各方面の戦闘を観測していた『フリーダム』ブリッジには、激震が走っていた。
『蠕動者』の肉体を思わせる黒いゼリー状の物質が【ノヴァ】に取り付き、そのコントロールを奪ったのだ。
その未知の事象は歴戦のクルーである彼らをも、恐怖させた。
「リアム機、信号途絶! 謎の黒い物体に、完全に取り込まれた模様!」
「『アルファ』方面でも同様の現象を視認! 現在、【パイシーズ】が交戦中です!」
「リアム隊、六機帰還! 損傷は軽微!」
『フリーダム』がリアム隊のいる衛星『ベータ』方面に赴いた時には既に、手遅れであった。
リアム・リーの敗北。その事実はクルーたちに深い絶望を植えつける。
彼はエルルカ・シーカーに次ぐエースとして名を馳せていた。若いながらも冷静沈着に戦う彼は、パイロットたちの精神的支柱であった。
「ああっ……ああ、あああああっ……!?」
リアムの断末魔の声を聞き、頭を抱えて震える女性オペレーター。
ハッブルは彼女の恐怖がクルーたちへと伝播していくのを肌で感じ取っていた。
このままでは皆、戦意消失してしまう。
拳を固く握り締め、眦を決し、ハッブルは開口した。
「総員、傾聴せよ!」
ブリッジのざわめきはなおも止まない。女のすすり泣きがいやに反響するなか、ハッブルはよく通る重みのある声で語り出す。
「リアム・リーの死は無念であった。仲間を失い、傷つくことの痛みは計り知れない。だが、あえて言おう――その痛みこそが、我々が今、戦う理由なのだ」
一人一人の瞳を見つめ、力強く噛み締めるような口調で、男は訴える。
「なぜ戦うのか。それは、自由のためだ。愛する隣人のため、人類の未来のため、人が人らしく生きる権利を獲得するために戦い続けてきたのだ。自由とは神から与えられるものではなく、人が自ら足掻いて掴み取るもの。過去の偉人たちは多くの犠牲を払ったうえで、それを手に入れてきた。我々も同じだ。たとえ仲間を失おうとも、その喪失の痛みを胸に、前に進み続けなければならない」
クルーたちの脳裏に、リアムをはじめ、これまで共に戦ってきた仲間たちの顔が過った。
彼らは皆、自由を求めて戦い、そして死んでいった。ここで歩みを止めてしまっては、彼らが命を懸けた意味を奪うことになってしまう。
恐怖に慄いていたクルーたちの目に、闘志の炎が蘇る。
「恐怖を越えて戦え! 希望の灯を絶やしてはならん! 共に勝利し、歴史の証言者となろうではないか!」
拳を掲げ、ハッブルは高らかに宣言する。
彼のもとで志を一にするクルーたちは雄叫びを上げ、そして敬礼した。
「リアム……許せ。お前を解放するには、こうするほかないのだ」
『フリーダム』の目前に相対した一機を見据え、ハッブルは鋭く目を細めた。
自ら率いるように背後に無数の『蠕動者』を従えるリアム機に対し、艦長は攻撃命令を出す。
「『トライデント』、弾幕放て。飽和攻撃で確実に葬る」
*
「……寄生、した? 『蠕動者』が、【ノヴァ】に……?」
その呟きが、周囲の空気を一層重くした。何もかもが異常だった。あの黒いジェル状の物質、そしてその後に起きた現象が意味すること。もはや戦闘の枠を超えて、未知なる脅威が現実のものとなった。
メーヴはその言葉を無視することなく、冷徹な声で指示を出す。
「警戒を強化しろ! あれが機体を乗っ取る前に、どうにかせねば……!」
かなめは震える手で制御パネルを操作し、【トーラス】の状況を確認しながら、視界の端で変異した【ノヴァ】たちを見つめた。彼の心中では、恐怖と混乱が交錯している。寄生、『蠕動者』……それらの言葉が頭の中を駆け巡る。
「なんやっ……なんなんや、これは……!?」
かなめの心の中で不安が膨れ上がる。呑み込まれたパイロットたちの断末魔が脳内でリフレインし、彼の身体は否応なしに震えた。
その時、突然、【ノヴァ・アリーズ】が激しく動き出す。禍々しい赤い目が、彼らに向けて鋭く輝き、空間を切り裂くように動き始めた。
