産地によって取れる鉄鉱石の純度が違うのを教えて貰い、材料選びの目利きとしての眼を養うことも教わった。材料に関しては終わりのない宿題として研究し続けることも約束させられた。
技術面の鋳物の製法に関しては包丁を大量生産することで技術を習得した。包丁の型を木で造り、砂に型枠を押し当てる。次に溶鉱炉から型枠に溶けた鉄を流し込めば作成する武器の雛形が完成する。これに焼入れをして表面を鋼に変え、あとは叩いて真っ直ぐに伸ばしたあと、砥石で磨き上げる。この鋳物の製造を習得する過程で、イオルクは刃物を研ぐ技術も身につけた。
余談だが、鍛造の包丁を造らなかったのには理由がある。村には料理人が居るわけではなく、主婦が家庭料理を作るだけにしか包丁は使われないからだ。名刀のような包丁は必要ない。また、一人でも主婦に鍛造の包丁を贈ったら、鋳物で造った包丁を贈った主婦にあとで何をされるか分からないという情けない理由もある。
この理由だけではまるで主婦の権力に負けたような習得の流れだが、鋳物の技術と研ぎの技術を習得するには数をこなさなければいけなかったので、村の主婦全員分の包丁を造るのは、まったくの無計画というわけではない。ある程度の数を揃えるのに、偶々、包丁が選ばれただけである。
次に鍛造の技術の習得についてだが、こちらは農耕器具を造るのを利用して技術を習得した。農耕器具は畑を耕すためのものなので、丈夫で頑丈なものが良い。数も主婦全員分ということはないので鍛造で製作するにはもってこいだった。溶鉱炉で精製した鉄を火炉で熱しては叩きを繰り返して、入れ槌一本で農工器具の形まで整える。最後に焼入れと焼き戻しを繰り返して、硬度と靭性のバランスの最適を模索して農工器具を造り上げた。
この鍛造での農工器具作製は鉄の厚さを入れ槌一本で叩いて均等に伸ばす技術習得が一番の目的であったが、予想した通りにただ単純に叩けばいいというわけではなく、伸ばす厚さの力加減を自分の中に刻み付ける作業でもあった。
――今叩いた力加減で、どれだけ鉄が伸ばされるのか?
――熱した鉄は冷えると硬度を変えていくが、それに合わせた力加減で理想の厚さを叩き出すには、どうすればいいか?
正解が、その都度変わる。太陽の高さや天気による温度と湿度の変化が火炉にくべる鉄に影響してくる。それらは計算だけで何とかなるものではなく、自分が叩きつけた入れ槌に返る感触で正解を判断しなければならない。
イオルクは幾万と入れ槌を叩き、数えきれないほど失敗をした。基準の感覚が定まらないから失敗は中々減らなかった。
しかし、努力は絶対に期待を裏切らない。試行錯誤の末、ある日突然に芽生える。入れ槌に返る重要な鍛冶職人としての基準となる感覚が初めてイオルクの中に刻み込まれたのは、三ヶ月目のことだった。それは失敗を繰り返して感覚の取捨選択を繰り返してそぎ落としていって残った感覚だった。
この時、トーマスはたったの三ヶ月でイオルクが鍛冶屋の基準となる感覚を習得したのに、正直、驚かされた。
しかし、驚きはしたが、理由は何となく分かる気がしていた。鍛冶職人だったトーマスが入れ槌を叩く感覚を持っていたように、イオルクには武器を振るい続けた感覚があったことだ。自分の中に基準となる感覚を得るために努力したという経験は大きな財産になる。それは大事な感覚を得るための苦しみも乗り越え方も知っているということ。どんなに辛いことでも諦めなければ辿り着くということを知っているということ。
初めて感覚を手に入れる者がもがき苦しみ辛くて立ち止まることがあっても、イオルクは立ち止まらずに進み続けることができる。故に、立ち止まることがないから鍛冶屋の基準となる感覚を得るのが普通の初心者よりも早かった。
残りの一ヶ月。そこからは乾いた砂が水を吸収するように、加速度的にイオルクの鍛造技術の習得が早まった。鋳物で使用する金属の精製では長年の蓄積した経験が必要になるので劇的な変化はなかったが、叩いた分だけ経験値が返ってくる入れ槌を叩く力加減の進歩は劇的な成長速度を示した。ただ厚さを調整して叩いていたところから一歩踏み込み、完成させる武器の大きさ、バランス、重さを考慮して叩くように入れ槌の叩き方が変わった。鍛冶職人として自ら試行錯誤をし始めたのである。
トーマスは大工仕事の時もそうだったように、基礎を徹底的に繰り返したことが実を結んだのだと思った。そして、この成長速度の要因は鍛冶職人の基準となる感覚が備わった影響だけではなく、ここに来る前から持ち合わせていたものがイオルクの成長に大きく影響しているとも思った。
「イオルクは、今、何歳だっけ?」
「この村に来て、十七歳になりました」
「十七か……」
聞かれたイオルクは不思議そうな顔をしただけだったが、トーマスには疑問があった。
(ボクが十七歳の時って、あんなに入れ槌を振り続けることができたっけ? イオルクは休まずに入れ槌を一日中振り続けていたような気がする)
体が出来た大人だからこそ、一日中入れ槌を振り続けることができる。それは鍛冶仕事を始めてから徐々に体力が上がり、振り続ける時間が増えていくからだ。
しかし、イオルクは十七歳という若さで体力が桁違いに備わっており、トーマスの目からは疲れるということを知らないのではないかと思わせた。
(騎士というのは、どれだけの体力があるのだろう?)
