マサルは電話で村田に大丈夫と伝えてから、車で別の場所に向かった。
港の高級住宅区にあるエンジェとの「家」だ。
当初、リカを潰す計画を承諾した後、エンジェから家をプレゼントされた。
エンジェ個人が買った不動産だけど、マサルとの共有名義で登録された。
マサルはエンジェの情熱と好意を断られず、半分の金額を出して、その共有名義を承認した。
二人が「ハニームーン」だった時は、よくそこで一緒に過ごしていた。
先ほど、エンジェからメッセージがあった。
一緒に美しい夜を過ごしたいから、家に帰ってきて、と。
海の美しい夜景を見える部屋に入って、マサルはエンジェが用意したキャンドルディナーを無視し、単刀直入に本題に入った。
「新港駅デパートのテロ事件は、お前が仕組んだのか?」
エンジェは目じりを吊り上げて、隠しもしなく素直に認めた。
「そうよ。あのイズルを巻き込んで、殺すために。マサルちゃんと結婚できるなら、あたし、鬼でも何でもなれるわ」
「わざとその時間と場所を選んだな。俺とリカはそこにいるのを知っただろ」
エンジェの甘い告白は、反ってマサルの不快を刺激した。
「知らないわよ、そんなの。あたし、貴人から任務を受けただけだよ。貴人の担当分野は分かっているでしょ」
もちろん、マサルは知っている。エンジェに貴人と呼ばれている落合のメインの仕事の一つは、敵組織を波乱することだ。
敵組織を装うために、たくさんの情報が必要だ。
マサルはコミュニケーションに長けている故に、よく情報収集の任務を担当していた。
情報の受け渡しをしている間に、落合との対面が多くなった。
天童大宇が病気に倒れたあと、落合はエンジェに通じに、マサルを自分の陣に誘った。
だが、落合の命令だとしても、それを受け取ったエンジェの目的は不純に違いない。
マサルはトーンを下げて、警告にも似たような口調で言葉を置いた。
「なんなら、お前も知っているはずだ。貴人は俺にやってほしいこと。もう邪魔するな」
エンジェの反応を待たず、マサルは寝室のほうに向かった。
まもなく、スーツケースを持ち出して、エンジェの前で一つの封筒をテーブルに置いた。
「俺はこの不動産を放棄する書類だ。金は返さなくていい。何があったら俺の弁護士に聞いてくれ」
「マサル、あんた――!?」
エンジェははっと息を飲んだ。
これは関係を切る宣言じゃないか!
薄情な男!と叫びたいくらいだが、やはり女王様でいたいので、なんとか勝気な笑顔を絞り出した。
「あたしを傷付くことでリカにアピールするつもりなの?あら、当初リカを捨てた時、あたしにも同じようなことをしてくれたわね。マサルちゃんは本当にこういう手が好きなのね。けれども、リカはあんたのことを二度と信用するのかしら。ああ、けれども、マサルちゃんはMだから、リカお姉さまに見下ろされたら、きっといい気持でしょうね」
マサルは一度深呼吸して、怒りを抑えた。
「リカは俺を見下ろしていたかどうか、お前は俺よりよく知っているだろ」
「!?」
その話の意味をエンジェは秒で悟った。
(もう、気付かれたのか!?)
