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第3話 変わらない日常



 少年がドーヴェルニュ邸に預けられてから気が気じゃないマリウスは、毎日屋敷に赴いては少年の様子をリアーヌや使用人たちに尋ねてくれていた。その報告によると、ちょっと口調が子供らしくないけど、特に悪さをすることもなくリアーヌの言うことをちゃんと聞いていい子にしていて、使用人たちにも可愛がられているようだ。私はいつもそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしている。

 というか。毎日欠かさず少年の様子を見に行ってるけど、まるで人の家に預けた我が子を心配する父親みたいだ。本人には言わないけど。派遣も終わったから暇なんだと思う。


「あらマリウス。また今日も来たの?」


 ドーヴェルニュ邸に通い続けるマリウスを、まるで常連客のように見るリアーヌ。顔を合わせるのも客間じゃなく、エントランスホールで簡易的になった。


「そんな毎日来なくても……。心配しなくても、あの子は今日もいい子でいるわよ」

「本当か?」

「本当に害はないわよ。言葉遣いは上から目線で注意しても直そうとしないけれど、それ以外は何も問題はないわ」

「本当に何も問題ないんだな?」


 リアーヌも使用人たちもいつも通りだというのに、少年を信用しきれていないマリウスは眉間に皺を寄せて疑ってかかる。郷に入ったから郷に従ったはずなのに、まるで信用しようとしないマリウスに半ば呆れるリアーヌは、両手を腰にあてた。


「私の言葉が信じられない? まるで、人の家に我が子を預けて迷惑をかけていないか心配する父親みたいよ?」

「誰が父親だ」


 マリウスの眉間の皺が二本くらい増えた。でも、マリウスが心配するのは仕方がない。勇者としての本能が油断を許さないんだと思う。


「あの子が心配とか言って、本当のところは、ボランティアとかで忙しい舞夏の代わりに来てるところもあるんでしょ」

「まぁな。それより、今日は着飾ってるじゃないか」


 この日のリアーヌは、普段着のドレスよりも少し派手めでアクセサリーも身に着けていた。


「今日はパーティーをしているの。こっちに転移して来てからストレス溜まりっぱなしだから、イベントの打ち上げも兼ねてみんな無礼講で飲んで踊っているのよ。そうだ! マリウスもパーティーに参加しなさいよ」

「俺はいいよ。様子見に来ただけだし。この通りポロシャツとスラックスで、パーティーに出るような格好してないし」


 パーティーに誘われたマリウスだけど、自分の服装を見て気が引けた。今や、たけちゃんの昭和レトロな服はすっかり馴染んだけれど、これで社交場に行くのはさすがに抵抗があった。


「大丈夫よ。みんな私みたいに着飾っている訳じゃないし、普段着だから。どうせ暇なんだからいいでしょ。さ。行きましょ」

「ちょ……」


 まだ何も言っていないマリウスが遠慮したげな顔をしているのも無視して、リアーヌは彼の手を握ってパーティー会場に引っ張って行った。

 マリウスの手を引くリアーヌは、屋敷の中を通って中庭に出た。そこは緑いっぱいの素敵なガーデンになっていて、植木職人の手で手入れをされた球体や四角い庭木や、深緑に差し色をする花が可憐に咲いている。

 二人は噴水池を通って、蔓のアーチを抜けた。すると、目の前に現れた建物からスローテンポの音楽が聞こえてくる。屋敷と同じ白い石造りで同じ青みがかった色の屋根の横長の平屋の建物は、まるで森の中のレストラン。扉の前に並べられた抱えられないほど大きい鉢植えには身を寄せ合うように花が咲いていて、大きな花束のようだ。


「ここがパーティー会場よ」


 リアーヌが白い扉を開けると、音楽が優しい海風のようにマリウスを包み込んだ。

 中は結構広々としていて、等間隔にある大きな窓から日の光が入ってきていた。剥き出しの天井は昔ながらの日本家屋に似ていて、太い梁が何本も横たわっている。その梁から、照明がいくつも吊る下がっていた。

