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第34話「あんたと一緒にいたい」

 現状を理解するのに、時間がかかった。

『蠕動者』に捕まって。かなめに助けを求めて。彼が敵から解放してくれたかと思えば、隕石に衝突しそうになって――。

 そして。

 彼は不可避の激突から自分を庇って、機体を犠牲にした。


『なぁ……ベラちゃん……』


 か細く震える少年の声が、ベラの耳朶を打った。

 濡れた睫毛を何度か瞬かせて、彼女は顔を上げる。


「かなめ……!」


 映像はなく、通信は音声のみであった。

 彼は大丈夫なのか。今どうなっているのか。心配に差し迫ったベラの声に、かなめはほっとしたような笑みをこぼす。


『あは……無事やった? ベラちゃん……』

「わたしは――わたしはなんともないわ。けど、あんたはどうなのよ、かなめ」


 溢れ出しそうな感情を懸命に抑えて、ベラは訊いた。

 かなめは諦めたように溜め息を吐く。


『ボクもなんともない。せやけど……【キャンサー】はダメやな。スラスターも逝っとるし駆動系のシステムもエラー起こしとる。もう動けんな』

「そんな……」


 ショックにベラはかける言葉を見つけられなかった。

【ノヴァ】は宇宙での手足であり肉体だ。自分のせいで、彼はそれを失ったのだ。


「……っ、でも、わたしの【アクエリアス】はまだ生きてるわ! あんたを乗せて急いで『フリーダム』を追いかければ――」

『無理や。その機体の推力じゃ、どう足掻いても追いつけへん』


 一縷の望みが少年の手によって容赦なく断たれる。

 そんなわけないと必死に方法を思索するが、こういう時に限って脳みそは何の策も弾きだしてはくれない。

 もはや希望などありはしなかった。

 諦めるしかない現状にベラは涙を呑み、かなめに問う。


「なんで……なんでっ、わたしを助けたの!? あんたまで一緒に死ぬ必要なんて、なかったのに……!」

『アホ。ボクたちは「マブ」や。助けて当然やろ』


 一切の間を置かずかなめは答えた。

 同じ艦の仲間とはいえ、所詮は他人。それもまだ知り合って一ヶ月にも満たず、ロッテを組み始めてからは数日しか経っていない。

 そんな相手のために、なぜそこまでできるのか。

 ベラは知りたかった。同時に、自分がかなめという人間について、ほとんど知らないことに気がついた。


「……あんた、最初の試験のときに言ってたわよね。『キミはボクと同じやから』って。もしかして、それが理由?」


 仮想現実の戦いの中で、かなめはそう叫んでいた。

 戦闘中のことで動揺こそしたが、その後はさして気にも留めなかった言葉。

 けれど、『ディアナ』で初めて会ったときの、義体の深奥回路が軋むようなあの感覚に答えがあるとすれば、それかもしれないとベラは思う。


『……ボク、サイボーグやねん』


 ぽつり、とかなめは語り始めた。

 ベラは思わず言葉を失った。彼の裸体のみずみずしい白い肌も、少年らしい未完成な筋肉も、作られた偽物には到底見えなかったのだ。


『見えへんやろ? ボクの場合、脳みそが機械やねん。『蠕動者』との戦いで脳に障害を負ったボクを、支援してくれた人がおってな。その人のおかげで、ボクはこうして話すことも、戦うことだってできとる』


 彼の口調は明るかったが、声は少し震えていた。

 打ち明けるのはきっと初めてだったのだろう。隠していた秘密を曝け出すのだから怖くて当然だ。それでも彼が話してくれたのは、ベラを本当に信じているからだ。


『アレクサンドラのご令嬢が「N義体」を使っていると知ったときは、ボクと一緒やと思った。あのとき、『ディアナ』でキミと初めて会ったとき、運命やと思った。キミが『星野号』っていう護衛艦のクルーで、しかもそこがパイロットを募集してるって聞いて、いてもたってもいられへんくなった』