自分が鍛冶仕事を始めた時と明らかに備わっている体力が違うと、トーマスは思った。
イオルクの稼働時間は、その桁外れの体力のお陰で一般の新米鍛冶職人と比べて格段に長い。稼働時間が長いということは、一日で得られる経験値が違うということ。もっと言うなら、試行錯誤を継続していられるから、休憩を入れた後で一度切れた思考を再開時につなぎ直すということも起きないということだ。
誰でも経験があると思う。一度手を止めてから再び集中し直すのには、ある程度の時間が掛かり、その集中に入り直すためには予備動作的な切っ掛けが必要であったという経験が……。
(この方法は誰にでも出来ることではない。イオルクが騎士だったから出来ることだ)
鍛冶技術を身につける時間が短縮されている。
――大工仕事で見せた、一度騎士をやったという経験から基礎を疎かにせず、必要なものを身につける徹底ぶり。
――鍛冶仕事で見せた、桁外れの体力から圧倒的な継続時間を従事することで可能にする修行時間の拡張。
この二つがイオルクをただの新米ではなくしている。
ドラゴンチェストの内陸へ売る武器の造り溜めをする製造に加わった一ヶ月で、イオルクはトーマスの鍛造技術をほぼものにし始めていた。
トーマスは近い日にイオルクに追い抜かれることを覚悟した。
…
鍛冶修行のある日――。
村の住人からの依頼がなかったこの日は、朝から鍛造での武器造りをすることになっていた。
鍛冶場は鍛冶職人が二人に増えたことで、金敷がもう一つ増えている。この金敷はイオルクのために一時的に増やした分解可能な組み立て式で、イオルクがここを離れた時、新たな道具に叩き直す予定になっている。
その鍛冶場ではトーマスとイオルクの鉄を叩く音が響いていた。
教えたのがトーマスだったためか、二人の鉄を叩くリズムは丸っきり同じで、造る武器が同じなら進み具合もほぼ同じだ。午前中にそれぞれ一本ずつ厚めの短刀であるダガーを造った。
そして、昼食を挟んで子供達との遊びから帰ってきたイオルクにトーマスは次のような指示を与えた。
「お互い好きなものを造ってみよう」
「好きなもの? 何でもいいってことですか?」
「そうだ。今まで同じ大きさ、同じ厚さ、同じ重さのものを鍛造で造らせたのは、ボクの造った武器とイオルクの造った武器で問題のある所を比較しやすかったからだ。でも、ここ一ヶ月でイオルクはボクの要求通りのものを造れるようになった。だから、今度はボクの指示なしで造ってみてくれ」
イオルクはチョコチョコと右手で頬を掻く。
「好き勝手に造ったら、俺のは売り物にならないかもしれませんよ?」
「構わないよ。鍛冶屋だって時には好き勝手に自分の趣味趣向で造ってみたいこともある」
「そうですか? じゃあ、やってみようかな」
そう言うと、イオルクは腕組みをして何を造るかを考え出した。
その横でトーマスも考えるふりをしながら思う。
(これが最後のテストになるかもしれない。基礎的なものは身についている。あとはこのテストで、今のイオルクの目標を見極める。もし、ボクの技術以上のものを望んでいるのであれば、この村から送り出してあげなければならない)
トーマスは密かにそう思い、武器造りに臨む。
やるからには本気で取り組むと、トーマスはいつも以上に気合いを入れて武器造りを開始した。イオルクが何を造るか決める前に精製した鉄を火炉で熱し、トーマスは金敷の上で鉄を叩き始めた。
鉄を叩く音が響く中、イオルクは一本の片手剣を造ることに決めた。頭の中では戦場で手にした剣の姿と使った感覚が浮かんでいた。そして、トーマスが教えてくれたものを基本に作製するが、より鋭利で斬ることに特化した曲刀の片刃にすることをイメージしていた。
イオルクはトーマスより少し遅れて武器造りに取り掛かった。
…
日が傾き始めた頃――。
鍛冶場に響いていた武器を叩く音の一つが止まる――いや、正確にはトーマスが止めた。叩いていた細身の剣――レイピアの形成に、これ以上の鍛錬は必要がないと判断したのだ。あとは焼き入れと焼き戻しを繰り返して硬度と靭性を調整し、砥ぎをすれば完成だ。
トーマスはイオルクの方へ目を向ける。
(ああ、やっぱり……)
イオルクの造る片手剣を見て、その形状がトーマスの造る武器以上の性能を求めていると分かった。
(造り方はボクの教えたことを忠実に再現している。でも、まだイオルクは入れ槌を振り続けている。ボクの教えだけでは入れ槌を振る回数が足りないんだ。今までと同じ時間で仕上げるには新しい技術が必要になる)
その仕事姿を目にするのは嬉しいような寂しいような気持ちだった。自分の教えを体現してくれたことは、イオルクが真剣にトーマスの教えを覚えてくれたからだ。しかし、それだけではなく、その自分の教えから先をイオルクが歩き出そうとしている。更なる高みへ進もうとしている。
トーマスは暫くイオルクを見続けたあと、自分の造っているレイピアの仕上げに入る。焼き入れと焼き戻しを繰り返し、砥石で砥ぎをするところまで進めた。
トーマスのレイピアが完成した頃、イオルクの鉄は片手剣の形に姿を変えていた。同じく焼き入れと焼き戻しを繰り返し、砥石による研ぎが終わったのはトーマスのレイピアが完成してから三時間経ってからだった。
鍛冶場にある台の上にトーマスの造ったレイピアとイオルクの造った片手剣が並ぶ。
イオルクは右手を頭に持っていき、笑いながら言う。
「いや~、思ったより時間が掛かっちゃいました。すみません」
「そんなことないよ」
そう言いながら、トーマスはイオルクの造った片手剣を手に取った。水平に持ち替え、歪みや凹凸がないかを確認する。次に剣身を指で叩いて鉄の均等性や空洞がないかを確認し、焼き入れによる硬度と靭性を確認する。
(これがイオルクの求めていた武器の姿……。ボクの造った剣よりも薄いのに靭性はさして変わらないで硬度が上だ。研ぎムラもなく歪みもない)
トーマスは小さく笑みを浮かべてイオルクに言う。
「ここまでが、ボクの教えられる限界みたいだ。この剣をボクは造れない――いや、剣に対するイメージがないというべきかな」
「……どういうことですか?」
トーマスは片手剣を台に置き、答える。
「イオルクの造った剣は完全に戦うための形をしているということだよ。戦を知らない鍛冶屋が想像できない形になっている。何で差が出たか、理由は分かるね?」
「…………」