 集まった人たちは音楽に合わせて思い思いに踊っていたり、軽食を食べていたりしてパーティーを楽しんでいる。近所の人たちの他にも屋敷の使用人たちもいて、今日は仕事を忘れて羽目を外していた。

 連れて来られたマリウスだったけれど、なぜか表情が優れず、内心「騙された」と後悔していた。その理由は服装だ。リアーヌはみんな普段着だと言ったけれど、参加している人たちはそれよりもちょっといいお出かけ着を着ていたからだ。マリウスみたいにポロシャツにスラックスは、白髪頭のおじいさんくらいだった。


「あれ。音楽、生演奏なのか?」

「そうよ。浦吉中学の吹奏楽部の子たちの練習する場所を奪ってしまったから、この建物を貸していたの。そのお礼に今日は演奏してくれているわ」


 端にはちょっとしたステージがあって、制服姿の浦中吹奏楽部が演奏していた。コンクール出場経験もあって今年も地区大会止まりだったけれど、県大会と地区大会では入賞するくらいの実力はある。


「でも、こういう時の音楽って言うと、バイオリンとかがいるイメージなんだが」

「吹奏楽部なんだからいる訳がないじゃない。いいのよ。どんな音楽でも踊れれば」


 吹奏楽で優雅に踊るようなイメージはないけれど、指揮をしている顧問の先生がわざわざ今日のために編曲をしたらしい。だけど、かしこまった音楽には疎いであろうシニアたちは、吹奏楽だろうが管弦楽だろうが関係なさそうだ。


「あいつは?」


 パーティーよりも大事な件があるマリウスは、会場内を見回してリアーヌに尋ねた。


「向こうでみんなに可愛がられているわよ」


 魔族の少年はテーブルに座って、使用人の女性や近所のおばさんたちに焼き菓子やアイスを与えられてチヤホヤされていた。


「少年、こっち向いて! うん! かわいいよ! 口から垂れてるアイスが魅力を倍増させてるよ!」


 志穂ちゃんも、インスタントカメラで少年を撮りまくっている。少年がたけちゃんとの約束を守っているおかげで、誰も怪しんではいなかった。

 すると、吹奏楽部が演奏する曲が少しテンポの早い曲に変わった。


「曲が変わったわ。マリウス、踊りましょ」

「いや。俺はいい」

「どうして。恥ずかしいの?」

「こういう社交場は初めてなんだ。ダンスもしたことがない」


 社交場初心者だからと、マリウスは恥をかくのを気にして遠慮した。


「大丈夫よ。みんな自由に踊っているから、ヘタでも誰も笑わないわよ」

「いや、でも……」

「いいから!」


 リアーヌは遠慮するマリウスの手をまた強引に引っ張って、踊る人々の中に混ざった。

 二人は対面で立ち、マリウスに自分の手を取らせたリアーヌは、ドレスのスカートを摘んで一礼した。社交場は初めてのマリウスは、自分に身体を寄せてきたリアーヌの右手を彼女に言われるがままに取り、腰に手を回した。

 リアーヌは音楽に合わせてステップを踏み始める。普段踊り慣れている管弦楽とは違うけれど、ブロンドの髪を揺らし、ドレスの裾をひらりと靡かせて華麗に踊ってみせた。

 リアーヌをリードするはずのマリウスは、必死に彼女の動きに合わせようとする。彼女が右にステップを踏めば半テンポ遅れて左に足を出し、左足が一歩後ろに下がれば遅れて右足を前に出す。その視線はずっと足元にいっていて、リアーヌと違ってバタバタと酔っ払いの千鳥足だ。それに、シニアに混ざってマリウスが踊っていると、ヨーロッパ風の建物内は昭和のダンスホールさながらだ。


