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第7話 魔王降……臨?



「私はこの世界に転移して来てからずっと、陛下を魔王城ごと転移する準備を進めていたのです」

「転移して来てからずっと?」

「まさか。一人で散歩に行ったり帰宅時間が遅かったり単独行動が多かったのは……」

「魔王城を転移させることができる広い土地を探していたのです。この計画は誰にも気付かれずに進める必要があったので、なるべく目立たずに行動することを心がけて探し続けました。その相応しい場所として選んだのが、あの丘の上にある学校でした。昼間は人気がありますが、夜になれば侵入は容易でした。そして私は、魔王城を召喚する魔法陣を描くために夜な夜な敷地に侵入していたのです」

「だが、魔法陣なんてすぐに描けるんじゃないのか」

「次元を超えて魔王城を召喚するには、それなりに大きく複雑な魔法陣を描くので、一人では一晩では描ききれません。ですが、続きを描きに翌晩に行くと魔法陣が消えていたので、そのたびに描き直していたのですよ」


 そう聞いたマリウスは、少しだけ気になったことがあった。


「描き直したのか……。魔法陣は相当デカイんだよな?」

「ええ。ドラゴンなんて余裕ですっぽり入るくらいですわ」

「それを毎晩描き直したのか。一人で」

「そうですわ」


 三人は、ヘルディナが夜な夜な一人で学校に忍び込んで、描いた魔法陣が消えているのを見つけてはせっせと描き直している場面を想像したんだと思う。心の中で「大変そうだな」とちょっとだけ同情したような、微妙な表情をした。


「それが何か?」

「なんでもない。続けてくれ」


 三人は気を取り直して続きを聞いた。


「私は魔法陣を完成させるために数日間毎夜通いました。ここで大事なことを申し上げましょう。その魔法陣は陛下ごと魔王城を転移させるためと言いましたが、そのためだけの魔法陣ではないのです」

「転移させるためだけじゃないって、どういうことニャ」

「あの魔法陣には、陛下の力の源であり好物でもある人間の生命エネルギーを蓄える機能も備えたのです」

「生命エネルギーを!?」

「昨日のお祭では多くの人間が一ヶ所に集まったおかげで、収集しやすかったですわ」


 私たちが翌日にだるいと言っていたのは、急な老化でも盆踊りを張り切り過ぎた訳でもなく、ヘルディナが私たちの生命エネルギーを吸い取っていたからだった。

 魔法陣を完成させたヘルディナは、杖の水晶玉を媒体にして生命エネルギーを収集し、着々と魔法陣に溜めていった。そして人知れず遂行していた計画を、仲間にも気付かれずにやり遂げたのだ。


「こんなお姿で現れて戸惑いましたが、生命エネルギーを多く溜め込んでおいてよかったですわ。なぜ魔王城よりも先にいらっしゃったのかは不明ですが、本来のお姿に戻れますのでご安心下さいませ、陛下」


 ヘルディナの画策を知った三人は、愕然とする。


「なんてことだ。仲間の謀に何も気付かなかったなんて……」

「勇者なのに私の策謀に気付かないとは、マヌケとしか言いようがありませんね。つい笑ってしまいそうです」


 ヘルディナは上品に口元を隠して目を細め、三人に蔑視を向けた。淑やかに見えて腹の中は黒く、息を吸うように仲間を欺く技量を持つ。これが俗に言う「悪女」という存在なんだろう。


「でも。なんでヘルディナが魔王の味方をするニャ」

「そうだ。なぜ急に寝返った!?」

「ふふふっ。寝返ってなどいませんよ。私は最初から魔王陛下の味方です」

「最初から?」

「だって私は、魔王陛下の265番目の愛人ですもの」

「な……」

「えーーーーーっ!!!」


 驚愕するマリウスたちの後方で、避難を終わらせて戻って来て、ヘルディナが夜な夜な魔法陣を描き直しに行っていたあたりから話を聞いていた私は、叫ぶように驚愕の声を上げた。


「ちょっと待って嘘でしょ!? それまだ原作小説でも明かされてないんだけど! えーっ、もう本っ当信じらんない! 本人からネタバレとかあり得ないんだけど!」


 ショックのあまり倒れそうになって、私はコミュニティーバスのバス停の看板に寄りかかる。だけどマリウスたちは、私がこんなところにいることに目を疑って焦った表情で振り返っていた。


「なんでこんなところにいるんだ舞夏! 危険だから逃げろ!」

「ごめん。でも、ヘルディナが気になって。ていうか、あの子が魔王って本当なの?」

「本当ですよ。疑うのなら、本来の陛下のお姿を見せて差し上げましょう」


 そう宣言したヘルディナは、再び杖を空に掲げた。


「さあ陛下。お目覚め下さい!」


 杖の水晶玉がまた白い光を放った。その光はさっきよりも遥かに眩しくて、直視するのも困難だった。そして水晶玉から黒い霧のようなものが出てきて少年を包み込み、魔法陣に溜めていた生命エネルギーがヘルディナの水晶玉を介して少年に注がれようとしていた。


「やめろヘルディナ!」

「えっ! 本当に? 小説の口絵やマンガでカラーの姿は見たことあるけど、アニメではオープニングにシルエットでしか出てない魔王ヴァウテル様を、まさか三次元の姿で拝めるの!?」


 緊迫した場面でマリウスもヴィルヘルムスもノーラも緊張感を漂わせている中で、私は一人大興奮した。だってヴァウテル様は、『なし勇』の私の一番の推しなんだもん! 三次元に顕現するなんて聞いたら、興奮も鼻血も抑えられる訳がない!


