そうして、マリウスたちと手分けして転移の手がかりを聞いて回り始めた。夏休みが終わるまであと僅か。焦燥を抑えながら、私たちは希望を探した。
……のはずだったんだけど。私は初っ端から別件で戦線離脱した。その理由は、幼馴染みの
「夏休みの宿題がまだ残ってるなんてバカじゃないの?!」
さも緊急事態っぽく言ったけど、夏休みの宿題が終わらないと泣きつかれただけだ。いや、転移の原因を探る方が遥かに大事だから、こんな些細なこと放って置いてもいいんだけどね。なのに、イライラしながら手伝ってるの何でだろう。この夏休みのあいだで思ったんだけど、私ってもしかしなくても世話を焼くのが好きなのかな。
「あんたは今日まで何してたのよ本当に!」
「先月公開した『未来が崩壊する異世界でキミと』の入場者特典のために毎週金曜日に観に行って、メイトのフェアで特典のフェア描き下ろしイラストカードを手に入れるために毎週火曜日に新商品が入荷するたびに行って、だけどお金足りなくなりそうだったからお小遣いもらうために親戚のうなぎ屋で毎日手伝いして、録画したアニメを毎日観て……」
「わかった。もういい。洸太朗は治しようがない生粋のアニオタだってことだけわかったから」
もう呆れるしかない。これで新学期までに終わらなかったらご愁傷さまだけど、残りは今やってる数学の問題集が三分の一と英語の問題プリント半分と読書感想文。読書感想文が一番厄介だけど、これならギリギリ終わりそう。
「舞夏ちゃんも悪いんだからね」
「私が?」
「僕を脅迫して町のPR動画を作らせたじゃん」
「あれは妨害じゃないでしょ。全部自業自得!」
地頭はいいはずなのに、もったいないことしてるなぁ。
私は心を鬼にして一日のノルマを設定して、達成できなければグッズを1ページにつき一つ燃やすと宣言した。洸太朗は半泣きになって三倍のスピードで問題を解いていった。
三時間くらいノンストップで捌いて、数学の問題集は終わらせることができた。ここでいったんひと休みで、静河市みやげの「こっこ」をお茶請けに冷たい緑茶を頂いた。昔から村瀬家に遊びに来ると、このホイップクリームが入った黄色い洋菓子を出してくれる。
この休憩中に、マリウスやリアーヌたちが帰れるかもしれないことを洸太朗にも話した。
「そっか。じゃあもうすぐお別れなんだ」
「うん。だけど、オーロラとアパタイトだけじゃなくて、浦吉にも転移の原因があるかもしれなくて。マリウスたちはそれを探しに行ってる」
「大変だね」
「他人事みたいに言わないでよ」
「だって、もう小学校にも中学校にも行ってないし」
三個目のこっこを食べて、四個目に手を伸ばす洸太朗。グッズ死守のためにエンジン全開だったからか、疲れてるみたい。
「この町のことなんだから少しは心配しなよ……。ちなみに洸太朗は、転移に関係しそうな町の話とか……知らないよね」
洸太朗から有力情報は聞けないだろうとすぐに諦めて、私は二個目のこっこを手に取った。
「あ、そうだ。舞夏ちゃんに話そうと思ってたことがあったんだ」
「何それ。転移に関係することだったら聞くけど」
「関係するかどうかはわからないけど」
洸太朗は、昔おじいちゃんから聞いた話だと前置きして、四個目のこっこを完食してから話し始めた。
「舞夏ちゃんさ、『
「古代塗って確か、観光案内所にも展示してあるやつだよね? 昔、浦吉にあった伝統工芸なんでしょ?」
「明治時代の終わり頃、僕のひいひいじいちゃんはその古代塗の職人だったんだって。そのじいちゃんの話なんだけど。ある日、この家の前に外国人の男の人が倒れてたんだって。じいちゃんはその人を保護したんだけど、帰り方がわからないって言ったからしばらく一緒に暮らしたんだ。そのお礼に、たまたま持ってた宝石を渡してくれたんだけど、その人、突然消えちゃったんだってさ」
「何それ。世にも奇妙な物語?」
「そうじゃなくて。なんとなく、マリウスたちみたいだなって思っただけ」
「まぁ、不思議な話には違いないけど。きっとその人は、帰り方がわかったから帰っただけだよ」
その程度の話なら探せば他にもありそうだし、単なる昔話でだろう。私はそう思った。
「じゃあ。見せたいものがあるから、ちょっと待ってて」