マサルは扉を出た瞬間、エンジェはテーブルクロスを強く引き出した。
贅沢なディナーと優雅な食器は床でただのゴミとなった。
防音のいい部屋から漏らした微かな叫びがマサルの耳に届いた。
エンジェは、彼女の名前と真っ逆な中身を持っているようだ。
愛情を語りながら、うまい手で他人を自分の欲望を満たすための駒にする。
出合った時からそれを知っていたはずなのに、なぜ、自分はこんなにも軽々しく操られたのか……
エンジェはこれで手を引くとは思えない。悔しさでまた邪魔しに来るだろう。
しかし、もっと緊急なのはリカのほうだ。
マサルは七龍頭たちにも一目を置かれた異能力者。
なのに、梅子はリカをエネルギーの容器に選んで、リカに妙な情報を伝えた――
「リカは、やはり、普通の人間じゃない。あのイズルに譲るわけにはいかない…!」
リカはイズルに何度も電話をかけたが、向こうがずっと電波のないところにいるようだ。青野翼に連絡しても同じだった。
GPSで確認したら、イズルが最後に入ったのは、新世界所属のビルだ。
何か危険なことをしなかったらいいけど……
焦っている気持ちでイズルのマンションに戻ったのはもう夜11時頃。イズルの部屋に明かりが点いているのを見て、リカは足をさらに速めた。
でもマンションの玄関に入ったら、携帯が鳴った。
メロディーは『ドナウ川のさざなみ』、イズルにつけた着信メロディーだ。
「おかえり、電話に出られなくてごめんね」
イズルの声は元気がないというか、緊張しているというか、いつもの余裕がない。
「ごめん。会社のほうにちょっと状況があって、急いで対応中だ。しばらく終わらない。お茶は14階のリービングに置いてある。持って行って」
「会社……?分かった。ありがとう」
リカは疑っていても、そのまま電話を切った。
どのみち14階に上がる。目で確かめたほうが早い。
14階に上がったら、やはり妙だと思った。
二人分のお茶は開封もせずにリービングのデーブルに置いてある。
イズルの部屋の扉が閉まっている。
お茶を飲む暇もなく、部屋に引きこもっていて、一体どんな仕事?
脳内で現れたあの画面、本当にただの幻なのか?
心配の気持ちに促されて、リカはイズルの部屋のドアをノックした。
「悪い、今部下に怒っているところだ。鬼の形相になっているから、誰にも会いたくない!」
「……」
とんでもない下手な嘘だね。
リカは一応エレベーターに向かった。
部屋でエレベーターの音を聞いて、イズルはほっとした。
リカが扉をノックしてくると思わなかった。
今の姿をリカに見られてはいけない。
先ほど、リカがマンションの下で見たイズルの部屋の光は、照明からのものではなく、イズル本人の体から発されたものだ。
今のイズルは、全身がライトのように光を放っている。
血が燃えるように熱く、脈が耳で聞こえるほど強く打っている。
***
デパートの前でリカと別れたら、なんとなくムカつく。
マサルのやつ、異能力が大した役に立たないのにもかかわらず、職務と地位を利用して、リカと二人のチャンスを作った。
イズルは一秒も浪費したくない、マサルを完全に凌駕する能力、
訓練場に行って、異能力を高める方法について青野翼の返事を催促したら、青野翼は「上から許可を取れました」と答えた。
「ただ、不良反応がでるリスクがあります。やきもちのために使うのはお勧めしません」
「誰がやきもちのためだと言った?万代家にはオレの入族に不快を感じる人がいる。ちょっとでもオレの弱さを掴めたら、きっとそれを言い訳にオレに手を出す。一時も早く、オレの能力の価値を見せなくてはならない。今日のテロ事件も、オレを狙っている可能性がある。オレは何か決定的な力を持たなきゃならない」
イズルは真剣だと分かって、青野翼は仕方なさそうにため息をつきながら、タブレットで何かを操作した。
「分かりました。CEOは堅実な訓練方がお嫌いで、どうしても近道で力を手に入れるのなら――」
青野翼はタブレットをイズルに渡す。
「これにサインしてください」
「これは……責任免除承諾書?」
その意味不明なファイルに、イズルは眉をひそめた。
「言ったでしょ。この方法はリスクがあります。僕はCEOの身の安全をちゃんと考えているのに、CEOは僕の一従業員としての立場を全く考えていないなんて、悲しいです。いきなり予定のない行動を入れて、しかも、協力者CEO本人を危険に晒すような行動……万が一のことがあったら、僕は上の人になんと申し上げたらいいでしょう」
「やめろ。いますぐサインする……」
青野翼の気持ち悪い話を阻止するためにも……
イズルはサインを決意した。