村の鍛冶屋で造られる包丁や鎌などの切れ味が、戦闘で使う武器以上に仕上がることはなく、戦を生業にしていない人間のイメージが戦を生業にしていた人間のイメージを超えることはない。造る武器のイメージの完成度がトーマスよりもイオルクの方が高く、村の鍛冶屋の造る武器の限界を超えてしまっていたのである。
「お、俺は……」
イオルクは、その先を言えなかった。
トーマスには鍛冶仕事を教えてもらった恩がある。携わってきた年月は、イオルクが携わった月日と比べ物にならない。そのトーマスに一つでも自分の方が優れたところがあるなどと、イオルクには言えなかった。
それでも、ここ一ヶ月でイオルク自身が分かっていた。自分が村の鍛冶屋の見たことのない武器を造ろうとしていることを。戦場で手にした強力な武器を造りたくて、トーマスの教えに満足できなくなり始めていることを。
何も言えないイオルクに、トーマスは優しく話し掛ける。
「気を遣わなくていいよ。ボクが造っているものは造る度に同じ成果が出て、内陸で売った時に毎回同じ値段がつくようにしたものだからね。そうやって工程を固定化して収入を安定させているんだ」
「でも、今回は趣味趣向で自分の造りたいものを造るって……」
トーマスは頷く。
「確かにそう言ったね。でも、結局は長年染みついた造り方で造ってしまったよ。つまり、ボクのイメージは、そこのレイピアで止まっているってことだ。だけど、君は違う。鋳物でただ型枠に流し込んで形を整えるだけでは満足できなくなっているし、鍛造では新しいことを試したくなっている。そうだろう?」
「……はい。少し前から段々と」
正直に答えたイオルクに、トーマスは微笑んでいる。
「こういう日が来るのは分かっていたよ。君は真剣に取り組んでいたし、目指す武器の理想も最初に語ってくれた。残念だけど、切断されたロングダガーを超える武器を造るのに必要な技術は、もうここにはないんだ」
トーマスは頭に右手を当てて言う。
「尤も、それはまだまだ先だと思っていたんだけどね。――少し話をしていいかな?」
これが最後の教えになるかもしれない……。
そんな風に感じてイオルクは頷きながら答えた。
「はい」
トーマスはもう一度笑みを浮かべると鍛冶場の椅子に腰を下ろし、イオルクにも座るように促した。
それに従ってイオルクが椅子に腰掛けると、トーマスは話し始める。
「イオルクの切断されたロングダガーは上質な鉄鉱石から出来た優秀な武器だ。それを超える武器を造るとなると、新たに習得する技術が必要だと、ボクは考えている」
「新たな技術……?」
トーマスは頷く。
「鉄以上の鉱石を錬成する技術だ」
「鉄以上の金属の錬成? 金属の精製とは違うんですか?」
「ああ、別物だよ。ボクがイオルクに教えた精製は不純物を除去したり、色んなものを混ぜて目的となる金属の隙間を埋めて純粋な金属の質を高めることを言っていた。だけど、この世界には特別な処理方法で抽出しないといけない金属があり、それを鍛冶職人たちは錬成と呼んでいる。本来の意味の『心・技・体を鍛える』ものとは別にね」
「隠語みたいなものですか?」
「そうなるのかな。兎に角、ここにある設備では鉄までの金属しか精製できない」
「ここでは精製できない金属……か」
イオルクは右手を顎の下に当て、思い当たることを溢す。
「もしかして、ジェム兄さんから拝借してきた本にある『雷の剣』『水の槍』みたいなものの材料のことかな? そういったものを造りたいなら――」
「ああ、特殊金属と錬成技術が必要になる」
トーマスは両足の間で両手を組み、話しを続ける。
「鍛冶屋にとって憧れの金属がある。大地の力を宿した『白剛石』、水の力を宿した『青水石』、火の力を宿した『赤火石』、風の力を宿した『緑風石』、雷の力を宿した『黄雷石』……そして、無の金属『オリハルコン』別名『絶対の石』。これらの金属を錬成して造り出される武器こそ、鍛冶屋の奥義や秘伝の技と呼ばれるものだ」
「つまり、ロングダガーを切り裂いた以上の武器を造るなら、今あげた金属を集めて錬成する技術を習得しないといけないってことですか?」
「その通り……だが、どれも希少価値が高くて滅多にお目に掛かれないというのが実状だね。それに、これらの金属を錬成する方法を知るのも一筋縄にはいかないだろう」
「そうですよね。ジェム兄さんの本には武器の説明こそ書いてあっても、錬成のことなんて全然書いてなかった。その本は、結構、凄い本なんですけど」
「イオルクは、そんな本を持っているのかい?」
「旅に出る時、勝手にジェム兄さんの本棚から借りてきました」
イオルクは椅子から立ち上がる。
「トーマスさんに見て貰った方が早いかもしれない。取ってきます」
イオルクは鍛冶場を出るとトーマスに貸し与えられている部屋へ行き、リュックサックを漁る。そして、目的の本を手にすると駆け足で鍛冶場へと戻ってきた。
「これです」
イオルクはジェムから拝借した本をトーマスに手渡し、直ぐ側の椅子に座り直した。
トーマスは手渡された本を捲り、件の雷の剣のページを開く。
「このページのことを言っているんだね。ふむ……確かに雷の力を宿した剣とはあるけど、製法も造り方も書いていないね」
「でしょう? 何か理由がるんですかね?」
トーマスは台の上に本を置き、腕を組む。
「たぶん、秘伝の技だから一般には公開されていないんだろう。特殊金属を完全に錬成できる鍛冶屋も、今は少ないらしいからね」
「そうなんですか?」
トーマスは頷く。
「ドラゴンチェストの腕利きと呼ばれる鍛冶屋ですら、錬成の成功率は低いって話だ。当然、一族の研究成果を使用してはいるだろうが、それでもほとんどが失敗するらしいよ」
イオルクはガシガシと頭を掻く。
「おかしいなぁ……。その本には完成された武器の説明が載っているのに、何で造ることに対しては皆無なんだ?」
「別のページに製法のことが書いてあるのかな?」
トーマスは机に置かれた本をもう一度手に取ると、本の始めの方を捲って目次に目を通した。
(表装からして、この本はかなり高いもののはずだから、もう少し詳しい説明が載っていてもいい気がするんだけど……)
しかし、目次を確認してみたが、本には章分けされて製法が書かれているわけではなかった。
(これは完全な武器辞典みたいだな。そうなると、イオルクが言っていたページは何の説明をしていたんだろう?)
