イベント開始の合図の花火が打ち上げられた。それと同時に、魔王城では見学ツアーが始まった。
西小学校前の急坂───通称“地獄坂”には、国道まで到達するほどの人が並んでいた。相変わらずお城の上空には不穏な黒雲が渦巻いていて、それを不思議がりながら見上げている。
「周囲はめちゃくちゃ晴れてるのに、なんでここだけ?」
「演出力ハンパないな。どうやってんだろ」
と、なぜか本物の魔王城だと気付かない。どっからどう見てもリアルだしこんな演出できる訳ないのに、逆に何がどうなったら本物だと疑ってくれるんだろう。
ツアーの案内をするのは、今日だけは角を隠していないちびヴァウテルだ。小一の男の子が一人で案内するのはお客さんにとっては不安が残るだろうけど、一番把握しているのはこの子だから任せてみた。百人の友達を作れると考えたのか、本人もノリノリだったし。
最初のうちは案内人への不安を抱きながら、青い炎の明かりしかない薄暗い城内を付いて行くお客さんたち。だけど次第に、小さい子が一生懸命に説明している姿に「かわいい」とメロメロになっている。
二十人ほどを引き連れるちびヴァウテルは、自身の書斎へと案内した。
「ここはワシの書斎だ。世界各地から取り寄せた書籍や地図を集め、地形の研究や民俗学や人間社会学など日々研鑽を重ねている」
ロウソクの明かりが灯る広い立方体の書斎は、床と天井以外は一面本棚となっていて、数え切れない数の本が隙間なく納められている。床にも、本棚に入らない大判の本や広げたままになっている世界地図、天体を模した球体のオブジェや謎の置物などが無造作に置かれている。
「すごぉ〜い」
「天井たっけぇー」
「本とか触ってもいいの?」
「いいが、雑に扱うでないぞ。貴重な書物もあるからな」
大事な蔵書なのに知らない人間に触らせてあげるなんて、意外と優しいところがあるちびヴァウテル。
書斎を見終わったあとはまた廊下を歩いて、謁見の間へと向かった。廊下の天井まで届きそうな高さのある大きな扉を、ちびヴァウテルは開けようとする。
「んーっ……んんーっ……!」
顔を真っ赤にして一生懸命押すけど、全然開く気配がない。リアルヴァウテルの城だから、ちびヴァウテルの腕力だと重過ぎて動かなかった。
すると、見兼ねた男性ファンたちが手伝ってくれて、謁見の間の扉は無事に開いた。ちびヴァウテルは「すまぬ。感謝する」と、手を貸してくれた人たちに礼儀正しくお礼を言った。
「そしてここが、城の中枢である謁見の間───つまり、魔王のワシが鎮座する広間だ。奥に椅子が見えるだろう。ワシはあそこに座り、部下たちに命令を下している」
体育館くらいありそうな広間は、冷たく畏縮してしまいそうな空気だ。けれど、シャンデリアの明りと青い炎が灯るランプが辛うじて温度を添えていた。天井はゴシック様式で、窓が均等に並ぶ両側の壁には、魔物の不気味な像が等間隔に飾られている。そして扉から真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯の先に、縁を金で
お客さんたちは、ここが魔王ヴァウテルの玉座かと記念写真を撮り始めた。ここまでなんの疑問も抱いていないお客さんたちは、テーマパークのアトラクション気分で謁見の間を自由に動き回る。
すると、ファンの女性三人組がちびヴァウテルに話しかけた。
「あのぉ。質問いいですか」
「答えてやらんでもない」
「ヴァウテル様にはたくさんの奥さんと愛人がいるじゃないですか。みんなこのお城で一緒に生活してるんですか?」
見た目小学生低学年男子のちびヴァウテルに、セクハラに抵触する質問をするお姉さん方。ちなみに、ちびヴァウテルの側にいるのは「妻」や「愛人」ではなく、全員まとめて「友達」という設定なので、ちびヴァウテルは「友達」のことを訊かれていると思って答える。