 無邪気だが掴み所のなかった彼が本心を打ち明けてくれたことが、嬉しかった。

 口元には自然と笑みが浮かぶ。通信の向こうの彼も同じ顔をしてくれていたらいいなとベラは思った。


「だから、一緒……か。でもあんた、そんな運命の女の子相手にシミュレーションとはいえ攻撃してきたわよね? アプローチとしてはゼロ点だわ」

『にへへ……そこは反省しとる。ボク、【ノヴァ】に乗ると性格変わるっちゅーか、テンション上がりすぎて変になるっちゅーか……あのときはごめん』

「もう過ぎたことだし、いいわ。あんたがわたしをどれだけ想ってくれているかは、十分伝わったから」


 最初に覚えたどきどきが、恋ではなく義体同士の共鳴だったとしても。

 今は彼のことが、たまらなく愛おしい。

 同じサイボーグとかは抜きにして、一人の人間として。

 美しい顔も、しなやかな肢体も、鬼神のごとき強さも、純真に想ってくれる心も、全部引っくるめて、ベラは柊かなめという少年が好きだと思えた。


「ねえ、かなめ」

『ん?』

「あんたの顔が見たい。あんたと一緒にいたい。ね、いいでしょ?」

『うん』


 ベラは【アクエリアス】の身体を起こして、腕を【キャンサー】の背面部コックピットハッチへと伸ばした。

 指先でそこをこじ開けて、掌を差し出すと、中から気密スーツに身を包んだ少年がふわりと出てくる。


「かなめ――」


 たった数秒も待ちきれずにベラはコックピットの扉を開き、飛び出した。

 緩やかにこちらへと流れてくる彼へと手を伸ばし、抱き留める。

 そのまま顔を近づけてキスしようとして、ヘルメットのバイザーがこつんとぶつかり、二人はどちらからともなく苦笑した。


「……にへへ」

「ふふっ」


 互いの背中に腕を回し、密着する。

 あたたかい、とベラは思った。

 気密スーツ越しでは、体温は伝わらない。それでも、心の温もりはリアルに感じられる。

 ふたりはしばらく、そのままでいた。

 この瞬間が永遠に続けばいいと、心から思った。


「ねえ、ベラちゃん」


 機体の足元、隆起した岩肌の上に腰掛けて、互いの肩に体重を預ける。

 寄り添いながら無窮の星空を眺め、かなめはベラへ呼びかけた。


「何?」


 聞き返したベラにかなめは微笑む。どこか哀しいような、寂しいような笑みだった。


「……ボクな、何もないねん。脳に障害を負う前のこと、何も覚えてへん。分かっているのは『柊かなめ』って名前と、前に所属していたフリーの護衛艦で、ボクがそこそこ強いパイロットだったってことだけ」


 そんな、とベラは胸中で声を上げた。

 記憶がない。昨日まで笑い合っていた大切な人のことも、自分自身のことも、分からなくなる。その何も見えない不安や拠り所のない寂しさに、彼はずっと苛まれ続けてきたのだ。


「その、前に所属していた艦の人って……」


 おそるおそる訊ねるベラにかなめはやはり、笑っていた。


「みんな死んだ。生き残ったのはボクだけやった。何も分からないまま拾われて、手術を受けて……今思えばボクは、脳に埋め込む義体の都合いい被検体だったのかもしれへん。けれど、それでも……ボクは生きて飛んでいられるだけでよかったんや」