先ほどの雷の剣のページを開いてページ数を記憶し、トーマスは目次で何の説明をしているかを確かめる。
(そいうことか……。売っているかも分からない武器ではなく、実在していて多くの人が知っている武器だけを載せているのか)
トーマスは目次の章を見せながらイオルクに補足説明する。
「イオルクの言っていた武器は鉄製の武器のような形状を説明したものではなく、古代文明が生み出した武器を説明したものだね」
「古代文明? 何ですか、それ?」
イオルクは目次の章に目を向けながらパチクリと目をしぱたいた。
「聞いたことない?」
改めて問われると、イオルクは視線をやや斜め下にして小声で呟いた。
「まあ、興味がないと言ったら嘘ですけど、造り手のことまで考えるようになったのはトーマスさんのところに来てからなので……聞いたことないです」
どことなく気まずそうに話したイオルクを見てクスリと笑い、トーマスは説明する。
「古代人はボク達の何千年も前に住んで居たと言われる人達だ。彼らは特殊金属を100%錬成する技術を持ち合わせていたらしい。だけど、残念なことに今はその技術も失われて、30%の合成率で錬成が出来れば成功と言われているんだ」
「それってドラゴンチェストの腕利きの鍛冶屋のことですよね?」
「そうだよ」
「そんな……腕利きの鍛冶屋ですら金属自体を満足に扱えていないなんて」
「だから、偶に錬成に成功して鍛えられた武器に、とんでもない値段がつくことがある。そして、その集大成――その本に載っている武器は、今も残っている。土地柄と供にね」
「集大成と土地柄?」
トーマスは本を閉じて、一呼吸置く。
「土の属性があるドラゴンレッグ……ここでは白剛石が採れる。そして、伝説の武器と呼ばれる古代人が造った斧が王家に伝わっていると言われている」
イオルクは、また目をしぱたいた。
「伝説の武器? そんなものがあるんですか?」
「ああ、存在している。現場で戦っていた騎士にとっては国で管理している使えない武器を使うって選択肢がないから話にあがらなかっただけかもしれないけどね」
「それはあるかも」
(使えない武器を手持ちの武器として考えるだけ無駄だし、そんな大それたもんを戦場に投入する国があるとも思えない。そもそもの話――)
イオルクは半笑いを浮かべて思う。
(――国に管理されて門外不出なら、武器の形状も秘められた力の使い方も分からないから現場では話す意味がない)
これが理由でほとんどの騎士が口にしなかったのだろうと、イオルクは結論付けた。
だが、これからは違う。ロングダガーを切り裂かれたあの日から、鋼を上回る武器を求めてきた。鉄製の武器を上回る武器が存在するなら、それを求めないといけない。
イオルクは真剣な面持ちになり、トーマスに続きを促す。
「ドラゴンレッグ以外の国には、どんな武器があるんですか?」
トーマスは頷く。
「水の属性のあるドラゴンアームでは青水石が採れ、王家は古代人の造った槍を受け継いでいる。そして、風の属性のあるドラゴンウィングでは緑風石が採れ、王家は古代人の造ったナイフを受け継いでいる。最後に雷の属性のあるドラゴンテイルでは黄雷石が採れ、王家は古代人の造った剣を受け継いでいる」
イオルクは疑問符を浮かべる。
「んん? それで終わり? さっき火の力を宿した『赤火石』があるって言ってましたよね?」
「赤火石はドラゴンヘッドにあるよ」
「俺の居た国にあるのか……」
そこでイオルクは腕を組み、首を傾げた。
「でも、ドラゴンヘッドには、そんな伝説の武器なんてなかった気がするけど? いくら現場主義の騎士だって、自分の国が所蔵する伝説的な武器を知らないなんてあり得ないと思う」
「その通りだ。何故か、ドラゴンヘッドにだけ伝説の武器がないんだ」
「へ? ドラゴンヘッドにだけないの?」
唸りながら『う~ん……国が北と南に分かれてるからか?』と独り言ちながら、イオルクはある武器のことを思い出す。
「ひょっとして、隊長の持ってた赤みがかったレイピアが伝説の武器ってやつなのかな?」
「赤いレイピア?」
「俺の上司が持っていた武器なんですけど、それに魔力を送って熱を発していた気がするんです」
「そのレイピアは赤かった以外に目につくものはなかった?」
イオルクは、もう一度『う~ん』と唸りながら思い出すが、ティーナが腰に帯びていたレイピアに、他にこれといった特徴はなかったような気がした。
「他には特にないですね」
トーマスは一拍開けて答える。
「それは赤火石で造られたレイピアだろう。当然、凄いものだけど、伝説の武器と言われるものではないよ」
イオルクの頭にまたまた疑問符が浮かぶ。
「何で、伝説の武器じゃないって言い切れるんですか?」
「伝説の武器には魔力を送るという話がないからだよ。どういう原理なのか分からないけど。それに国が管理するほどの武器なら、一目で伝説の武器だと分かるような装飾もされていると思うんだ」
「なるほど……。じゃあ、隊長のレイピアは違うな。多少装飾はあったけど、シンプルな武器としての形状だったから」
(隊長のレイピアが特別製だとは思っていたけど、まさか赤火石で出来ているとは思わなかった……ん?)