まさに暴走と呼べる勢いでビームライフルを構え、ロックオンしてくる二機を前に、かなめは己を奮い立たせて叫んだ。
「やるしかない! メーヴはん!」
【ノヴァ・アリーズ】の猛攻。だが、その動きはまるで機械に命が宿ったかのように、正確で冷徹だった。まさに蠕動するような動きが、どんどん彼らを追い詰める。
「避けろッ!」
メーヴが叫び、すぐに機体をひねって回避する。しかし、その動きに合わせるように、【ノヴァ・アリーズ】の攻撃が無数に放たれる。無差別に、ただただ破壊のために。
「エリー!!」
メーヴの眼前で僚機が幾多の光条に貫かれ、爆散した。
瞳に涙を浮かべる彼女は回避行動を続けたまま、連携を取って迫る二機へ呼びかける。
「アデライン、ヘイリー! 私の声が分かるか!? 頼む、目を覚ましてくれ!!」
悲痛な叫びは空虚に響くのみだった。
赤い目を禍々しく光らせる二機が、メーヴへと肉薄する。
「メーヴはん! ――チッ!」
メーヴを援護しようとするかなめだったが、現れた敵の増援に阻まれてしまう。
正規軍艦隊の【ノヴァ・トーラス】。数は十二。高度な連携を取って急襲をかけてくる彼らに対し、かなめは【キャンサー】の片腕のガトリングガンで応戦した。
(メーヴはんを助けに行きたいのに、クソっ……!)
敵の頸を落とせばまたあの黒いジェルが出てきてしまう。他の部位を損傷させても機体自体は完全に止められない。メインスラスターを狙おうにもコックピットと近すぎる。撃てば中のパイロットを殺しかねない。
(どうする、どうすれば……!?)
逡巡が少年の機動を鈍らせる。
たたみかけてくるビームの連射に防戦一方となるかなめは、顔を歪め、少女に縋った。
「ベラちゃん……!」
*
メーヴ隊の四機を引き連れて、【ノヴァ・アクエリアス】は『星野号』へと帰投した。
格納庫にてスミスとかなめが負傷者の救護に駆けつけるなか、ベラはすぐに戦場へととんぼ返りしようとする。
『待って、ベラちゃん』
が、通信越しに航に呼び止められ、飛び立とうとしていたベラは足を止めた。逸る気持ちを懸命に抑え、彼女は応答する。
「――艦長」
『急ぎたい気持ちは分かる。でも君の覚悟が揺らいでいては、行ったところで共倒れするだけだ』
鋭く内心を見透かしてくる航の言葉に、ベラは反論できなかった。
そうだ。ベラは未だ迷っている。最悪の状況下でも敵を撃てるのか。殺せるのか。躊躇ってしまっている。
『聞いて、ベラちゃん。おれに一つ、策がある』
そんなベラに航は道しるべを示す。
矢継ぎ早に彼はその「策」をベラに語って聞かせた。
『推測だけど敵の「寄生型」は【ノヴァ】の頸部に取りついている。だから頸を斬った上で黒いジェルから身を守り、コックピットブロックを回収できれば中のパイロットを救出できる可能性がある』
腕を撃った時には出なかった黒いジェルが、頸を切った時には噴出した。
それだけを根拠に策を立てる航に、ベラは声を震わせる。
「そんなこと……無理です」
『他のノヴァには無理でも、【アクエリアス】ならできる。そのための『γフィールド』だ』
『γフィールド』はそれ自体が【ノヴァ】の撃つビームと同等の威力を持つ。
黒いジェルを受け止めつつ、触れたそばからそれを消滅させる――それを可能とするのは【ノヴァ・アクエリアス】だけなのだ。
「私にしか、できない……」
たった一つの救済の可能性を前に、ベラはごくりと唾を飲んだ。
自分の手に囚われたすべてのパイロットたちの命がかかっている。プレッシャーは甚大だ。それでも、やるしかない。
「――行きます。それがわたしの使命なら」
眦を吊り上げ、覚悟を背負い、ベラ・アレクサンドラは宣言する。
画面の中でにっと笑ってサムズアップする航に頷きを返し、彼女は【アクエリアス】を出撃させた。