「どうして――」


 思わず言葉が口を衝く。ぎゅっと目を瞑り、顔をくしゃくしゃにしてベラは悲痛な声で言う。


「どうして、笑っていられるの。仲間がみんな死んで、自分だけ生き残って、実験体にされて、そんなの――」


 辛すぎるではないか。自分だったら耐えられない。一人だけ生存した罪悪感に苛まれ、異物を入れた身体を嫌悪して、やがて命を絶つかもしれない。


「言ったやろ、ボクには何もないって。だからもう、笑うしかないんや。覚えてへん仲間とか自分の脳みそのことで悩んでも、しゃーないやろ」


 言いながら笑うかなめの目元に、水滴がきらめく。

 咄嗟にそれを拭おうとしてバイザーに阻まれる彼の手を捕まえて、ベラはぎゅっと指を絡めた。


「たとえあんたが、全部を失っていたとしても……今はわたしが、そばにいるわ」

「せやな。おおきに。ほんまに……おおきに」


 震える声でそう言ってから、かなめはベラの胸に顔を押し付けて、声を上げて泣いた。

 ベラは彼の頭を撫で、背中を擦りながら、ただその涙を受け止めていた。

 もう無理に笑う必要などない。あなたの悲しみにはわたしが寄り添うから、と。



「ね、かなめ」


 どれだけの時間が流れただろうか。

 泣き疲れて眠ってしまったかなめの肩を叩いて、ベラは果てなき星空を指し示す。


「流れ星が見えるわ。まるで、わたしたちを祝福しているみたい……」


 宇宙を駆ける白い光。

 顔を上げたかなめはそれをじっと見つめた後、ぽつりと呟いた。


「……あれ、近づいてきてへん?」

「えっ?」


 光は徐々に大きさを増し、確かにこちらに接近しつつあった。

 ベラは仰いで身構えるが、その輪郭がはっきりしてくるにつれて表情の強ばりを解いていく。


 ――【ノヴァ】だ。


 足のない尾びれを雄々しく振るい、広大な宇宙を泳ぐその名は【パイシーズ】。


『迎えに来たわよ、お二人さん!』

「エルルカさん!」


 スラスターの逆噴射で急制動をかけ、隕石上に着地する【ノヴァ】。

 巻き上がる砂埃の中、コックピットを降りてやって来た彼女のもとへ、ベラは勢いよく駆け出していった。


「命拾いしたわね、あんたたち。そのラックに感謝することね」

「ありがとう――でも、どうやって?」

「『フリーダム』製の新機体に搭載予定だった大型の追加スラスター、それをちょっと拝借したのよ」


 自慢げに胸を張って語るエルルカ。見れば、【パイシーズ】の背面部にはとんがり帽子にも似た三角錐型の大型ユニットが取り付けられていた。

 そんな彼女に先程までの悲壮感も忘れ、かなめが馴れ馴れしく訊く。 


「それって問題にならへんの?」

「デンジャラス、問題大ありね。絶対止められると思って無断で持ってっちゃったもの……あとで一緒に頭下げなさいよ」

「うへぇ……絶対怒ると怖いやん、あの人!」

「死ぬよりかは怖くないでしょ。わたしもいるんだから、覚悟決めてよね!」


 げんなりとした顔になるかなめの背中を、ベラがばしんと叩く。

 その勢いにちょっと顔をしかめた後、かなめはにへらっと笑い、ベラも一緒になって笑った。

 そんな近づいた二人の距離感にエルルカは肩を竦め、「さ、行くわよ!」と【パイシーズ】のもとへと走っていった。


「わたしたちも行きましょ」

「うん!」


 かなめの手を引いて、ベラは【アクエリアス】のコックピットへと乗り込んでいく。

 機体を再び立ち上がらせながら、少女は隣に立つ少年に思いを寄せた。



 たとえ過去を失っていたとしても、脳に機械を埋め込んでいたとしても。

 かなめはかなめだ。

 いま、湧き上がる思いは同情でも、可哀想だという気持ちでもない。ただ純粋に、彼と一緒にいたい、彼の笑顔を守りたい、彼にとっての「いま」を共に築いていきたい。そんな確固とした思いだ。

 わたしたちの未来はこれから始まるのだ。

 彼の手を握って感じる温もりが、わたしたちの絆を繋いでいる。

 この先の戦いも、それを乗り越えた後の未来も。

 二人で進んでいった一歩一歩が、どんな小さなことでも大切なものになると信じて。 

 わたしたちは共に、生きていくのだ。


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