イオルクが首を捻った。
「トーマスさん、少し気になったんですけど、赤火石のレイピアはどうやって力を発揮するんですか?」
トーマスは右手の掌を返す。
「イオルクの言っていたことで合っていると思うよ。特殊鉱石は硬度も靭性も鉄以上って話だけど、特殊鉱石の属性を発揮するには使い手自身の魔力を供給すればいいという話だから」
「そうなると、使う人は魔法も使えないといけないんじゃないですか?」
「そこは、どうなんだろう?」
トーマスは難しい顔で腕を組む。
「たぶん、特殊鉱石の武器を使う人は武器の扱いに長けた人だと思うから、使い手は主だって魔法を使わないと思うんだ」
「確かに」
「そういう仮説の上で考えると、赤火石のレイピアというのは魔力を送るだけで簡単に扱える武器だと思う。これは予想でしかないけど、使い手はレイピアが力を発揮するだけの魔力を扱えればいいんだと思うよ」
「何も魔法を使えなくてもいいのか」
(たとえそうでも、俺の家族はほとんど使えなさそうだな)
もし、特殊鉱石で出来た武器を手に入れても、イオルクはブラドナー家の人間はただ性能のいい武器としか扱えないだろうと思った。
(なんせ、俺の家系の男子はアレだからな)
イオルクは乾いた笑いを浮かべ、『うちは特殊なんだよな』と呟いた。
そして、頭を振ってそれはさておきとイオルクは気持ちを切り替え、トーマスの顔をマジマジと見つめて話の続きをする。
「それにしてもというか、やっぱり、トーマスさんは物知りですね。俺、武器を扱うのが専門だったのに武器について知らないことばかりでした」
そう言われたトーマスは頭に右手を置き、照れ笑いを浮かべる。
「いや~、鍛冶屋という職業だからね。ついつい調べてしまうんだよ」
「国によって採れる特殊鉱石が違って、王家が納める伝説の武器は国の特色がある。国によって属性が違うというのも興味深い話でした。そういえば、地域でいうなら、あと一つ残ってますよね?」
「ドラゴンチェストのことかい?」
「はい。残っているオリハルコンが採れるんですか?」
トーマスは首を振る。
「ドラゴンチェストは何も受け継いでいない。そもそも国を支配している王家もない。ここは全ての国の通り道になっている商業大陸だ」
そう言われればと、イオルクは思い返す。『すべての大陸とつながっている=すべての国とつながっている』ということだ。そこに国があれば栄えるだろうが、利益が偏れば常に他の国に目の敵にされて争いが起きる可能性がある。いくら国が栄えようとも、全方位の国を警戒し続けるのは難しいだろう。
(今の世界の形が丁度いいのかもしれない。他の国も間にドラゴンチェストを挟んでいるから、お互い干渉しなくて独自の文化を築けるだろうし……)
ドラゴンチェストに国や王家がないのには納得がいった。
そうなると……だ。
「オリハルコンは、一体、どこで採れるんですか?」
トーマスは困ったような顔で答える。
「オリハルコンは未だ謎の金属なんだ。鉱脈が発掘されたことがない」
「は? それって存在してないってことなんじゃないですか?」
トーマスは首を振る。
「伝説の武器はオリハルコンと他の特殊金属の合金で造られているから、誰も存在しないと証明できないんだ」
「合金? 伝説の武器は金属同士を混ぜてるんですか?」
「ああ、そう聞いている。オリハルコンと各国で採掘できる特殊金属を合成して造られているらしい」
「…………」
イオルクは眉間に皺を寄せて考え始める。
「う~ん……」
「どうしたんだい?」
「トーマスさんに免許皆伝を貰ったら旅立とうと考えていたんですけど、今の話を聞いたらいきなり目的がなくなった感じがして」
「どういうことだい? 目的がないというのは?」
イオルクは眉間に皺を寄せたまま答える。
「やっぱり、強い武器を造るならオリハルコンで造るのが一番ですよね? 『絶対の石』なんて二つ名が付いた特殊鉱石はオリハルコンだけですから」
「恐らくそうだろうね。オリハルコンが他の金属よりも劣っているなら合金にせず、そのまま国の特殊鉱石を使えばいいわけだからね」
「ですよね。だから、何を目的にすればいいか分からなくなるんです。……まあ、造るものも決めていないで悩むのも変なんですが、こういう感じで悩んでます」
イオルクは考えを整理するために一拍あけてから話し出す。
「伝説の武器で共通に使われているオリハルコンを手に入れるのは最重要になると思うんですが、オリハルコンは存在するかも怪しい。また、特殊鉱石の錬成方法というのも調べなければならない。伝説の武器同様に属性を持たせるなら、各国にある特殊鉱石も手にれなければならない。全部手に入れるとして、一体、俺は何から手をつければいいのか……って、目的が見えなくなってしまうんです」
「なるほど」
トーマスは椅子から立ち上がると、イオルクの右肩に右手を置く。
「なら、簡単だ。世界中を回ればいい」
トーマスは踵を返して壁まで歩くと鍛冶場に貼ってある世界地図を剥がし、台まで戻って地図を開いて椅子に座り直す。
トーマスが地図を指さすと、イオルクも地図の見える位置に椅子を移動して座り直す。
