「何て……言った?」
ヒルゲの声にクリスが振り向いた。
「聞こえなかったのか? 通行料を置いていけと言ったんだ。無断で汚ならしいお前が入ったんだ、当然だろう? な~に、その娘を置いて、今度は娘の代金と通行料をここに持って来ればいいのさ……、二倍の代金をな! 今度は、六年後だな! ゲハ…ゲハハハハハっ!」
クリスの抑えられていた感情は爆発寸前だった。奥歯が鳴るほど噛み締め、エルフの少女の手を握る反対の右手は握る力で震えていた。
だが、これがヒルゲの狙いだったのである。エルフの少女を置いて素直に代金を払うために出て行くのも、一興。エルフの少女を置いて逃げ出すのも、一興。エルフの少女の前でクリスを殺して、エルフの少女に一生消えない心の傷を負わせるのも、一興。どれを取ってもいい。
クリスが感情を剥き出しにすればするほど、ヒルゲを楽しませることになる。これは圧倒的な権力と力があるからこそ出来る遊び。安全な上から感情を逆撫でし、反応を見て嘲笑う遊びなのだ。
だけど、そんなことを許さない人間が居る。
イオルクはクリスとエルフの少女の元まで、ゆっくりと歩くと、クリスの右肩に手を置いた。
「予想通りだな」
イオルクの声に、クリスは怒り狂っていた状態から我に返る。
「……イオルク?」
「その子、足の裏に何か刺さってるみたいだぞ」
エルフの少女の歩いた床には血が付いている。感情が昂ぶった状態が続き、大事なことを見落としていた。
クリスは、エルフの少女の両肩を掴む。
「どうしたんだ?」
「……お仕事は鉱山の中だったから」
「裸足じゃないか……」
エルフの少女は申し訳なさそうに、ただ微笑むだけだった。
その笑顔を見て、クリスはエルフの少女を責めることは出来なかった。故にイオルクが気を利かす。
「今度の仕事で服一式買ってあげれば?」
クリスは、その一言で冷静になれる。長い間、話し続けてきた軽口。信頼していた親友の言葉は、普段の自分を忘れさせない。
「そうだな」
クリスは唇の端を吊り上げ、エルフの少女を抱きかかえると、エルフの少女は頬を少し染めてクリスにしがみ付いた。
「あとで、魔法を使って足の怪我は治すから……。少し落ち着いて話せるまで待ってくれな」
ヒルゲ達を無視して、イオルクとクリスは出入り口の方へと歩き出した。
しかし、無視されたヒルゲは気分が悪い。逆撫でして楽しむのは自分のはずだ。
「話を聞いていたのか! 通行料を払えと言っている!」
クリスが顔だけ向けると、眉間に皺を寄せて言い放つ。
「てめぇのルールなんて知るか! 下種野郎!」
無視して再び歩き出すクリスに、ヒルゲはハンターの一人に命令を出した。
「ブデイ! あのガキを殺せ!」
その命令で大剣を担いだハンターがクリスに向けて走り出す。
一方のクリスもヒルゲの声に反応すると、イオルクに向けてエルフの少女を投げて、呪文を紡ぎ出した。
…
イオルクはエルフの少女を丁重に両腕で受け取ると、自分の役目を理解する。出入り口の近くの壁までエルフの少女を抱えて走り、エルフの少女をそっと下ろした。
「あの人が殺されてしまいます!」
下ろされたエルフの少女が叫ぶ。
「危なくなったら、俺も加勢するから大丈夫だ」
「あなただって殺されてしまいます!」
エルフの少女の必死な訴えを聞いて、イオルクは頭を掻く。
「……見えないと不安だよな」
「え?」
「俺達さ、こうなるの分かってて来たんだ」
「どうして……」
「これが終わったら話すよ」
「……殺されてしまっては話を出来ません……」
尤もだと、イオルクは苦笑いを浮かべる。
「兎に角、もう止められないし、行くよ。親友の助けに入れる距離まで戻るから、一人で大丈夫だよな?」
エルフの少女は一繋ぎの簡素な服の裾を握り締める。
「わたし……耐えられない……」
イオルクは静かに目を閉じて考えたあと、ゆっくりとクリスに視線を向ける。
「確かに俺達がここで殺されれば、君に辛い思いをさせてしまう。でも、ここで君を置いて逃げ出しても辛い思いをすると思うんだ。アイツは――クリスは、それが嫌で自分で答えを出したんだ。ここで戦って助けるって覚悟を決めてたんだ。結果は、どうなるか分からないけど、目は見えなくても聞いていてあげてくれ。アイツの心の叫び」
イオルクはクリスの居る場所に歩き出し、途中、振り返る。
「ちなみに負ける気もないから」
イオルクが再び歩き出すと、残されたエルフの少女には不安だけが残った。