「緊張感なさ過ぎだろ舞夏! 危険な状況なのわかるだろ!」


 マリウスは怒りと呆れ半々の感情で私にツッコんだ。


「わかってるよ! 逃げなきゃならないのも承知だよ! だけどこの機会を逃したら、二度とリアルのヴァウテル様を肉眼で拝めないんだよ!」

「全くそのオタク魂を尊敬しそうになるな。でも頼むから逃げてくれ!」

「でもねマリウス。本人を目の前にして言うの失礼だけど、マリウスよりイケメンだからどうしても見たいの!」

「本当に失礼だな!」

「どうでもいいが、本当に早く避難しろ!」

「今すぐ逃げるニャ!」


 ヴィルヘルムスとノーラにも急かされ十分に状況は把握していても、私はそこから離れなかった。自分の身に(多少の)危険が迫っていようとも────猛暑を呼ぶ真夏の太陽がアスファルトをサウナ状態と化し、企業ブース入場待機中に灼熱に襲われ熱中症になりかけても。霙が降って気温がマイナスを記録し、ブランケットとカイロ5個でも身体を芯から震わせるまだ日が昇らない年末の早朝との戦いでも────オタクは推しのために自らの命を削るもの。愚かだと言われようとも、それがアニオタたるもの!!!


「気を付けろ。空気が変わった!」


 なんて自分の中で決意表明をしている間にも、どんどん少年に生命エネルギーが注がれていく。徐々に周囲の空気も変わり、どこからともなく霧が現れ始めた。マリウスたち三人の緊張感はピークに達し、その瞬間を迎える覚悟を改めて整えた。


「仕方がないなマリウス。やるしかない」

「ああ。まさか、違う世界で対峙することになるとは……」

「もう覚悟するしかないニャ」


 聖剣と杖を手に身構える三人のこめかみから、緊張感のピークで冷や汗が流れ落ちる。けれど一同は、違和感に引っかかっていた。


「さあ! 魔王ヴァウテル様の覚醒です!」


 いよいよその時が訪れた。水晶玉から発していた眩い光は徐々に小さくなっていき、歩道橋の方を直視できるようになってきた。それと同時に少年を取り巻いていた黒い霧が消えていき、勇者一行の宿敵にして最大の敵、魔王ヴァウテルの姿が露になっていく。

 深淵のような黒髪に、大地が燃える未来と魔族の輝かしい未来を予見しているかのような二色の双眸。肉塊を容易く突き刺させるほどに鋭く尖った立派な頭角。そして、くろがねの鎧を纏った2メートル以上もある強靭な体躯が姿を現す!



 ───────はずだった。



 私は唖然として、自分の目を疑って何度も瞬きをした。

 私だけじゃない。マリウスたちも、目の前に現れた魔王を目を見開いて困惑の表情で凝視した。そしてそれはヘルディナも同様で、驚きと戸惑いの表情で隣を


「……ど……どういうことだ?」


 なんと、魔王ヴァウテルの姿はあどけない子供のままだったのだ。


「どういうことですの!? 私は確かに、元の姿に戻るのに十分な生命エネルギーを注入したはず……」


 予期しない出来事にヘルディナは動揺して狼狽える。気が抜けたマリウスたちは、どうなっているんだとお互いに顔を見合わせ、私はリアルのヴァウテル様が現れなくて肩を落とした。

 少年もかわいいけど、私の推し……。その麗しい眼福のお姿をこの目で見られると期待したのに……。

 でも、姿はそのままだけど記憶だけは戻っているみたいで、いつもの高圧的な物言いでヴァウテルはヘルディナに問い質した。


「おい。ここはどこだ」

「い……異世界ですわ、陛下。それよりも、なぜお姿が子供のままなのですか」

「何を驚いている。ワシはいつも通りだ。それに質問したいのはこっちの方だ。ワシはなぜ異世界なんぞに来ておるのだ」

「陛下が、支配する世界を広げたいとおっしゃいましたので、この世界はその目的にちょうどいいと思いお喚びしたのですが……」

「世界を支配? ワシはそんなことを言った覚えはない」

「覚えがない?」

「そんなことよりも、魔王城から世界に飛び出して、人間や獣族やエルフたちと仲良くなって友達を百人作りたいのだ!」

「友達を百人作るですって……!?」


 ガーン!


