目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第46話「ああ……怖いなぁ」

 ベラはセラの乗る【ノヴァ・リオ】を牽引して『星野号』へと帰投した。

『ジュゼッペ基地』の護衛艦ドックに強引に着艦した『星野号』は満足に動けない状況にあったが、【ノヴァ・トーラス】を駆るカミラと臨時的に砲手を務めたノアの奮戦によって、辛うじて撃沈せずにいた。


「ハッチ開けて! ベラ・アレクサンドラ帰投するわ!」

『ベラさん……! 戦いは、終わったんですか!? 「知性体」は!?』

「艦長が討ったわ! セラを助けたの、早く!」


 切羽詰まった声で訊ねてくるノアへ手短に要件だけを伝える。

 すぐに開いた艦後部のハッチから格納庫まで来たベラは、【ノヴァ・リオ】をそこに横たわらせ、自分の機体を降りた。

 そこへ、待機していたスミスが駆け寄ってくる。


「スミスさん、セラを……!」

「分かっている! 俺がコックピットハッチを開けるから、ベラ君は酸素を!」


 言われ、渡された酸素ボンベを抱えてベラはスミスと共に【リオ】へ近づいた。

 男の剛腕が鉄の扉をこじ開ける。その隙間に身を滑り込ませ、ベラはコックピット内部へ入った。

 気密スーツを纏ったセラのバイザー越しに見える表情は、ぐったりと生気がない。

 最悪の事態を予感してベラの深奥回路はずきりと軋んだが、バイザーに顔を寄せると、口元がほんの微かに動いているのが見えた。


「スミスさん、息が……!」

「ボンベを取り替える! 息があるならまだ何とかなるはずだ!」


 スミスが気密スーツのボンベを交換し、すぐにセラを横抱きにして外へ運び出していく。

 ともに医務室へ向かいながら、ベラはセラの顔をじっと見つめた。

 今はどうにか息がある。けれど油断はできない。『知性体』に取り憑かれたことで人体にどのような影響が起こるのか、まだ誰にも分からないのだ。


「セラ……どうか、生きて……」


 祈るようにベラが呟いた、そのとき。

 セラの瞼がわなわなと震えながらもぱちりと開いて、ベラを見た。

 向けられた眼差しには確かな生気が宿っていて。

 ベラは目に熱いものを浮かべ、穏やかに微笑むのであった。



 星々の瞬きのごとく遠景で輝いているのは、『フリーダム』の【ノヴァ】たちが放つ戦闘の光だ。

 航は慣性に任せて宇宙そらを漂いながら、それを見ていた。


 ――これが本当に、君たちの望んだ結果なの?


『知性体』を討った瞬間、感じたのは激しい怨嗟の叫びだった。

 怒り。恨み。絶望。そして、拒絶。

 彼は最後まで航の呼びかけに答えてはくれなかった。

 もはや対話など夢物語なのか。どちらかが一方を滅ぼすまで、この生存競争は終わらないのか。果てなき争いに終止符を打つことは、本当に不可能なのか――。


「おれたちが君たちのことを知れたら……君たちがなぜ人を憎むのか理解できたら、何か、変えられるのかな……」


 恐れ、排除するだけでは何も変わらない。むしろ戦いを激化させるだけだ。

 必要なのは相手を理解すること。そのうえで、この宇宙で上手く棲み分けるすべを模索すること。


「おれは、これ以上、涙を流したくないんだ……。ねえ、君たちはどうなんだ?」


 ヘルメットの中で涙の粒が、きらきらと浮かぶ。

 航は虚空に手を伸ばし、問いかけた。

『蠕動者』が一体一体、散っていくたびに悲痛な声が聞こえてくる。いまはそれがただ、悲しい。


「基地へ……向かわなくちゃ。彼の痕跡が、もしかしたら……あるかも、しれない」



 迎えに来たカミラの【ノヴァ・トーラス】に乗り換えて、航は一人、『ジュゼッペ基地』へと再び乗り込んだ。

 もぬけの殻となった広い通路を抜けていき、最奥部を目指す。

 主を失った基地は寒々としていた。外の戦闘もにわかに忘れさせるような静寂のなか、航は先の戦いの場に戻る。


「司令部は――地下か」


 崩壊した天井の瓦礫は大半が宇宙の藻屑と消えていき、大空間には『蠕動者』が遺した灰が漂うのみであった。

『蠕動者』の多くが死んだことでレーダーは正常に機能するようになっていた。電磁波の反射から司令室の位置を掴んだ航は、大空間の中央まで移動し、ビームサーベルで床を切り取るように穴を開ける。