「特殊鉱石を手に入れる経路だけど、こういう風に辿るのはどうかな? イオルクが来たドラゴンヘッドを除いて、この村から近い特殊鉱石のある国は、ドラゴンウィングだ。まずここに入り、緑風石を手に入れる。その後、ドラゴンウィングを南下して海路でドラゴンテイルの尻尾の先に入る。ここで黄雷石を手に入れる。今度はドラゴンテイルを北東に進み、ドラゴンチェストを通り、ドラゴンレッグだ。ここで白剛石を手に入れる……ことになるんだけど、問題がある。知っての通り、ドラゴンレッグは各国に戦争を仕掛けている危ない国だ。白剛石を手に入れて南東に進み、竜の足の先から海路で青水石のあるドラゴンアームに行けるか怪しい。引き返して陸路でドラゴンアームへ向かわなければいけないかもしれない」
「そもそもドラゴンレッグに入れるかも怪しいですけどね」
「それもあるね。白剛石はドラゴンレッグからドラゴンチェストに流れてくるものを手に入れるしかないかもしれない」
イオルクは溜息を吐く。
「ドラゴンレッグには見習い騎士の時から大変な目に遭わされていていたけど、こんなところでも邪魔されるとはな」
白剛石を手に入れるには、他の特殊鉱石を得るのとは別の特別な手段が必要になるかもしれない。
「無責任で悪いけど、ドラゴンレッグへの経路は任せるよ」
「気にしないでください。あそこの危なさは派遣されて戦ったことのある俺の方が知ってますから。白剛石はドラゴンレッグの近くまで行ってから考えます」
トーマスは頷く。
「分かった。じゃあ、話を続けよう。ドラゴンチェストで白剛石を手に入れたとして、次はドラゴンアームだ。ここで青水石を手に入れる。そして、赤火石はイオルクの国外追放という事情を考えると最後になると思う。追放期間が終わっていればドラゴンアームから海路でドラゴンヘッドへ入れるが、追放期間が終わっていなければ、再びドラゴンチェストを経由して陸路で時間を掛けてドラゴンヘッドに向かうというのもいいだろう」
台の上の地図を見ながら、イオルクはトーマスの説明した経路を目で追う。
(ドラゴンチェスト……ドラゴンウィング……ドラゴンテイル……再びドラゴンチェストに入ってドラゴンレッグか。ドラゴンレッグはノース・ドラゴンヘッドでも何度か攻め込む話があったけど、結局は断崖絶壁がある海路からの侵入ができずに断念。向こうが船を使って各国へ攻めてきているから、たぶん、秘密の船着き場みたいのがあるんだろうけど、今のところ、それはどの国も見つけられていない。そうなると陸路でドラゴンレッグに入るしかないが……あんな危ない国へ国境の砂漠を越えて入る気はしない。砂漠を出て直ぐに追い返されたら、また砂漠を越えないといけない。……たぶん、ドラゴンレッグには入れないだろうな。何とかドラゴンチェストで白剛石を手に入れられればいいけど。――おさらいすると、ドラゴンチェスト……ドラゴンウィング……ドラゴンテイル……再びドラゴンチェストからドラゴンアームかな)
イオルクは地図からトーマスへと顔を向ける。
「世界中を回れる、いい経路だと思います。オリハルコンは旅の途中で見つけることができればって感じですかね?」
「そうなるだろうね。確かな情報があれば目的地を変えて動いてもいいと思うが、全く情報がないからね。そして最後、錬成方法についてだけど、錬成方法は伝説の武器を造ったとされている国に情報がある可能性が高い。ドラゴンウィング、ドラゴンテイル、ドラゴンレッグ、ドラゴンアームの王都のいずれかだ。いずれかの国で情報を探してみるといい」
「……俺の国にも伝説の武器があれば錬成方法はユニス様経由で手に入れられたかもしれないのに」
イオルクは地図を見ながら考える。
(できれば、次に行くドラゴンウィングで錬成方法の情報を手に入れたいところだ。情報の検証も必要になるから最低二つの情報源と突き合わせて真偽の比較をしたい)
イオルクの頭の中は特殊鉱石と錬成方法の入手のことで支配されていった。イオルクの顔は真剣なものになっていき、自然と右手を顎の下に当てていた。
そんなイオルクを見て、トーマスは微笑む。
(変わらないな。興味が出たら直ぐ夢中になる。ここで仕事をし始めた時からそうだった)
トーマスは目を瞑り、イオルクに訊ねる。
「いつ旅立つんだい?」
「……え? あ」
イオルクはトーマスと会話中だったことを思い出し、慌てて答える。
「え、えっと……免許皆伝を貰ってから……です」
トーマスは目を開くとクスリと笑う。
「免許皆伝は、いつでもあげるよ」
「……はい? えええっ⁉ 俺、まだ四ヶ月しか鍛冶修行をしてませんよ⁉」
イオルクの驚きは、当然のことかもしれない。幼い頃からブラドナー家で武器を振るっていたからこそ、見習い騎士には早くなれたという経緯はあるが、何の予備知識もなく始まった鍛冶修行が、たったの四ヶ月で免許皆伝などあり得ない。
しかし、先ほどテストを兼ねて武器を造らせたトーマスはここを旅立っても問題ないと冷静だった。なぜなら、鍛造の武器造りに関してトーマスはイオルクの一番欲している技術を教えられないからだ。時間を掛けて研究しないといけない鋳物の技術を教えることはいくらでも出来るが、それは自分の鍛冶場を持ってからでもいいことだとトーマスは思っていた。旅をしないといけないイオルクが旅の最中に腰を落ち着けることはできないし、旅の目的を考えれば、イオルクが腰を落ち着かせるのは旅を終えて自分の鍛冶場を持ってからになる。
ここでの鍛冶修行で鋳物を始める手順は教え込んだつもりだ。だから、鋳物の研究は旅が終わってから自分の鍛冶場を持ってからでも問題はない。
トーマスは自信を持った顔で続ける。
