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第十章 過去と真実(1)

父が来て以来、寿はなごみに任せきりだった家事を積極的に手伝うようになった。父への説明では、なごみは寿の姪っ子ということになっている。


いくら親戚でも住まわせてもらっている恩があっても、小学一年生の女の子に炊事洗濯掃除、一切を担わせていると恋人の父親に思われるわけにはいかない。


 今夜は天ぷら作りを父となごみに任せた分、後片付けは寿が中心になった。寿が皿を洗い、なごみが布巾で雫を拭う。



「コンペ!? 新製品開発!? プレゼン!? あんたにそんなことできるの!?」

「しっ、静かに。お父さんに聞こえちまうだろ」



 なごみが布巾を持っていないほうの手で口を塞ぎ、隣室の父親を振り返った。開け放たれた引き戸の向こう、父はテレビの野球中継に見入っている。



「務まるかどうかわかんないけど、とりあえずやってみるよ。副島さんっていうすげー怖い上司がさ、珍しく俺のこと勝って、推薦してくれてるんだ。その気持ちに応えたいし」


「へー。寿にしては、殊勝なこと言うじゃない」

「俺だって、やる時はやるんだよ。ハイ、これで終わり」



 寿の右手がきゅっと蛇口を締め、台布巾でシンクの周りの水滴を拭いた。いつもよりも晴れやかで輝いてさえ見えるその横顔に、なごみはしばし見入ってしまった。


 寿は今急速に変わり始めている。三十路前にしては頼りない、いつまでも『今時の若者』を卒業できずにいたぐうたらな青年は、ようやく大人になりかけているのだ。寿は寿のやり方で、自信を手に入れようとしている。



「おぉ、二人とも任せちゃって悪かったね、後片付け」

「いえいえ、お父さんには作るほう、頑張ってもらったから」

「これ、どうぞ。二人ともお疲れ様ってことで」



 なごみがお盆に載せて、冷蔵庫から出したての缶ビールとナッツの皿を運んでくる。男二人は喜んで乾杯し、なごみは虹色に泡立つ液体をぐっと自分の喉にも流し込みたいのをこらえ、自分用に用意したオレンジジュースをちびちびと飲む。


子どもの不便なところは、こういうところだ。もっとも飲んでみたところで、舌は七歳なのだからビールの苦味を美味しく感じてくれるかどうかは、わからないが。



「なみちゃん、土曜日楽しみだね」

「はい」

「土曜日? 何かあるの?」


「学校の友だちと約束したんだよ。公園にピクニックに行くんだよ、ね」

「はい。お弁当とお菓子持って、ガーデンパーティーです」


「ふぅん。俺は土日も仕事かなぁ。家でもやんないと、プレゼンに間に合わないし」



 寿はなごみの生活にはあまり興味なさそうに、缶ビールに口をつける。なごみはテレビの野球中継を見るともなしに見ていた。父はテレビを見ているふりをして、その目はなごみの顔の輪郭をちらちらなぞっていた。


 いつもと変わらないように、夜は更けていった。


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