立ち上がった洸太朗は、部屋から出て階段を下りて行った。数分後に戻って来た洸太朗は、少し黄ばんで古びた白い布に包まった何かを持っていた。
「何それ」
「これがひいひいじいちゃんが作った、浦吉古代塗のお盆だよ」
そう言って布が開かれると、横幅30センチ以上はある長方形の黒っぽいお盆が現れた。明治時代に作られたものなら軽く百年以上は経っているものだけど、少し劣化はあるものの、大切に保管されていたみたいで状態はきれいだった。
木製のお盆全体には、隙間がないくらいに盛り上がった模様がある。右上と左下に二羽の鳳凰がいて、その周りには菊の模様があり、菊と唐草模様で縁取られている。手に取って見ていいかと訊いてから、私はお盆を持ち上げた。裏返して見てみると裏にも模様があって、真ん中に
「明治三十年以降に大量生産され始めた古代塗は、第二次世界大戦前までは作られてたけど、戦争で職人がいなくなって後継者もいなくなって、残っているものはごく僅かなんだ」
「模様がすごい細いよね。これ彫ってるの?」
「漆を盛り上げて、浮き立たせてあるんだって」
「へえー。すごい……」
正直、ボランティアで観光案内所に出入りするまで、浦吉町にこんな伝統工芸があったことは知らなかった。改めてよく見ると鳳凰にも躍動感があるし、職人の丁寧な作業がわかる細かい模様は、漆を盛り上げて作ったとは思えない。
観察するようにまじまじと見ていると、二羽の鳳凰の目がキラキラしていることに気が付いた。
「ねえ。この目って……」
「それが、外国人からもらった宝石だって言われてる。現存する他の古代塗には使われてなくて、宝石が嵌め込まれてるのはこれだけだって聞いた」
「なんの宝石だろ」
「そこまでは知らない」
日本の工芸品に宝石が使われてるのって、珍しいんじゃないだろうか。そう思ってなんの宝石なのか気になって、鳳凰の目をスマホのライトで照らしてみた。すると、ほんの2ミリくらいしかない小さな宝石は、光の屈折で水色っぽく輝いた。
「水色だ。海の色みたいな」
私がそう口にすると、洸太朗は変なことを言い出した。
「そういえば、マリウスたちも水色の宝石を持ってるんだよね。もしかして、この宝石と転移って関係あるのかな」
「関係って……。まさか、明治時代に現れた外国人も二次元から来たとか言うんじゃないわよね? そんな訳ないじゃない。だって、マンガやアニメって昭和になってから生まれたんだよ? 明治時代に二次元の住人が現実に現れる訳ないじゃん。ていうか、二次元からの転移なんて普通考えられないんだから」
二次元が誕生する前に同じことが起こるはずがない。アパタイトも現実世界にある宝石だし、現れた外国人はどこかの国から渡航して来た人で、理由があって仲間とはぐれて浦吉町に辿り着いて、仲間と落ち合う場所を思い出していなくなったのかもしれない。
「まあ、そうなんだけど……。でも、同じ町で、同じ水色の宝石を持った人が突然現れるなんてことが重なるのもおかしくない? 僕は、マリウスとリアーヌが転移して来たのも偶然とは思えないよ」
「まぁ確かに、同じ偶然が重なり過ぎてるけど……」
私は腕を組んで唸った。
私たちは、マンガやアニメの物語を最初から知っている。だけど私たちが観たりしているのは、その作品の世界を一部だけ切り取った物語で、私たちが物語として知る前からその世界は存在している。その歴史は十年二十年どころじゃなくて、現実世界と同じように何千年と続いてるはず。だから、洸太朗の高祖父が出会った外国人の男の人が二次元から転移して来た人だったとしてもおかしくない……気もする。
「洸太朗が言ってることは理解できなくはないよ。もしも本当にその通りだったとしたら、マリウスたちが持ってた宝石と明治時代に来た人が置いて行ったこの宝石が共鳴かなんかして、マリウスたちが二次元から転移して来た、っていう理論が成り立つ。成り立つけど……」
納得できるようなできないような……と私は首を傾げた。こじつけのような気がするけれど、間違ってもいない気もする。でもこの推論が腑に落ちないのは、現実に起きるはずのないことが起きてしまっていることが理論的に証明ができないからで。だけど事実上、誰も原因を証明できないわけで……。
「……なんか。考えれば考えるほど、その推論が合ってる気がしてきた」