「マリウス。表情が堅いわよ。リラックス、リラックス」

「て言われても……」


 リアーヌのステップに付いていくのがやっとで、マリウスはリラックスなんかできない。シニア世代は若かりし頃を思い出してエンジョイしているけれど、眉間に皺を寄せながら踊ってるのはマリウスくらいだ。


「うぉあっ!?」


 必死になり過ぎて足をもつれさせたマリウスは、バランスを崩して倒れそうになった。リアーヌはそれを瞬時にカバーしてくれる。


「大丈夫?」


 もう何やってるの、と言いたげにリアーヌは微笑んだ。男性の身体を支えられるなんて、お嬢様なのに意外と腕力がある。

 マリウスは体勢を立て直したけれど、やっぱり足元から目を離せない。それでも繰り返しのステップに少しずつ慣れてきて、リアーヌの顔をちらちら見られるようにはなってきた。


「少しは慣れた?」

「まぁ。エスコートされてるのは恥ずかしいけど」


 周りの視線が気になるマリウスは、自信のなさと恥ずかしさをもろに顔に出した。


「これを機に、あなたも嗜んでみることね」


 エスコートをしてくれているのが年下の社交界の先輩で、しかも余裕の笑みだから余計に恥ずかしいのかもしれない。マリウスはこれでは勇者の面目が立たないと考えたのか、無理に余裕を見せ始めた。


「気性が荒いキャラだって聞いてたけど、周りの気遣いはできるしこういうダンスもちゃんと踊れるの、ちょっと意外だ」

「気性が荒いって……。それ、舞夏が言ってたんでしょうけど、もうちょっと言い方どうにかならなかったのかしら」


 リアーヌは怒りはしないけれど、苦笑しながら言う言葉の端に少しだけ棘を覗かせる。


「そういう性格だと、わがままで習い事とか絶対しなそうで両親を困らせまくってるんだと思っていたが、そうじゃないんだな」

「一体誰をモデルに想像しているのか知らないけれど、こんな私でもレディの端くれなのよ。お父様に恥をかかせないようにというのもあるけれど、あれこれを嗜むのは貴族の生まれとして当然のことよ」

「だが、その性格は半分は親のせいだって聞いたが」

「まぁね。お人形のように可愛がられた箱入り娘だから。私を本当に目の中に入れて死ぬほどの痛みと大量出血をしても幸せだというくらいにね」

「それは異常過ぎないか」


 リアーヌは呆れた言い方だけど、両親の深過ぎる愛情表現にチョイスした言葉にマリウスは少し引いた。


 演奏していた曲が終わって、二人は窓際に移動した。苦手な場所から逃れられたマリウスは、心の底からホッとする。


「マリウスは、勇者に転生できて幸せ?」

「そうだな。前世よりは生き甲斐を感じている」

「私も。ぶっちゃけ習い事めんどくさ! って思う時はあるけれど、前世の六股クソ野郎よりもいい男と結婚できるなら全然」

「もう結婚相手のことを考えてるってことは、将来の展望もあるのか?」

「もうバッチリよ! どんな家に住んで子供は何人生むかとかまでちゃんとイメージできているわ。マリウスは考えないの? 確か二十代後半よね?」

「考えなくはないが、今は魔族討伐が第一だ。恋だの何だの言っている暇はない」

「それがあなたの使命だから?」


 それまで普通の青年の顔だったマリウスの表情が、勇者マリウスの表情に変わる。


「そうだ。俺が異世界転生したのも、魔王を倒す勇者に選ばれるべくして転生したのかもしれない。だから俺は、運がなかろうが何だろうが、それが宿命だと信じてやるべきことを果たす」