「ここからは生身……『蠕動者』が来たら終わりだな、おれ」


 空笑いを浮かべ、申し訳程度の拳銃を片手に、航は機体を降りた。

 足元に穿たれた隙間へと身を滑り込ませ、真っ暗な地下へと侵入する。

 ヘルメットのライトで前方を照らしながら、彼は狭い廊下を慎重に進んでいく。


「……これは」


 足元にぬめりを感じて航は視線を下向けた。

 床にこびりついているのは黒いジェル状の物質だった。思わず身構える航だったが、何も起こらない。『蠕動者』の体液にも似たそれは床のみならず、壁や天井にも付着していた。


「……ぞっとするね」


 ここを通過したであろう『蠕動者』が、もしかしたら近くにいるかもしれない。

 苦笑交じりに呟いた航は御守り代わりの拳銃を構え、記憶を頼りに先を急いだ。

 しばらく行くと、銀色の物々しい扉が見えてくる。

 扉横のカメラの前で立ち止まった航をシステムが感知、バイザー越しに網膜認証を完了し、ロックを解除させた。


「正規軍の元エースの肩書きが、こんなところで役に立つとはね」


 彼は過去に一度、この基地で作戦の中枢に加えてもらったことがあり、その際に司令室のシステムに自分の生態情報を登録していたのだ。

 音もなくドアが開く。一旦の深呼吸を挟み、航は内部へと突入した。


「……ッ!」


 人感センサーで照明が自動的に点灯する。その眩しさに立ちすくむ彼だったが、目が慣れてきて視界に映った司令室の有り様に息を呑んだ。

 置かれたコンソールの数々や壁に設えられた大モニターは、記憶の中の光景と同じだ。変わっているのはそれらが黒いジェルに覆われていること。


(こんなところにまで『蠕動者』が?)


 そう胸中で呟いてから、航はあの『知性体』の身体が二メートルほどとかなり小さかったことを思い出した。きっと彼はここにいたのだ。

 そのジェルに触れてみると、まだ乾いておらず、やはり付着してからさほど時間が経っていないようだった。


「……ん?」


 他に『知性体』の痕跡はないか探して司令部の奥へと踏み込んだ航は、足裏に何かの感触を覚えて下を見た。

 粘っこい『蠕動者』の体液を足で掻き分ける。

 あらわになったのは、二つのストロー付き密閉容器であった。


「……えっ?」


 それを拾い上げた航の手は、震えていた。

 基地司令室は精密機器の万が一の故障を防ぐため、水分の持ち込みは厳禁となっていた。

 故にこれは過去の軍人が持ち込んだものではない。


「どういう、こと……? 人が……人間が、この場にいた? 『蠕動者』に支配された、この場所に……?」


 信じられない。だが、この密閉容器が動かぬ証拠だ。

 正規軍やフリーの護衛艦が基地内への突入を果たしたという話は聞いていない。

 では一体、誰が――?


「……あれは……?」


 部屋の隅に落ちている白っぽい何かに目を留め、航は近づいてそれを確認する。

 布切れ、のように見えた。複雑に層を作る繊維からして、宇宙服か。

 細切れになって周囲に散らばっているそれらを回収し、航は探索を続けた。

 他にめぼしい痕跡はないようだった。ぐるぐるとその場を歩き回りながら、彼は思案する。


「密閉パックも宇宙服も、長時間宇宙線に曝されていたら劣化するはず。なのにこの密閉パックはそのままの形を保っている……つまり」


 直近まで何者かが、この場にいたのだ。


「『蠕動者』との繋がりを持つ、人間……」


 彼らがどこの所属で、何を目的にしているのかは現状では分からない。

 だが真に戦うべき相手が彼らという人間であるならば、戦いの終着点も見えてくるはずだ。


「ああ……怖いなぁ」


『蠕動者』たちを裏で操る敵意と悪意。その正体が自分たちと同じ人類であるという可能性が、どんな『蠕動者』を前にした時よりも恐ろしかった。



 宇宙漂流時代二五七年、六月。

『第三次ジュゼッペ基地奪還作戦』は民間護衛艦『フリーダム』と『星野号』の活躍により達成された。

 寄生型の『知性体』は討伐され、他の『蠕動者』もほとんどが駆除された。

 その後、正規軍エレス基地第一艦隊が部隊を再編したうえで合流。基地の制圧を行った。


 星野航は基地司令室にて発見した「人類の痕跡」を秘匿。正規軍にも『フリーダム』にも明かさぬまま、その場を去った。

 それは「『蠕動者』と繋がりを持つ人間」が何者か分からないが故の措置であった。


 死者、正規軍三五〇〇名。『フリーダム』三八名。

 あまりに多くの犠牲のうえに、戦いは決着した。

 しかし、それは新たなる戦いの序章に過ぎなかったということを、彼らは後に知ることになるのである。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?