というか、脳が難しい思考を面倒臭がっていた。こんな難解な問題はきっと、私たちが一生を費やして考えても答えを導き出すことはできない。
「えっ。バカにしたり否定しないの?」
なぜか洸太朗は私に疑念の目を向ける。
「何なの、その目は」
「今日の宿題の片付け、高額な手数料を請求されるのかな」
「私、ハイエナじゃないんだけど」
私に何か裏があるんじゃないかと邪推するなんて。親切に宿題を手伝ってあげている幼馴染みに対して、失礼極まりないと思うんだけど。
「あ。ていうか、他にも話があって」
「まだあるの?」
村瀬家に伝わる昔話ってそんなにあるの? と思いながら私は再び耳を傾けた。
「その何十年もあと、ひいじいちゃんの時にも外国人の人が突然現れたらしいんだ。その時は女の人で、記憶をなくしてたんだって。その人は帰る場所も忘れてたから、ひいじいちゃん家に居候し続けたらしいよ」
「結構長いあいだ、浦吉にいたの?」
「らしいよ。町の人と結婚したみたいだから」
「結婚したの?」
「うん。その結婚した相手が、笹木家のひいじいちゃんて言ってた」
「笹木家?」
「うん。笹木家」
私の問い返しに、洸太朗は真顔で私を指差した。
突然現れた外国人の女性と笹木家のひいおじいちゃんが結婚した。その笹木家のひいおじいちゃんは、私の曾祖父にあたる人で…………。
えっ…………
……え?
「……ええっ! 笹木家!?」
洸太朗が言ったことを頭の中で反復して自分の家のことだと自覚した私は、驚愕の声を上げた。
「話、聞いたことないの?」
「私のひいおじいちゃんが、外国人の女の人と結婚したって話?」
そんな話を聞いてたら覚えていそうだけど……。
私は自分の記憶を掘り返して、必死に思い出そうとした。私の曾祖父はもう亡くなっている。聞いていたとしたらたぶん十年以上前だ。
「……あっ。保育園の頃に、ひいおじいちゃん自身から聞いた気がする。自分の奥さんは美人の外国人で、近所の人たちから珍しい動物でも見るような目で見られたって。でもひいおじいちゃんは自慢の奥さんだったって言ってた。でも私のおじいちゃんを生んだあとに急にいなくなって、いくら探しても見つからなかったって……」
確か、一緒に写っている古い写真も見せてもらった。モノクロだったから髪色とかはわからないけれど、彫りが深くて外国人のような顔立ちをしていたのをぼんやりと覚えている。その曾祖母がいなくなったのが祖父を生んだ昭和二十四年よりあとということは、戦死した訳じゃない。もしもその人も、洸太朗の高祖父が出会った人のように突然消えたんだったら、私の曾祖母も転移して来た人だった可能性も……。
「嘘でしょ。信じられない……。ということは。ひいおじいちゃんの子供のお祖父ちゃんたち兄妹は、現実世界と二次元の住人のハーフかもしれなくて、その子供のお母さんとちーちゃんはその血を受け継いだ孫。そして私はそのひ孫……」
なんの前触れもなく私のルーツが発覚して、これは誰かが書いた物語のシナリオなんじゃないかって考えた。だってそんな事実、そう簡単に鵜呑みにできる訳……。
と、私は突然俯いて口元を手で隠した。
「どうしたの舞夏ちゃん。そんなに事実がショックだった?」
「ううん。違う……。私に二次元の血が流れてるのかもしれないと思ったら、嬉しくて……」
信じられないけど、それが本当に事実だったらと考えたらニヤニヤが止まらなくなった。普通に外国人との混血もかっこいいのに、二次元の住人との混血ってあり得ないけど超絶レアで、喜ばないオタクっているんだろうか。例えモブだったとしても、ウキウキスキップで町を一周したくなるよ。
そんな私を、洸太朗は呆れた顔をして見ていた。
「舞夏ちゃん……」
「うん。言いたいことはわかる。不謹慎だよね。でもさ。なんか、萌えない?」
「うん。わからなくはないよ」
やはり生粋の二次元オタク。洸太朗も心の中では萌えていたらしい。
興奮するのはこれくらいにして。私と洸太朗は「今は緊急事態、今は緊急事態」と唱えて感情を抑えて仕切り直す。
「推論通りだったとしても、事実確認は必要だね」
「僕も、マリウスたちに余計な期待はさせたくないし。だけど、舞夏ちゃんのひいじいちゃんはもう亡くなってるよね」
「でも、おじいちゃんはまだ生きてる」