「そうだ。狐たちにはああ言ったが、伽椰子は時宮の人間だ。何か思惑があって近づいてきたのだろうという事は分かっていた。けれどいつまで経っても尻尾を見せず、お前をここから追い出す事にばかり労力を割いていただろう?」
「そ、それも知ってたんですか?」
だったらせめて庇ってくれよ、とも思ったが、芹はその事は本当に申し訳なかったと思っているようで、さっきからずっと視線を伏せたままだ。
「知っていた。伽椰子がお前を罵る度に私はこの部屋の襖に自ら札を張ったほどだ。そうしないとまた暴れてしまいそうでな」
「……」
それは危ない所だったけれど、それでようやく理解出来た。芹が私と伽椰子がやり合っている場面にどうして一度も出くわさなかったのかを。
「出来るだけお前と伽椰子を会わせないようにしたつもりだが、結局全てが裏目に出てしまった。だが、伽椰子の心の声が聞こえるようになるまでは追い出せなかったんだ」
「どうしてです?」
「巫女の力を持ったまま放りだしても、回復したらまたここへ来かねないだろう? 一度力を失った者はもう二度とその力を手に入れる事は出来ない。遥か昔からシャーマンと呼ばれる者達はその力を失うとその地位を剥奪された。それは今もだ」
「だから伽椰子さんをずっとここに? 力を奪う為に?」
流石にそれは伽椰子があまりにも可哀想ではないのか? そう思って芹を見ると、芹は冷たい顔をして言い放つ。
「シャーマンがその力を失う時はその力を己の為に使った時だ。つまり伽椰子の心の声が聞こえたという事は、伽椰子はその力を私利私欲の為に使おうとしたという事だ。一度忠告したのだがな」
「そうなんですか?」
「ああ。お前も見ただろう? 伽椰子がこの部屋に居たのを」
「……ええ、まぁ……」
フラッシュバックのように蘇る伽椰子を押し倒す芹を思い出して思わず視線を伏せると、芹が不思議そうな顔で私を覗き込んでくる。
「どうした? 何故そんな顔をする」
「……別に」
「別にという事はないだろう?」
流石蛇だ。しつこい。絶対に言わせてみるという気概を芹からひしひしと感じて私は声を荒らげた。
「……伽椰子さんはキスも平気で出来る人だし、そういう事して力を流してるのかなって思ったんです! だって芹さま伽椰子さんを押し、押し倒してたじゃないですか!」
思えばあの時から私の胃痛とストレスは膨れ上がった気がする。思わず怒鳴った私を見て芹はしばらくキョトンとしていたが、やがてどういう意味かが分かったのか、芹は久しぶりに声を出して笑う。本当に失礼だ。
「はは! なるほど、巫女は誤解をしたのだな。あの時伽椰子は無断でここにやってきて、突然私に抱きついてきたかと思うと私の胸ぐらを掴んで引っ張ったんだ。そこへ丁度お前がやってきた。恐らくはそういう誤解をお前にさせる為に」
「そ、そんな……私はてっきり二人は既にそういう関係なのかと……」
「どういう関係だ?」
何だか芹の声が妙に弾んでいる気がして芹を見ると、そこには口の端を上げて意地悪に微笑む芹がいる。
「そ、そういう関係ですよ! だから私、もし二人がそういう事ならここを出ないとって思って……思い詰めて風邪引いてこのザマです……」
私は勝手に誤解して勝手に悩み、挙句の果てには勝手に風邪を引いて倒れた大馬鹿者だ。そのせいで色んな人達に迷惑をかけたのだと思うともう皆に顔向けが出来ない。
思わず両手で顔を覆った私の髪を、芹がそっと撫でてきた。
「芹様?」
「すまなかった。あの時私は伽椰子のした事に腹を立てまいと必死でお前の事にまで気が回らなかった。まさかあんな事でそこまで気に病むとも思っていなかったんだ。それはどういう感情だったんだ?」
「そりゃ、嫉妬とか焦りとかそういうのじゃないですか?」
フイとそっぽを向いて投げやりに言う私に芹が黙り込んだかと思うと、次の瞬間芹は何を思ったか私を抱きしめてくる。
「そうか。巫女は嫉妬をしてくれたのか。私にはまだ分からない感情だが、案外悪くないな」
「悪くない訳ないじゃないですか。嫉妬なんてネガティブの代名詞みたいな奴ですよ」
「そうでもない。嫉妬をされるという事は、それだけ私の事を思っているという事だろう? それは私にとっては悪い事ではない。ただそれはお前限定だが」
あまりにも真顔でストレートにそんな事を言われて私は思わず言葉を失った。この人は自分が何を言っているか分かっているのだろうか?
けれどよくよく考えてみれば芹の言う通りだ。私は今まで芹の表情や言動に一喜一憂し、伽椰子には嫉妬までした。
もしかしたら思っているよりもずっと、私の中で芹の存在は大きくなっているのかもしれない。相手は神様だと言うのに。