「ここで教えた鉄の熱し方と叩き方、そして、刃物の研ぎ方の基礎は身についているよ。更なる鍛造技術を身につけたいなら、ボクはここを出てドラゴンテイルで修行することを勧める。ドラゴンテイルには一番いい鉄の精製方法があると聞いている。また、刀と呼ばれる切れ味にも特徴を持つ武器を造っているらしい」
そうトーマスは勧めてくれたが、イオルクはここで鍛冶修行をやめるのに戸惑いがあった。いくらトーマスが勧めてくれても、圧倒的に修行期間が短い。故に、旅立つのに二の足を踏んでしまう。
「俺は、まだ――」
「ここでの修行は、本当の基礎でしかないんだよ」
トーマスはイオルクの言葉を遮り、右の拳を握ってみせる。
「自信を持って。君には素質がある。そして、大きな目標がある。ここに居ても新しい知識と技術は、これ以上手に入いらない」
「トーマスさん……」
トーマスはイオルクの左肩に右手を叩くように置く。
「ロングダガーを切断した武器以上の武器を造る……ほとんどの人が『そんなことは出来ない』と言うだろう。だけど、ボクは君が本気なのを知っている。その努力をしてきたのを知っている。だから、早く送り出してあげないといけない。誰も踏み込まなかった世界に踏み込むのだから、少しでも早く動き出さなければならないんだ」
イオルクは胸に込み上げるものを抑えて視線を落とした。
(この人は……偶然立ち寄っただけの俺なんかのために……。俺を送り出してくれるために――そうじゃない。まだ俺の腕が上がると信じてくれたから……)
トマスは語気を強くして続ける。
「いつの日か君が大成した時、ボクの教えた基礎が君の中にあったらって思うと凄く嬉しいよ」
イオルクは口を強く結び、期待に応えたいと強く思う。
(ありがとうございます。俺の可能性を信じてくれて……)
イオルクは強い決意を持って顔を上げる。
「一週間後に旅立ちます。旅に必要なものを色々と相談させてください」
トーマスは笑顔で頷いた。
「まだ僕にも頼られることがあったね」
イオルクは笑い返す。
「俺、まだまだ駆け出しですよ」
「そうだったね」
トーマスは立ち上がり、台の上の地図を持って元々貼ってあった壁へと向かう。そして、地図を張り直しながらイオルクに言う。
「明日からはイオルクの旅に必要なものを用意しよう」
「はい」
この日がトーマスとイオルクが供に仕事をする最後の日になった。
イオルクの造った剣は内陸へ武器を売りに行く時に一緒に売って貰うことにした。
…
六日後の夜――。
新たな旅の荷物でリュックサックは思い出と供に重さを増す。
麻袋一杯に小麦が詰まったほどの重さのある簡易金敷と入れ槌、鍛冶屋はし、鑢、砥石などの鍛冶道具。さしがね、鑿、鉋、彫刻刀などの鍛冶道具で代用できない大工道具。
これらはトーマスの使用している道具に限りなく近い形で新規に作成した。トーマスの使用していた道具を参考にしたのは、イオルクが鍛冶場でトーマスの道具を借りて手に馴染んだからだ。
唯一参考にできなかった金敷は、イオルクが使用していた急ごしらえの金敷を改修した。当初はイオルクが居なくなった後で分解して溶鉱炉行きのはずだったが、一から造り直すよりも簡易的な造りは都合がよく持ち歩くにしても丁度いい大きさと判断し、トーマスとイオルクは一緒に手を加えて仮で造った金敷を小型の金敷に生まれ変わらせた。
貸し与えられている部屋で、これらの道具を試しにリュックサックに詰めて背負うと盛大に膨らんだリュックサックは背中に覆いかぶさるようになっていた。それでも、まだリュックサックには余裕があるのだから、イオルクがノース・ドラゴンヘッドから持ってきたリュックサックが如何に大きいかが分かる。
「はは……。途中で見つけた鉱石も背負ったら箪笥みたいになるな」
新たな旅へ向かう準備は整った。
しかし、出発は明日だというのに、イオルクにはまだ遣り残したことがあった。
イオルクはリュックサックを下ろし、頭に右手を当ててガシガシと掻く。
「どうしたもんか……。こんなことは初めてだからな」
イオルクが困っていたのはケニーのことだった。村を出ることを話してから、ケニーとは少し疎遠気味になってしまった。理由も何となくだが分かっている。
出会った時こそ粗野な扱いを受けたが、大工仕事、鍛冶仕事の合間には常に一緒に遊んでいた。仲が良くなった分だけ、これから会えなくなってしまうことをケニーは否定したいのだ。
「ケニーとはちゃんとした、お別れが必要だよな」
イオルクは部屋を出るとトーマスに断りを入れて鍛冶場へと向かう。
鍛冶場の火は落としているため、金属を使ったものは造れない。イオルクは木材と小刀と彫刻で何かを作り始めた。
…
出発の日――。
イオルクは旅人の姿に戻る。村で生活していた時は必要のなかった皮の鎧を身に着け、腰の後ろにはダガーとロングダガー、腰の左横に鋼の剣。そして、背中には盛大に膨らんだリュックサック。
出発は、村の皆が出入り口の門まで総出で見送りをしてくれることになった。
『また来なさい』
『十年後ぐらいにな』
『家を建て替えるために』
村の人達の冗談に、イオルクは笑顔を浮かべる。
「鍛冶屋として腰を落ち着けたら来れないかもな。でも、村の家は、あと三十年は現役で頑張ってくれるよ」
『じゃあ、三十年後に必ず来てくれよ』
村の人達も笑っている。
そんな中、トーマスの隣に立つケニーだけが俯いていた。
トーマスが俯いたままのケニーの背中にやさしく右手を当てて話し掛ける。