 両手を腰にあて胸を張った主の宣言に、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けたヘルディナはショックの色を隠せない。私たちも一体何がどうなっているのか、状況が全く飲み込めない。


「今ヘルディナから、『ガーン!』という効果音が聞こえたような」

「私にも聞こえた気がする」


 もう危険はなさそうだから、私はマリウスたちに合流した。


「というか、一体何が起きているんだ。あれは魔王ヴァウテルではないのか?」

「人違いじゃなくて、魔族違いニャ?」

「この状況でそんなヘマをやらかすか? 普通」

「だが、二人のやり取りを聞く限り魔王のようだ。しかし、なぜ子供の姿のままなのだ。それに、さっきからあるこの違和感の正体は……」


 三人が感じているという、少年の姿のヴァウテルの違和感。それは、生命エネルギーを注入されてもなお、増大した魔力を感知できないことだった。記憶は戻っているのに他は現状維持なのは、私も不可解に思う。

 でも考え直してみると、ヘルディナは魔王城と一緒にヴァウテルを転移させようとしていたけれど、なぜかヴァウテルだけが先に転移していたことが最も不可解だ。ズレるのは恐らくあり得ないことだと思う。それを踏まえた時に考えられる可能性は、魔王城が現れる前にまたオーロラが現れていたということ。つまりこの少年ヴァウテルは、マリウスたちと同じ条件で転移して来た可能性が考えられる。

 そして私には、生命エネルギーを注入されてもヴァウテルが本来の姿に戻らなかった理由に、心当たりがあった。私は、魔王ヴァウテルが一人じゃないことを知っていた。


「まさかとは思うけど。ヴァウテル様なんじゃ……」

「ヴァウテルがあの姿から変わらない理由に、心当たりがあるのか。舞夏」

「ヘルディナが生命エネルギーを注入しても姿が変化しなかったのは、多分あのヴァウテル様が、『運なし勇者とゆかいな仲間たち〜ちびキャラなし勇4コママンガ』のヴァウテル様だからじゃないかな」

「4コママンガがあるのか!」


 私の推測に反応したのはマリウスだけで、当然ヴィルヘルムスとノーラは「4コママンガとはなんだ?」って顔をしている。


「あれって『なし勇』キャラがみんなちびキャラなの。もちろんヴァウテル様も。しかもギャクマンガ。私の推測が正しければ、あのヴァウテル様はその世界から転移して来たんだと思う。だからキャラも違うのかも」

「確かに、4コママンガだと本来のキャラと違うもんな……。なんだ、そういうことか。魔王の絶大な魔力を全く感じなかった違和感は、それが原因だったんだ」


 ヴァウテルの変わらない姿の理由が腑に落ちたマリウスは、首肯する。ちびキャラはかわいい魔術しか使わないから、魔力もそんなにないんだよね。


「すまないが、頼むから二人だけで納得しないでくれ」


 すっかりヴィルヘルムスとノーラを置いてけぼりにしてしまった。私が二人に簡単に説明する間、事実を知らず自分が仕える魔王だと信じて疑わないヘルディナは、友達百人よりも世界征服をしてほしいと無駄な説得を懸命に続けていた。


「ヴァウテル様、どうかお考え直し下さい。お友達を作るよりも魔族のさらなる繁栄です!」

「何度も言わせるな。ワシは友達をたくさん作るのだ!」

「陛下に他の種族の友達など必要ありません。陛下は他の種族を統べて世界の王となるのです!」

「そんなのつまらん。たくさん友達を作ってみんなでピクニックする方が遥かに楽しいではないか」

「ピクニ……」


 主からかわいい単語が出てきて絶句するヘルディナ。


「というか、お前は誰だ」


 ピクニックの野望を口にした直後、ちびヴァウテルはまたもやとんでもないことを言ってヘルディナを戸惑わせる。


「わ……私です。あなた様の265番目の愛人のヘルディナです」

「ヘルディナ? うーむ……。確かに面影はあるが、そんなにデカくなかっただろう」

「陛下。また何を言って……」

「それに老けたな」


 ガーン……。


「あ。また効果音が聞こえた」


 二重のショックを受けたヘルディナはもう何も言葉が出ず、その場にへたり込んだ。彼女のその姿を見て、ああもうこれは終わったなと私たちは顔を見合わせた。

 すっかり警戒もしなくなった私は歩道橋のヘルディナのところへ行って、違うヴァウテルだと教えてあげた。その真実を知ったヘルディナは、これまで苦労して準備をしてきたことが全て無駄になったことを嘆き、複雑な思いで啜り泣いた。私はヘルディナを慰めた。ちびヴァウテルも空気を読んで、彼女の頭を撫でてくれた。

 こうして、『魔王ヴァウテル覚醒未遂事件』は幕を閉じた。魔王城と黒雲はそのままだけど。




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