ファンミーティングの午後の部が始まる一時間前。ドーヴェルニュ邸敷地内では大勢の観客が円を作って、心を踊らせながらイベントが始まるのを待っていた。その円の中心には、マリウスとリアーヌが距離を取って向かい合っていた。
「皆さま、お待たせ致しました! これより、『二次元キャラ対決! 勇者マリウスVSリアーヌ・ドーヴェルニュ真剣勝負』を執り行います! 審判は笹木舞夏。進行はわたくし、大野志穂ですー!」
志穂ちゃんが張り切って拡声器で開催を宣言すると、観客からは歓声と拍手が沸き起こった。両タイトルのファンからは、熱い声援がひっきりなしに送られる。
「マリウスー! 負けないでー!」
「運はないけど実力はあるから自分を信じてー!」
「マリウスくん、ファイトだよー!」
「リアーヌ様ぁー! 麗しいですー!」
「そんな弱っちい勇者なんて凪払っちゃってくださいー!」
「リアーヌちゃん頑張ってー!」
ファンの中に混ざって各エリアの近所のみなさんも声援を送っていて、まるで試合会場のような熱気が主役の二人を包み込む。
「リアーヌ。ドレスのままでいいのか。セルジュに服を借りた方がいいんじゃないか?」
「お構いなく。いつもこの格好で殿方と対戦しているから。マリウスこそ、最初は私との勝負を拒んだけれど、年下の女だからって手加減はしないでよ?」
「ああ。言っておくが、俺の剣技の実力はその殿方らよりも格上だぞ。あとで再戦を申し込んでもお断りだからな」
「ええ。一回戦のみという約束ですもの。私が勝って終わるから、再戦の申し込みはしないわよ」
マリウスとリアーヌはお互いを牽制し合う。
真剣勝負の対決だから本物の剣を使う。その代わり、絶対に相手を傷付けず降参させることが勝利の条件だ。
「俺を甘く見るなよ、リアーヌ!」
マリウスは携えていた鞘から剣を抜いた。彼が抜いたのは聖剣ではなく、ブロードソードだ。聖剣を使うことを拒んで、ドーヴェルニュ邸から剣を借りたのだ。
「覚悟なさい、マリウス!」
リアーヌも帯刀している剣を抜き、切っ先を正面のマリウスに向けた。リアーヌ愛用の剣はロングソード。両者の剣はどちらも刀身の長さも身幅もほぼ同じだ。
「さあ! いよいよ二次元キャラ主人公同士の対決の始まりです! 『運なし勇者』マリウスは、作品タイトルにもなっている前世からの呪縛から解き放たれるのか!? それとも、『ライオン嬢』のリアーヌが猛獣のごとく滅多打ちにしてしまうのか!? それでは……試合開始です!」
私がフラッグ代わりの横断旗を振り上げて、試合の火蓋が切られた。
「はあっ!」
それと同時にマリウスが素早く踏み込み、リアーヌに斬りかかる。剣が振り下ろされた時、リアーヌは逃げて避けた。
すかさずマリウスは逃げたリアーヌを追い、再び斬りかかる。リアーヌは二度目も避けたが、マリウスは容赦なく剣を振り下ろす。
「はっ!」
キィンッ!
逃げる隙きがなかったリアーヌはそれを正面から受け止めた。金属同士がぶつかり合う鈍い音が四方に広がる。
一度二人の剣が離れるが、間髪入れず再びマリウスが振り下ろした。リアーヌはまた正面で受け止めた。
キィン! ギリッ……
剣と剣がせめぎ合う。リアーヌファンの観客は、麗しい推しの顔や身体に切り傷ができないかと冷や汗ものだ。私も、あんまりマジにならないでとヒヤヒヤしながら対決を見守る。
「あらマリウス。あなた手を抜いてない?」
「やっぱり勇者としては、女性に襲いかかるなんてできないからな」
「それが命取りになるのよ、マリウス。宣言してあげるわ。次からの五手以内に、あなたを降参させてみせる」
「できるならやってみろ!」
マリウスは大きく後退し、より早い速度でリアーヌを狙った。
「はあっ!」
リアーヌはマリウスのひと振りを今度は流して回避した。
「!?」
そのせいでマリウスの体勢が少し崩れた。リアーヌはその隙きに距離を取るのかと思いきや、剣をマリウスに向かって振り上げた。
「はっ!」
「っ!」
マリウスはそれを受け止めながら、すぐにまた後退した。
いったん体勢を整えようと考えた瞬間、今度はリアーヌがマリウスに向かって踏み込んだ。マリウスは彼女の剣を受け止めるが、その重さに少し驚いた表情をした。剣技を嗜んでいるとは言え、まだ十代の女性の剣の重さではなかった。
動揺したマリウスはまた後退し距離を取った。ところが、
「逃さないわよ!」
リアーヌはマリウスの速度に追い付く俊敏さで、取られた間合いを一気に詰めた。
「なっ……!?」
その勢いでマリウスに剣を振り下ろす。気のせいか、さっきよりも剣の重さが増しているように感じるマリウス。
「おいおい。そんなにマジにならなくても!」
「エンターテイメントだからって手を抜いたら、それこそファンのみんなに失礼でしょう?」
マリウスの剣と交えた自身の剣のエッジを滑らせて、彼のブロードソードの切っ先を下に向けた。マリウスの上半身に大いに隙きを作ると、
「ふんっ!」
リアーヌは身体を横に回転させながら足を振り上げる。そして、ドレスの裾が花のように広がってパンタロンが公衆の目に触れることも気にせず、マリウスに回し蹴りを食らわせた。が、マリウスはぎりぎり腕で防いだ。
「蹴りはなしだろ!」
「でもルールに蹴りは反則なんてないわよ」
「おい審判! 今のはなしだよな!?」
「うーん……。盛り上がればよし b(ゝω・´★)」
「舞夏っ!」
私はサムズアップしてリアーヌの回し蹴りを認めた。だって、エンターテイメントだもん☆
「裏切者! お前は中立だろうが! これじゃあ異種格闘技戦……」
「集中しなさいマリウス!」
マリウスに抗議の時間さえ与えないリアーヌは、容赦なく斬りかかる。
マリウスは瞬時に後退するが、取った間合いをすぐに詰められ、押されてばかりでは格好が付かないとさっきよりも本気になる。
「お前こそ調子に乗るなよ!?」
キィンッ!
