レッドトロールが放った電柱は、交差点で情けなく尻餅をついていたおっさんに直撃した。
肉がひしゃげる歪な音が妙に生々しく脳裏にこびりつくが、電柱はおっさんを貫通して背後の地面へ突き刺さる。
横断歩道が抉れ、その余波で信号機も破壊されてしまった。
北沢が、消え入るような声で呟いた。
「う、嘘、でしょ……? あの人、本当に……」
俺も目の前の光景が現実のものか信じられないでいた。
同時に、認識が甘かったのだと悟る。
ゲームに近い世界観でありながらも、自分だけは死なないと。
危機には陥りつつもどのプレイヤーも何だかんだ皆助かるんだと。
苦難はありつつも、最後は皆が笑顔になれるハッピーエンドの結末が待っているものだと。
《新世界》は、そんな俺にとって夢のようなワクワクだけが詰まった世界だと、
「おっさんは、死んだ、のか……?」
俺の問いに答える者はいなかった。
しかし、この場の誰もがその答えは分かっていた。
呆然と固まる俺と北沢の前に、険しい表情のプリムが口を開く。
「……遊一、未沙希。忘れているようであればもう一度思い出させてあげます。この《新世界》は、
プリムの可愛らしい声が重く心にのし掛かる。
普段のようなふざけた様子はなく、語気から真剣さが滲み出ていた。
「倒されたモンスターは死んでプレイヤーの経験値になるように、プレイヤーもまたモンスターから命を狙われ、弱ければ殺されるのです。それは文字通り、生物として『死ぬ』ということなんですよ」
無意識に目を背けていたのかもしれない。
《新世界》における、『死』の存在を。
「先ほどの男性は気の毒でした。しかし、あれが《新世界》本来の在り方なのです。弱肉強食……弱い者は強い者に蹂躙される。それが唯一、プレイヤーとモンスターに共通する絶対原則。ゲームを楽しむも現実逃避して塞ぎ込むもプレイヤーの自由ですが、この事だけはゆめゆめ忘れることのないよう、お願いします」
プリムの言葉は俺と北沢には大変に重く、受け入れがたいものだった。
日本という安定的な国で安穏とした日々を送ってきた俺たちは、あまりに平和ボケしている。
命をかけたゲームだと言われても、どこか現実感がなかった。
いや、どこかゲームの延長線のような感覚でモンスターに挑んでいたのだろう。
だが、もうそんな甘い自分とはここで訣別しなければならない。
さもなくば、次にあのおっさんと同じ結末を辿るのは自分自身になる。
「……そう、だな。これが《新世界》だ。身に沁みてよく分かったよ」
「か、神崎君……!」
俺は呟きながら立ち上がる。
北沢は瞳を潤ませながら俺を見上げた。
「だが、俺たちがやるべきことは変わらねぇ。どの道、エリアボスを倒さなきゃここから生き延びることはできないんだ」
「ま、まさか神崎君、またあの化け物に向かって行くつもり!?」
俺は無言のまま、プリムを見据えた。
「さっき俺は攻撃を食らっちまったが、何もボコボコにされっぱなしだったってわけじゃない。かすかな光だが、確かに効果的な攻撃手段も見えてきた」
超接近戦だが、レッドトロールの足首とアキレス腱を狙った攻撃は明確な手応えがあった。
現に俺の身体に飛び散った返り血が良い証拠だ。
この血は決して俺だけが流したものではない。
赤黒くこびりついた血痕は、俺がレッドトロールの足首から噴出させたものなのだから。
だからこそ、俺は再び腹を括る。
「俺はもう一度、レッドトロールに挑戦する――!」
その宣言に、北沢とプリムは何も言わなかった。
が、二人の様子は全く違う。
北沢が絶望に息を呑む一方で、プリムは目を閉じて短く息を吐く。
果たして、次に口を開いたのはプリムだった。
「……覚悟は決まったんですね、遊一」
「ああ。この状況は何も悪いことばかりじゃない。……あのおっさんを助けられなかったことは悔やまれるが、その怒りは事の張本人にぶつけるべきだろ」
双剣を握る手に力がこもる。
俺の認識は甘かった。
それは猛省しよう。
だが、今俺がやるべきはその猛省に押し潰されて蹲り、この場から動けなくなってしまうことではない。
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、そしてこれ以上何も失わないよう、眼前の敵に正しい認識の元、立ち向かうことだ。
「ナメた真似しやがって。あのエリアボスは、絶対に俺が倒す――……!!」