「違う世界に転移して来ても、その使命感は消えないのね。少しくらい勇者だということを忘れたっていいんじゃないの?」

「舞夏にも同じことを言われた。だが」


 マリウスは、未だに志穂ちゃんやお姉さま方に囲まれてチヤホヤされている少年の方を見た。その目には疑念がこもっている。


「この世界にも守るべき者たちがいる。だから俺は、俺の使命を忘れない。どこにいようとも」


 こっちの世界に転移して少し気持ちが揺らいでいたマリウスだけど、私に胸襟を開いてくれた時からその心に纏い続けていた勇者の鎧を脱いでいた。けれど、あの少年が現れて再びその鎧を纏った。少年が魔族の子供なのだから警戒するのは当然で、このままマリウスまで平和ボケになるよりはいいんだと思うけれど。


「さすが勇者様ね。だけど、一つだけいいかしら」

「なんだ」

「ちょっとカッコいいこと言ったかもしれないけど……ズボンにアイスがべっとりよ」

「ええっ!?」


 見ると、スラックスの右側に白くてとろっとしたものが付いていて、ほのかにバニラの甘い香りがする。魔族の少年の他にも小さい子供がいるから、アイスでも持ちながら歩き回っていたんだろう。

 マリウスはげんなりしてスラックスを摘む。生地をしっとりとさせたアイスは繊維を通過して、太腿の裏をベトつかせていた。

 リアーヌは洗濯をするから脱げと言ったけれど、さすがにそこまでされるとプライドが傷付きそうだったマリウスは断った。なのでリアーヌは、使用人に濡らした布を持って来てもらってアイスを拭き取った。


「じゃあ帰る」

「えっ。もう帰るの? もう少しいればいいじゃない。アイスが付いたのそんなにショックなの?」

「それはもういい。というか、目的はパーティじゃない」

「……なんだか今のマリウスは、勇者感が強くてつまらないわ」

「勇者感てなんだ。俺は勇者だ」


 キメ顔で言うマリウスだけど、スラックスアイスべっとり事件の直後だから格好が付かない。

 リアーヌとはその場で別れて、マリウスは建物を出ようとした。すると、扉のところに立っていたセルジュと出会した。セルジュは睨みつけるようにマリウスを見つめる。


「何しに来た」

「預かってもらってる少年の様子を見に来ただけだ。というか。俺への視線がずっと痛いんだが」


 マリウスがリアーヌに連れられて来た瞬間から、セルジュはその鋭い視線を彼に送っていた。マリウスも到着してからその視線をずっと感じていて、先日の「不埒」発言と言い、敵対されるようなことはしていないのにと困惑している。


「お前がリアーヌに汚らしい手を出さないよう、見張っているだけだ」

「俺、勇者だぞ? なんでお前は俺を信用しないんだよ」

「オレは仕事をしているだけだ。必要以上にリアーヌに近付くな。馴れ馴れしいんだよ、不埒め」

「不ら……。言っとくけど、今日はリアーヌが悪いからな。俺はリアーヌに手を引かれて連れて来られただけだからな?」


 あらぬ疑いをかけられているマリウスは、通用するかわからないけれど無実だと自供しておいた。セルジュはそれを右耳から左耳に通過させただけなのか、マリウスへの忠告を続けた。


「リアーヌは性格には難があるが、」

「主の欠点をはっきり言ったな」

「見ての通り、使用人から領民まで周りの者たちに好かれる人柄だ。それを好意と勘違いされても、あいつの迷惑になる」

「だから心配するなよ。俺はリアーヌのことは、転生仲間だと思ってるだけだから。お前のリアーヌに手を出すつもりは微塵もないから安心しろ」

「何を……」


 マリウスは、セルジュがリアーヌに好意を持っていることを私から聞いていた。その誰にも言っていない秘密の恋を知っている口振りに、セルジュは少しだけ動揺したように見えた。


「頑張れよ」


 マリウスはセルジュの肩をポンと叩いて恋を応援すると、それ以上は何も言わずに帰って行った。またカッコよくキメたつもりだろうけど、前世から恋人なしの上にアイスの染みを付けたままの人に言われても、セルジュの癪に障るだけだと思う。




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