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第5話 裏切り。女の戦い



 その頃ヘルディナは一人でドーヴェルニュ邸を訪ねていて、リアーヌとセルジュが屋敷の玄関先で出迎えていた。


「あら。誰かと思えばヘルディナじゃない。朝早くにどうしたの」

「先日からお預かり頂いている魔族の少年を、引き取りに参りました」

「そうなの。マリウスが命じたの?」

「そうです」


 ヘルディナはにこやかに頷いた。


「あの子のことは一度、議論になったわよね。マリウスは監禁しようとしているの?」

「そうではありません。ずっとお預かりして頂くのは申し訳ないので、引き取らせて頂くだけです」

「ということは、フーヴェルの住人に不安を与えずに管理下に置く方法が見つかったのね」

「ええ」

「そう。わかったわ。ちょっと待ってて」


 リアーヌはセルジュに少年を連れて来るように言った。そして数分後、使用人に手土産の焼き菓子を持たされた少年が連れて来られた。


「迎えが来たのか?」

「私たちと一緒に住むのは、もうおしまいなんですって。いったんさよならね」


 リアーヌは少年の頭をキャップ越しに撫でた。リアーヌはひとりっ子だから弟ができたように思っていて、その表情は少し寂しそうだった。けれど少年は「世話になった」とあっさりしていて、別れを惜しむような雰囲気はなかった。


「さあ。一緒に参りましょう」


 ヘルディナは少年に手を差し伸べた。少年も何の疑問もなく、その手を取ろうとした。

 ところがその寸前で、リアーヌは少年の腕を掴んだ。


「ちょっと待って」

「どうかされましたか?」

「本当にマリウスは引き取ると言ったの?」

「ええ。だからこうしてお迎えに……」

「あなた、嘘をついていないわよね?」


 リアーヌはヘルディナに疑念の目を向けて、少年を後ろに隠した。


「マリウスが管理下に置くなら、自分の目が届きやすい笹木家周辺を選ぶんじゃないかしら。けれどそうなると、この子の存在がフーヴェルの住人に気付かれるリスクがある。マリウスがそんな近くに場所を用意するとは思えないけれど」

「そんなに近くではありませんわ。広い道を隔てた向こう側に空き家を見つけたので、そこを借りることになったのです」

「それもあり得ないんじゃないかしら。その辺りって、『なし勇』エリアじゃない普通の民家が集まっているはずよ。この世界の住人しか住んでいない場所に、果たして危険を危惧するこの子を監禁するかしら」

「マリウスがそう選択したのですから、危険はもう心配していないということですわ。ですから……」

「それは絶対にないわ。だって昨日、マリウスは言っていたもの。この世界にも守るべき者たちがいるから、どこにいようとも自分の使命を忘れないと。真剣にそう言った者が、たった数時間で意志を簡単に翻意するはずがないわ。それに引き取りに来るのなら、マリウス自身が来るはずよ」


 リアーヌは少年を渡すことを拒んだ。昨日のマリウスが、勇者の使命を自分が生きる理由のように言っていたことを信じて。あの頑なな正義感を尊敬した自分の直感を信じて。


「一つ訊いていいかしら。あそこに見える黒雲は何か、あなたは知っているの?」


 ドーヴェルニュ邸からも黒雲は見えていて、リアーヌたちも念のために警戒をしていた。

 質問されたヘルディナは沈黙した。そして答える代わりに、「クククッ……」と喉で笑った。


「小娘が。大人しく渡せばいいものを」


 ヘルディナは、それまでとは違う高慢な顔を覗かせた。

 彼女は間合いを取るように素早く後ろに退くと、占いにも使っている杖を出し、杖の尖端をリアーヌの方に向けると魔法陣を出現させた。


「猛狂たるヴィルト・ドラーク


 ドッ!


 そしてリアーヌたちを狙って魔法陣から黒いうねりの塊が放たれた。


「!?」

「リアーヌっ!」


 唐突な展開に身体が動かないリアーヌを守ろうと、セルジュは咄嗟に彼女の身体を抱きかかえて攻撃から助けた。二人は地面に転がり、ギリギリ直撃を逃れた。


「っ! ……セルジュ!?」


 リアーヌに覆い被さったセルジュは地面に頭部を打ち、気を失っていた。攻撃を避ける時に右腕を負傷したらしく服が裂けて出血していたけれど、おかげでリアーヌは無傷だった。

 大切な専属使用人が傷付けられて、リアーヌは黙っていられなかった。すぐに立ち上がり、ヘルディナに反撃を始める。


「我と契約せし精霊よ、主の言霊を聞き届け、その命を果たせ───怒れるフラム・エン・コレール!」

防御ヴェルデーディヒング


 リアーヌは炎を放つが、攻撃魔法としては弱くヘルディナよりも魔力が劣っていたために、簡単に防御されてしまった。


「青炎の槍宴フランメデ・スピール

防御バリヤー!」


 しかも間髪入れずに矢継ぎ早にカウンター攻撃をされ、すぐに防御に徹しざるを得ない状況に陥る。


(この人、強い! ただの占い師じゃなかったの?!)