「そんなに本気の対決が望みなのか」
「あら。ちょっと熱くなってきたかしら?」
マリウスは笑みを浮かべながらも、魔族と戦っている時のような真剣な表情に変わった けれどリアーヌの表情はまだ余裕がある。何か作戦があるのだろうか。マリウスとの対決を楽しんでいるようにも見えた。
「それにしても。これまで何十人もの婚約者候補と対戦してきたって言っても、実戦経験を積んでるマリウスの剣を真正面から受け止められるなんて。リアーヌの身体、一体どうなってるんだろ」
「確かに気になる〜。山に籠もって密かに鍛えてるのかな」
本当はめちゃくちゃ体育会系で、ドレスを脱いだらコンテストに出られるくらいマッチョなんだろうか。
……ちょっと想像してみたけど、なくはない気がする。
と、自分の仕事を一瞬忘れていた時だった。
「いけー! リアーヌ様ぁ!」
「マリウス頑張ってー!」
観客の盛り上がる声で二人に注目すると、気を逸したたった数秒で何があったのか、リアーヌは立て続けに剣を振り、マリウスが防戦一方になっていた。
「おおっと! これは面白いことになってきました!」
「えっ。どうしちゃったのマリウス!?」
ちょっと本気になったんじゃなかったの? それとも、わざとリアーヌに負けて好感度を上げて人気票ゲットしようとしてる? ファンミーティングでずっと人気三位だったのそんなに気にしてたの?
「もう終わりよ、マリウス!」
「くそっ!」
「1《アン》!」
リアーヌは防具のないマリウスの腹部を狙って服を切り裂いた。
「2《ドゥ》!」
「くっ……!」
次に手首に向けて剣を柄から思い切り振り下ろし、
「3《トロワ》!」
手首へのダメージで握る力が一瞬弱った隙きに、マリウスの剣を弾き飛ばした。剣はマリウスの手が届かない距離まで飛ばされ、石畳の上に落ちた。
「っ!」
そして、無手となったマリウスの首ぎりぎりに、リアーヌの切っ先が寸止めされた。マリウスのこめかみから冷や汗が流れ落ちる。
追い詰めたリアーヌは、真っ赤な双眸をマリウスに向ける。
「宣言した手数よりかかってしまったけれど、勝負は決まったわね」
「……お前はズルい」
マリウスは悔しそうに顔を歪めるが、もう武器がないマリウスに反撃する手段はない。
「……俺の負けだ」
「この勝負、リアーヌ・ドーヴェルニュの勝利ー!」
リアーヌの勝利宣言をすると、観客からは歓声と拍手と指笛が湧いた。
「リアーヌ様かっこよかったですー!」
「リアーヌ様ぁ! 私の騎士になってくださいー!」
「マリウスもかっこよかったよー!」
「よく頑張ったマリウス!」
推しが負けるのはファンとしては悔しいはずなのに、『なし勇』ファンはみんな健闘したマリウスを讃えて大きな拍手をしてくれた。『ライオン嬢』ファンからも称賛の拍手が送られた。
「二人ともお疲れ。リアーヌおめでとう」
「さっすが、我らがリアーヌ様!」
「ありがとう」
「マリウスも残念だったけど、かっこよかったよ」
「……うっ」
エンターテイメントとは言え、戦闘経験がある自分が負けたのがよほど悔しいのか、屈辱の表情のマリウスは膝から崩れ落ちて蹲り、しくしくと泣き始めた。
「そんなに負けたのが悔しいの? 大丈夫だよ。みんなマリウスのことかっこいいって言ってくれてたし、好感度も上がったよ」
「しくしく……しくしくしく……」
励ましてみたけど、マリウスはダンゴムシになったままだ。リアーヌは、元勇者ダンゴムシを呆れた様子で見下ろした。
「私が言ったことはそんなにショックだったの?」
どうやら私たちが気を逸していた僅かなあいだに、リアーヌがマリウスに何かを言ったらしい。たぶんそれが、マリウスが追い詰められるきっかけになったのだ。
「リアーヌ。マリウスに何か言ったの?」
「マリウスが気にしてることをちょっとイジっただけよ。前世から恋人がずっといないらしいけど、通算で童貞何年目なの? って」
「エグいっ!!」
その攻撃はマリウスにとっては相当のダメージだ。そこをどストレートに突かれることはたぶん、一万本の矢で心臓をぶっ刺されるに等しい。つまり、運なしと同じくらいの急所だ。私が余計なことをリアーヌに教えたからだ。
だけど、リアーヌは決して性格が悪いイジメっ子ではないことは、最後に改めて言っておきたい。彼女は、前世で殺したいほど復讐したい経験をしたまま転生をして、その無念を晴らせなかったせいで性格がちょっと歪んでしまっただけの、普通のお嬢様だ。
「マリウス。元気出しなよ。一生そのままってことないから。だから大丈夫だよ」
私はダンゴムシマリウスの背中を優しくさすってあげた。きっと未来に素敵な女性が現れて、その人がマリウスの不運を全て取り払うくらい幸せにしてくれることを願って。