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第73話『熱冷ましの登山』

 私は二条の車が見えなくなるまで手を振っていたけれど、完全に二条が見えなくなった途端、狐の二人が鳥居の影から飛び出してきてころりと転がって芹の足にしがみついて声を上げて泣き出してしまう。


「ごめ、ごめん巫女! 僕、オムライスに気を取られててお前が調子悪いの全然気づいてなくて!」

「ウチ、ウチもです! いつも先輩風を吹かせているのに、肝心の時に巫女を守れない先輩なんて、良い先輩ではありません!」

「お二人とも、大丈夫、ですから。すみません、ご心配、おかけして」


 芹の腕の中から二人に声をかけると、二人はさらに泣き出してしまった。


「入ろう、巫女。冷えている」

「はい……すみません」


 芹に迷惑をかけてしまった。クラスの皆にも二条にも。こんな事ではいけないのに。そう思うのに別の所ではこんな風に皆が心配してくれている事を嬉しく思ってしまう自分もいた。


 芹に抱きかかえられたまま本殿に入り自室に運ばれるのかと思いきや、何故か芹は私を自分の部屋へ運ぼうとする。


「芹、様?」

「芹様! どうしてご自分の部屋に運ばれるのですか!?」


 私の心を代弁するかのようにテンコが言うと、芹は当然だとでも言うように淡々と話し出した。


「あの男の言う通りだ。私はこれほど巫女の側に居ながら巫女の事をまるで自分の物か何かのように考えていたのだ。だから巫女がいつもこの神社の為にしてくれる事を当然のように考えていた。これでは昔と何も変わらない。私はまた巫女の信頼を得る事が出来ないまま、巫女を野に放すところだった」

「そ、それはそうかもしれませんが、だからって何故ご自分の部屋に?」

「四六時中共に居れば流石の私も気付くだろう。巫女、熱が上がっている。土地神に頼んで薬を分けてもらおう」

「え、お薬は病院でもらって――」

「駄目だ。神の薬の方が効く」

「はあ……」


 よく分からないがもう何も考える事が出来ない。一時でも目を覚ますことが出来たのはきっと点滴のおかげだったのだろう。


「巫女? 巫女!」


 芹の珍しく慌てる声と狐たちの悲鳴のような声が聞こえるが、私はもう目を開けている事すら出来なかった。


 どれぐらい眠っていたのだろうか。あれほど暑かった身体が何だか今はひんやりとしている。不思議に思って目を開けると、私を正面から抱きしめる格好で芹が目の前で眠っていた。


「ひっ!」


 思わず短い悲鳴を上げた私のおでこを小さな手が二本ペタリと触る。視線を上げるとそこには心配そうな顔をした狐たちが至近距離でこちらを見下ろしていた。


「熱が下がったようだ」

「流石は夜の山ですね。身体を一気に冷やすにはうってつけです」

「……巫女……」


 その声にハッとして芹を見ると、芹の身体がみるみる間に大蛇の姿に変化していく。そして私は揺りかごのような大蛇のとぐろの窪みにツルンと落とされた。


「せ、芹様が夜の山に変化してしまったのですが、ど、どうすれば?」

「這い出てこれるか? 芹様は大体この時間から寝ぼけだすんだ」

「そこの隙間からこちらへ。芹様は巫女を心配して一緒に寝ようとしたようですが、うっかり絞め殺されたらかないません」

「は、はい。すぐに出ます」


 二人の指示に従ってどうにかとぐろから逃げ出そうとするが、寝ぼけた芹はそれを許してはくれない。それどころか――。


「巫女は……私の巫女だ……もうどこにもやらない……もう、誰にも……」


 そう言って芹は揺りかごのような窪みをさらに狭めた。このままでは本気で絞め殺されてしまうかもしれないが、こんな状態の芹を刺激するのはもっと良くない気がする。


 私はとぐろの中からどうにか顔だけ出して狐の二人に言った。


「お二人とも、大丈夫ですからどうか下山して私の部屋で寝てください。朝食には間に合うよう、私も下山しますから」

「馬鹿か! そんな事言ってたら本格的に遭難するぞ! あと朝食の事は考えるな! 寝坊しろ! 学校も休め!」

「そうです! 遭難する前に早く一緒に下山しますよ! 元気になるまでは掃除も料理も全てお休みです! 先輩命令です!」

「お二人とも……ありがとうございます」


 この二人がもし大人の姿だったら間違いなく頼っただろうに、いかんせん二人は子どもの姿だ。私は芹の隙間から腕を伸ばして二人の頭を撫でると、親指を立てた。


「小鳥遊彩葉、必ず帰還します」


 芹の体温のおかげか、恐らく今のところ熱は引いている。このまま何事もなく元気になりたい。


「巫女……分かった。これ、何かあったら連絡しろ。僕は芹様のを持っていく」


 とぐろの間からねじ込まれたのは私のスマホだ。


「はい、助かります。それではお休みなさい。ちゃんと寝てくださいね」

「ええ。巫女も……凍死にだけは気を付けて」

「はは。はい、気をつけます」


 あまりにも悲壮な声のビャッコに頷いて二人が部屋を出て行ったのを確認すると、私は芹の真っ白な身体にそっとキスをした。


「今日のお勤めです」


 なんて大胆な事をしてしまったのだろうかと思いつつ芹の身体に身を寄せると、芹の姿パァっと光った。

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