「そうだ。個人個人(の友達)に部屋を与えるのは難しいから、いくつか広い相部屋を用意して使わせている」
「ヴァウテル様は、毎晩決まった女性と一晩過ごすんですか?」
さらにセクハラをするお姉さん方。
「そうだな。気が向かん時は自室で就寝するが、(ゲームを)やる気がある時はその時の気分で相手を選んで一夜を共にしている。人数が足りない時には十人くらいになるな」
「「「きゃーーーっ♪o((///∇///o))((o///∇///))o♪」」」
ちびヴァウテルの正直な回答に、興奮したお姉さん方は黄色い声を上げた。もしかして同人作家さんで、ネタの収集で訊いたんだろうか。
「でも、すごく詳しいわね。きみも『なし勇』好きなの?」
「ちゃんとオッドアイのカラコンして、角も本格的だし」
「別に好きではない。ワシが居城と自身のことを知らんでどうするのだ。間抜けな質問をするな」
「めっちゃなりきってるー」
「超かわいい〜! 弟にしたい〜!」
ちょっとご立腹な感じでちびヴァウテルが返すと、お姉さん方は超メロメロになった。
こうして大好評の魔王城ツアーは、女性ファンの口コミで城内見学よりもちびヴァウテルのかわいさに注目が集められていった。
同じ頃、ドーヴェルニュ邸でも見学ツアーが始まっていて、ドーヴェルニュ家の執事が案内をしていた。
こっちも魔王城に匹敵するくらいの人気で、敷地の外周に沿って多くの人が列を成していた。東京のテレビ局が取材したものが放送されたし、感謝祭の宣伝でリアーヌたち動画を載せた影響だろう。
こっちは魔王城と比べて、並んでいるのは女性ファンばかりだ。上は三十代くらいから、下は中学生くらいの子まで。その中にはもちろん、入る前からテンション上がりまくりの明奈と、その興奮の捌け口になってもノーリアクションの結の姿もあった。
「結ぴょん! わたしたちドーヴェルニュ邸に入れるんだよ! すごくない!?」
「うん、すごいな。でも頼むからそのあだ名で呼ぶな」
いくら叩かれても文句は言わないけど、かわいいあだ名で呼ばれることには敏感な結。自分の性格には似合わないから、やめてほしいらしい。
「ていうか。明奈は二度目なんじゃないのかよ」
「あの時はじっくり見られなかったんだもん! だから壁に穴が開くくらい見るんだ!」
「ほどほどにしとけよ。けど、よかったのか? 魔王城の方も行かなくて。行けば両方のチェキもらえたのに」
今回限定のツアー参加特典は、各作品のメインキャラクターのチェキだ。魔王城ツアー参加者は勇者一行で、ドーヴェルニュ邸ツアー参加者はリアーヌとセルジュのツーショット。サイン入りだから、ファンも転売ヤーも
「わたしの本命の推しはリアーヌ様だもん。それに、舞夏ちゃんにお願いして『なし勇』のチェキもらえるから」
「いいのか、そういう裏取引。推しに対して心が傷まないのかよ。ま。実はうちも、『なし勇』キャラのチェキもらう約束してるし」
「結ぴょんも裏取引やってるじゃん」
「うちは専属イラストレーターとして貢献したからいいの」
「確かに。ポスターとか等身大パネルとかグッズとか、いっぱいイラスト描き下ろしたもんね」
甘えてしまったのが申し訳なくなるくらい、本当に結の力を存分に貸してもらった。明奈にもアイデアを出してもらったし、今回の町おこしの功労賞をあげるとしたらこの二人かも。
話しながら順番を待っていると、二人を含めた組の番がやってきた。
「あっ! あきにゃんいらっしゃ〜い! 存分に楽しんでってね〜! もう壁に穴開けまくるくらいじっくり見ちゃって!」
明奈ともすっかり仲良くなった志穂ちゃんに見送られ、執事に案内されて屋敷の玄関に繋がる石畳を進む。この前ヘルディナがやらかした跡は、ヴィルヘルムスが魔術で修復してくれた。
二人は屋敷に足を踏み入れた。玄関ホールにはチェストや絨毯、繊細な絵が描かれた花瓶などが置かれている。廊下の壁には肖像画や風景画も飾られていて、来客を部屋に案内するまでの時間が工夫されている。