「イオルクが行っちゃうよ。お別れはしないのかい?」
ケニーは俯いたままだった。
そのケニーに村の人達との挨拶を終えたイオルクが歩いて近づき、視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
ケニーが顔を上げれば無理やりにでもイオルクと視線が合った。
「今まで、ありがとう」
イオルクはケニーの右手を取って大きな両手で包み込む。
そっと離れたイオルクの両手から自分の右手に目を落とし、ケニーの目が大きく開いた。ケニーの右手の中には小さな花のモチーフが付いた髪飾りがあった。
その髪飾りのワンポイントの花には見覚えがあった。
「この花……イオルクと薬草を採りに行った時の……」
二人だけの思い出がよみがえる。
◆
その日は子供達の都合がつかなく、イオルクとケニーだけしか居ない日だった。ケニーはイオルクの薬草採取に付き合うついでにイオルクを秘密の場所へ連れて行こうと考えていた。
バスケットにお弁当を用意し、薬草採取が終わるとイオルクの手を引いて山の奥へとケニーは走り出した。
木々の作るトンネルを抜け、ぽっかりと空いたそこは一面に広がる花畑だった。
ケニーは思わず声を大きくしていた。
「凄く綺麗! ……あ」
普段、おてんばな一面ばかりを見せ、子供達の中でも男の子を押し退けてガキ大将のような位置づけのケニーはぼそっと呟いて、イオルクの顔を見上げた。
「どうせ、らしくないって思ってんでしょ?」
しかし、イオルクの顔を見たケニーは逆に驚いてしまった。
「……イオルク?」
「本当に綺麗だ……」
イオルクは花畑に目を奪われているようだった。
「どうしたの?」
「俺は、こういう景色を今まで見たことがなかったから……何て言ったらいいか分からない」
ケニーはイオルクの見ている方向に目を向ける。
綺麗だと思うが、ケニーには見慣れた景色の一つだった。だけど、ここに連れてきたイオルクが言葉を失うほど見入ってしまうのを見て、ここに連れてきて良かったと思った。
イオルクから小さく声が漏れる。
「ケニーは……ここにはよく来るの?」
「女の子達はよく来るよ」
「……そうか」
普段の締まりのない顔のイオルクが、今日は穏やかな表情をしているようにケニーには見えた。しかし、花畑を見て、何故、イオルクの顔が穏やかなのか、ケニーには分からなかった。
ケニーが理由を聞く前に、イオルクがゆっくりとした口調で話し始める。
「俺はさ……この村に来るまで剣を持って戦って、色んな人達を守ってきたんだ。でも、俺自身がその人達の何を守ってきたか、よく分からなかった。だから、ケニーが綺麗だと感じた花を見て、俺も綺麗だと感じて、同じ花を見て綺麗だと感じることができて、俺が守ってきたのは、人々がこういう風に綺麗だって思える時間だったんだって……今、ようやく分かった」
ケニーは不思議そうな目をイオルクに向けたあと、笑いながら言った。
「そのイオルクが守った人達も、花を見て同じように綺麗だと思えるといいね」
そう言ったケニーに、イオルクは笑みを向けて頷いた。
「ああ、本当に……」
イオルクとケニーは花畑に目を戻し、花畑の真ん中で凛と咲く花を見続けた。
◆
イオルクはケニーの右手の中にある髪飾りの花を指さしながら言う。
「名前も分からない、ただの花かもしれない。だけど、あの時、ケニーも俺も綺麗だと思った。二人だけしか知らない思い出の形を受け取って欲しい」
「イオルク……」
「ケニーのこと、忘れないよ。初めて会った時のことも、美味しかった料理のことも、一緒に遊んだことも……俺はケニーの子分第一号だからね」
あの花畑で見せたような穏やかな顔に向かって、ケニーは両手をイオルクの首に回して抱きついた。
「イオルク……大好きだよ」
「うん」
イオルクはケニーの背中に両手を回し、優しく抱き返す。
「本当は行って欲しくない……」
「ああ、俺もこの村を離れ難くなってる。――だけど、行かないと。俺は目的を持って旅に出て、一番大事な鍛冶屋の技術の基礎をトーマスさんに学んだ。その技術を育てて、一人前の鍛冶屋にならないと。そのためには世界を回って色んなことを知らなくちゃいけない」
「……うん」
ケニーは涙を流し、クスンと音を立てた。そして、ゆっくりとイオルクの首から両手を離して目元を拭うと、イオルクから一歩だけ離れる。
「イオルクなら……きっと、一人前の鍛冶屋になれるよ。いってらっしゃい」
「ケニーの御墨付きが出た。これで俺の将来は絶対に安心だ」
最後にイオルクとケニーは笑い合う。
やっぱり、別れは笑顔で済ませたい。
「わたしも、イオルクのことは忘れないからね」
イオルクはケニーの頭を撫でると、立ち上がってトーマスへ向き直る。
「トーマスさん、お世話になりました」
「頑張ってね」
「今まで、ありがとうございました」
イオルクとトーマスは握手を交わす。
トーマスの手を握りながら、イオルクの中では色んな思い出が蘇っていた。思いがけず立ち寄った村は一年一ヵ月を過ごすことになり、旅をする上で一番最初に身につけなくてはいけない鍛冶技術の基礎を習得させてくれた。
トーマスの手を放すと、イオルクは元気よく手を振る。
「みんな! 元気で!」
イオルクは踵を返し、世界を巡る旅へと足を踏みしめる。
漠然としていた目的から技術と材料を求める具体的なものへと変わる旅の一歩を踏み出して……。