 ヘルディナとの魔力の差が月とスッポンのリアーヌは、その実力差に焦る。これまで幾人もの婚約者候補を倒してきたリアーヌだったけれど、誰とも魔力で競ったことはなかった。これが初めての魔力戦となるリアーヌは、自分の非力さと魔力のみで戦うことの厳しさを味わわされる。

 けれど、逃げる訳にはいかなかった。後ろにはセルジュが倒れているから、何としても守らなければならなかった。しかしその思いとは裏腹に、リアーヌの魔力は確実に削がれていく。


蛇鞭スラング・スウィープ


 やがて、反撃もままならないままリアーヌの防壁は砕かれてしまった。


「キャアッ!」


 リアーヌは吹き飛ばされて倒れた。魔力の差は歴然だった。もう防御し続けるほどの魔力は残っておらず、万事休すだった。リアーヌは悔しさで奥歯を噛み締める。

 ところがヘルディナは、彼女にとどめは刺さなかった。


「さあ。城へ行きましょう。


 ヘルディナは、再び少年に手を伸ばした。純粋な魔族の少年は素直にその手を取り、倒れる敗者たちにはすでに無関心の彼女は少年と共に宙に浮いてそこから去ろうとする。けれど、リアーヌはまだ諦めていなかった。


「待ちなさい! 我と契約せし精霊よ、主の言霊を聞き届け、その命を果たせ───蠢く大地テール・キ・ス・トール!」


 リアーヌは残りの魔力を振り絞って攻撃した。しかし当然歯が立たず、杖から放たれた波動で一掃されてしまった。


「その程度の魔力でわたくしに楯突こうなど、百年早いですわ」


 宙に浮くヘルディナは、虫けらを見下ろすように蔑視を向けて言い放った。そして再びリアーヌに杖を向け、さっきよりも大きな魔法陣を出現させた。


「深闇からの祝福アフゴーント・エクスプロジー

「……!」


 無慈悲に放たれた攻撃は、爆音と共に土と石畳を吹き飛ばした。





 ドーヴェルニュ邸で起きた爆音は、少し離れた本地区の方まで届いた。


「何だ!?」

「今のは爆音だニャ。東の方向で、そんなに遠くない距離ニャ!」


 耳がいいノーラが、大体の方角も距離も把握して教えてくれた。


「東の方向って、浦中の方じゃん!」

「日経金で事故でも起きたの?」


 ボランティアの望月さんが恐れを口にした。確かにこの辺で爆音が起きるとすれば、日経金にっけいきんで事故か、もしくは何かしらの事件が起きたのかもしれない。そう考えた私の頭に、魔族の少年の姿が浮かんだ。あどけない小学一年生くらいだった容姿が、魔族らしく変貌する姿が。


「まさか。魔王城と関係があるのか」

「わからないが、魔王城が現れたのなら、その主もこっちの世界に来ている可能性もある」

「それって……」


 魔王。北の大地の広大な領地の巨大な城に鎮座し、強大な力と権力を持つ、魔族の王。マリウスたちの討伐の旅の最終目的で、最大の敵。

 場の空気が一気にピリピリして、マリウスたちの表情にも余裕が見えなくなる。急転する事態に緊迫している様子が、不安そうにする小西さんたちにも伝わっていた。


「しかし、魔王が来ているのならとてつもない魔力を感じるはずだが、何も気配を感じないぞ。城だけ転移して来たのかもしれない」

「そう決め付けるのは早い。もしかしたら魔力を抑えているのかもしれない。とりあえず、出現した魔王城とさっきの爆音の関連を調べる」


 マリウスは瞬時に最適な行動を考え、私たちに指示する。


「俺たちで急いで爆音の原因と状況を確認に行く。舞夏たちは消防隊員に要請して、魔王城近辺の住人に緊急避難を指示してくれ。その他の地区の住人にも、家から出るなと言って回れ。それから、今日の観光はやめるようSNSで拡散しろ。もうちらほら来るかもしれないから、ドーヴェルニュ邸に向かう途中で駅の交番に寄って、観光客には駅でUターンしてもらうよう警察官に俺から伝えておく」

「わ、わかった」

「ノーラは残って手伝ってやってくれ」

「了解したニャ」

「こっちのことは頼んだぞ。怖くて不安かもしれないが、俺たちがいるから安心して事に当たってくれ」


 凛々しい表情で勇者らしく振る舞うマリウスは、私を頼った。

 私は、自分の中の不安を言いたいけど言えなかった。何か言い返されるかもしれないと思ったのもあるけど、たぶんマリウスは、私が考えていることを察してくれている気がした。だから「怖くて不安かもしれないが」って言ったんだと思う。

 私は後悔するのはあとにした。ここで私が取り乱したって、対処に遅れが出て結局また迷惑をかけてしまう。それに、私が責任を取ろうと動いても足を引っ張るだけ。今は私ができることをするしかなかった。それに、魔王の出現を示唆されてヘコんでいる場合じゃない。

 私は力強く頷いた。私が大丈夫だと確認したマリウスも頷き返した。


「ヴィルヘルムス、ティホ。行くぞ!」


 装備を整えた三人は、急いでドーヴェルニュ邸へと向かった。見送った私も、小西さんたちと連携して避難を呼びかけに走った。




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