<Mockingbird(モッキンバード)>と書かれたプレートが貼ってある木製のドアを、少し体重を乗せて開く。
すると、控えめに照明がともっている店内のカウンターの奥から、
「ごめんねー、今日は休業なのよー」
と、少しけだるい声で女性が俺に声をかけてきた。
「おいおい、勝手に休業にするなよ」
苦笑混じりで俺が言うと、
「なんだぁ、マスターか」
カウンターから声をかけてきた女性が、面白くなさそうな声で言った。
「でもさー、こうお客さんがいなかったら、休んでもいいんじゃないの?」
上着を脱ぎながらカウンターに入った俺に、彼女が言う。
「だめ。お客さんが来るかもしれないだろ?」
俺がいつものように答えるが、彼女は
「大体さー、こんな場所で『ピアノバー』なんてやってても、お客さん入らないじゃない。カラオケがある訳でなし、流行りの歌をやる訳でなし」
いつもと同じように愚痴るが、本気で嫌がっているわけではなさそうだ。
「それでもいいの。俺は誰か一人でもこの店で落ち着いてくれればいいと思ってるんだから」
俺も素直な答えを返す。
「それに、客ならここにいる」
俺は手早くシェーカーを振って、
「落ち着いた感じのやつをお願いできるかな?」
カウンターの向かいに座っている彼女に、「モッキンバード」を差し出した。
彼女は「仕方ないなぁ」という表情を見せてカクテルを一息に飲み干して、
「こんなのもらったら、リクエストに応えないとね」
くすりと笑ってそう言いながら、フロアの中央に置いてあるピアノへと向かった。
椅子に座って位置を少し調整した後、しばらくの沈黙。
やがて指が鍵盤を優しく叩き、ゆっくりと口を開いた。
彼女が奏で始めたのは、よくあるスタンダードナンバー。
彼女は歌の方がメインなのだが実はピアノの腕も結構なもので、こうして気が向いたときに弾き語りをしてくれる。
「モッキンバード一杯分」のつもりなのかもしれない。
ピアノの音と澄んだ声がフロアに拡がり、吸い込まれていく…
彼女の弾き語りを見ながら、そして聴きながら、俺は改めて「あぁ、好きなんだなぁ」と思う。
「できればこのまま、ずっと二人で…」
自分用に作ったカクテルを飲みながら、そんなことを考える。
やがて俺がカクテルを飲み終わるタイミングで、ちょうど彼女の弾き語りも終わった。
俺は
「チップ」
と言って、カクテルのお代わりを出した。
彼女はくすりと笑って受け取ったグラスを軽く掲げて、また一息に飲み干した。