アパートの最上階に到着した私は、レッドトロールに少しでもバレないように身を屈めながら廊下を小走りで移動した。
そしてアパートの端まで辿り着くと、恐る恐る上半身を落下防止用の柵から露にして普通に立ち上がる。
「予め打ち合わせていた作戦だと、神崎君が不意打ちでレッドトロールの足に攻撃を仕掛けたら私たちの出番だったわよね」
「ですね。時間的にも、そろそろ遊一が攻撃を食らわせる頃合いですが――――」
プリムちゃんが神妙な面持ちでそう言った瞬間、レッドトロールの様子が一変した。
「ガグァ! グァアアアアアアアアアアアアア!!」
ビリビリと全身を震撼させる咆哮。
だけどその声は敵を威嚇するような攻撃的なものではなく、自らの身体に走る異変が反射的に叫ばせたような雰囲気をまとっていた。
同時に、私は事の状況を理解する。
「戦闘が始まった! 神崎君の場所は……」
「いました! あそこです!」
神崎君の姿を探していると、隣にいたプリムちゃんが少し上空に浮かび上がって街を俯瞰し、いち早く彼を発見する。
プリムちゃんが指差す方向に視線を移すと、双剣を握った男の子の姿が垣間見えた。
本来ならこの位置からでも周辺の家々が遮蔽物となって神崎君の体は見えなかったと思うけど、幸か不幸かこの辺りはレッドトロールが暴れまわってくれたおかげでだいぶ街の破壊が進んでいる。
そのおかげで本来ならぎっしりと建ち並ぶ家の多くが更地と化しているので良くも悪くも普段より見晴らしがいい状態になっていた。
私は作戦通り、プリムちゃんと魔力を連結させる。
「プリムちゃん! サポートお願いね!」
「任せてください! 遊一が死なないよう、私たちのバリアで守ってあげましょう!」
神崎君はレッドトロールの足に向けて果敢に攻撃を繰り出していた。
だけど、案の定レッドトロールの反撃が始まる。
集中攻撃を浴びていた巨大な左足が持ち上がった。
「来たっ! あれが神崎君が言ってた踏み潰し攻撃ね!」
「未沙希、準備はいいですか!?」
「もちろん! いくわよプリムちゃん――――結界魔法、シールドスフィア!!」
私が発動できる結界魔法、シールドスフィア。
その遠距離発動。
私の肩に手を置き、魔力を流して魔法を内部から安定させてくれているプリムちゃんの手助けを借りることで何とか実現できた応用技だ。
これまでは自分自身か近距離にいる相手にしか使えなかった防御魔法だけど、プリムちゃんのおかげで百数十メートル先にいる神崎君の元にまで届かせることができる。
「よしっ! 何とか
神崎君は踏み潰し攻撃をギリギリで回避し、再び猛攻を仕掛けた。
その瞬間、レッドトロールも叫びをあげる。
「このまま押し切れれば楽なんですが……やはりそうトントン拍子には行きませんか……!」
迫真さを帯びたプリムちゃんの声に、私は再び眼前で繰り広げられている戦闘に目を奪われた。
レッドトロールは反撃方法を変え、今度は左足を真っ直ぐに伸ばして浮かせてみせる。
まるでバレリーナの決めポーズのような格好。
直後、浮かせた左足を振り子のように振り下ろした。
神崎君をかかとで捻り潰そうという思惑が丸見えの単純な手法。
だけどそれも身の丈数メートルもある巨人が行えばまるっきり話は変わってくる。
「あ、危ない神崎君!」
「未沙希! ここからの距離だとシールドスフィアは長時間持続できません! 新しく発動しなおす必要があります!!」
「すぐに再発動するわよ! シールドスフィア!!」
プリムちゃんと魔力を同調させ、かすかに見えた神崎君に結界魔法を発動。
と同時に凄まじい轟音と粉塵が舞い上がった暴風が私の髪を靡かせる。
「か、神崎君は!? シールドスフィアは間に合ったの!?」
暴れ狂うように吹き抜ける土煙のせいで状況がはっきりと確認できない。
柵から身を乗り出して神崎君を探す。
まさか、私の魔法が間に合わなかったんじゃ……!?
もしそうなら、神崎君の安否は!?
血眼になって彼の姿を探す私に、プリムちゃんが声高に叫んだ。
「あっ、見てください! あそこにいるのは遊一じゃないですか!?」
「えっ! あっ、ほ、本当だ!」
神崎君は、辛うじて一軒家の骨格を保っている半壊した家屋から飛び出してきた。
その姿を見てほっと胸を撫で下ろす。
万が一の最悪の事態も脳裏に
どうやら大きな怪我もないみたい。
そして、手にした双剣を突き立てようとした所で――――
「ガグァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
今日何度目かのレッドトロールの咆哮。
だけど、今回の絶叫は今までのどれとも一致しない、不穏な攻撃性を滲ませている予感がした。
果たして、私の直感は的中してしまう。
「やれやれ……ついに来ちゃいましたか。気合い入れ直してください、未沙希。本当の戦いはここからですよ」
チリ……、と頬を撫でる熱風。
刹那、レッドトロールの口や手から、ボワッ! と深紅の炎がまろび出た。
その光景に、私は思わず息を呑む。
「神崎君が言ってたレッドトロールの炎魔法……! ついに相手も本気を出してきたってことなのね……!?」
言うなれば、これまではお遊び。
前哨戦に過ぎない。
そう告げるようにレッドトロールは不敵な笑みに相貌を歪ませ、青筋を浮かべながらちっぽけな神崎君の姿を見下ろしていた。