「結ぴょんすごいね! お金持ちの家みたいだね! ここにリアーヌ様とセルジュが住んでるんだよ!」
「うん。そうだな。すごいな」
結は明奈に叩かれ続けていた。
執事に一階の客間や談話室、プライベートダイニングルームなどを案内された。広い部屋には必ず中庭を望める大きな窓があり、夏の日射しが燦々《さんさん》と室内に降り注いでいた。どの部屋にもシャンデリアや絵画や時計、集められた調度品がセンスよく配置されている。玄関ホールにもあったチェストもそうだけれど、来客の目に入る家具は芸術的な細工が施されていて、身分の高さが窺えるものが揃えられている。
二階へ上る階段は、屋敷の外壁にも使われている白い石が使われていて、大理石と見間違うほどに白くてきれいだ。踊り場の窓からも中庭が見えて、自然光が差し込み白さを際立たせている。
二階と三階の部屋はほぼプライベートルームでNGが出ていたけれど、リアーヌは自分の部屋だけは見てもいいと許可してくれていた。
「こ……ここが! リアーヌ様のお部屋……!」
明奈の興奮がMAXになる。
お嬢様の部屋はさぞ広いだろうと思いきや、そんなに広くはない。都市部のいいマンションのリビングくらいの広さじゃないだろうか。やさぐれたお嬢様の寝室とは思えないかわいらしい花柄の壁に、調度品はシンプルながらも上品なチェストやテーブルが置いてあって、ベッドは天蓋付きだ。
それから。二階全体を見る限り、私腹を肥やしている訳ではなさそうなのが窺える。
「わたしもう幸せ……。ここで死んでもいい」
「それは推しに迷惑がかかるからやめとけ」
興奮し過ぎて昇天しかける明奈に、結は冷静に突っ込んだ。
三十分程度のツアーに参加したファンたちは、一様に満足していた。
「やったぁ〜! リアーヌ様とセルジュのサイン入りツーショチェキGETだよ!」
「なかなか見応えもあったし、よかったな」
「じゃあ次は、お嬢様体験行くよ!」
「えっ。行くのか?」
「当たり前だよ! リアーヌ様のドレスを着られるんだよ? 見学ツアーだけで満足して帰るのはおバカさんだよ!」
そうなのだ。お嬢様体験で貸し出すドレスは、全てリアーヌの私物なのだ。しかも宝飾品も着けてOKという太っ腹。セルジュや執事や侍女たちからは、宝飾品の貸し出しだけは勘弁してほしいとお願いされたみたいだけれど、力技で説得してくれたらしい。写真撮影も自由だから、映え写真が撮れること間違いなしだ。
「いや。うちはいいよ」
ボーイッシュな自分のかわいさを諦めている結は渋るけれど、『ライオン嬢』の雰囲気を空気の味まで余すことなく存分に堪能する気の明奈に右脇をがっつりホールドされる。
「逃さないよ結ぴょん。ドレス着たらパーティーにも行くからね!」
「パーティーも!?」
間もなく開催されるパーティーにも、借りたドレスで参加するのが可能だ。会場は、マリウスが参加した時にも使った中庭の奥にある建物。今回も、
「でも、ファンミはどうするんだよ。行くんだろ?」
「ファンミは午後の回に行くから大丈夫。それまでドーヴェルニュ邸を満喫しよ!」
目を輝かせる明奈にとうとう引きずられ始めた結。
「今日はかわいくなって女の子らしいことしよ、結ぴょん!」
「わかった! わかったから引きずるな!
「結ぴょんはバレー部なのに足腰弱いね」
「年寄りみたいに言うなよ! あと、言うこと聞くから『ぴょん』だけやめてくれ!」
屋敷の中でドレスを着せてもらった二人は、中庭で写真撮影をしたあとパーティーに参加した。
立食パーティー形式の今回は建物の外にもテーブルを用意して、たくさんの人が楽しめるように使用人の人たちが配慮をしてくれていた。ファンだけでなく領民の人たちや、最後のイベントだと聞いた浦吉町の人たちも参加している。その賑やかな様子は貴族らしい立食パーティーというよりも、忘年会のような賑やかさだった。