遡ること少し、宇宙漂流時代二五七年、六月三十日。
『CFA』の補給艦『タマヨリ』は『エレス』から帰還する艦を迎えるべく、小惑星『モニカ』付近に停泊していた。
「間もなく帰還予定時刻ですね。無事に戻って来られるでしょうか、ロドリゲス艦長」
「あいつらなら大丈夫だ。どの艦も立ち上げから五年以上生き抜いてきた歴戦の猛者。心配はいらん」
ブリッジにて、神経質そうに大モニターを睨んでいる青年が艦長に問う。
訊かれたロドリゲス艦長は、懐の深さを感じさせるゆったりとした声で答えた。
民間護衛艦はその多くが完成から一年以内に撃沈されているというデータがある。五年も生き残れているのはほんの一握りの実力者たちだけなのだ。
「僕の杞憂であればいいのですが……」
青年はなおも浮かない顔で呟く。
ヘーゼルのマッシュヘアー。同じ色の瞳は丸っこく、抜けきっていない少年らしさを感じさせる。緊張に強ばってはいるものの、顔立ちは端正で気品を醸し出している。纏う衣装は紺を基調とした新品の『CFA』制服だ。
彼の名はオーエン・ブラウン。高校卒業後、戦死した父親の後を継いで民間護衛艦のパイロットとなった若者である。
「親に似ず心配性だな。護衛艦乗りに必要なのはどっしりと構える心だよ、オーエン君」
「そうかもしれませんね」
オーエンは腕時計にちらっと視線を落としつつ答えた。
それでも何だか嫌な予感がする。根拠はない。だが、自分の中の勘が、何かが起こると告げている――。
『アステラの全国民に告ぐ!』
突如として響き渡った女の声に、オーエンは顔を跳ね上げた。
先程まで宙域図が出されていたモニターには紫髪の女性の姿が映っている。
エレミヤ・マザー中佐。正規軍『エレス基地』司令官である。
「艦長、これは……!?」
にわかにブリッジが騒然となる。ざわめくクルーたちを片手で制し、ロドリゲス艦長はマザーの言葉を待った。
女のバストアップが一旦フェードアウトし、新たに映像が表示される。
胸に翼の徽章を印した正規軍の【ノヴァ・トーラス】。それと相対している小型の新型――『フリーダム』の【ノヴァ・ジェミニ】。
【ジェミニ】が連携して【トーラス】を撃墜する光景を、オーエンたちは呆然と見つめた。
その映像をバックに、マザーの演説が続く。
『これは先の「第三次ジュゼッペ基地奪還作戦」時の映像である! 民間護衛艦「フリーダム」は基地奪還という手柄を欲し、あまつさえ我が軍の機体を討つという暴挙に出た! この恥知らずな蛮行は、断じて許しておけるものではない! 故に、我々は「フリーダム」およびそれを支援する「民間護衛艦連盟」へ、宣戦布告するものである!』
――宣戦布告。
その単語にオーエンをはじめ、クルーたちは耳を疑った。
『フリーダム』の新型が正規軍を攻撃したのが事実なら由々しき事態だ。
だが、それが仮に真実だったとしても、正規軍が『フリーダム』のみならず『CFA』と武力で対立するなど異常である。
「正規軍が僕らを攻撃するだって……!? 普通なら『フリーダム』を軍事裁判にかけて終わりでしょう! なのにどうして!?」
「奴らはもう『普通』の範疇にないということだ。マザーの女狐め……『フリーダム』が正規軍を攻撃したということ自体、疑わしい」
狼狽えるオーエンに、ロドリゲスが忌々しげに吐き捨てる。
正規軍が仕掛けてくるとするなら、最も危ないのは宇宙ステーション『ディアナ』だ。
『CFA』の拠点たるそこが落とされれば、すべての民間護衛艦は宇宙での活動が立ちゆかなくなる。
「三隻の補給を終えた後、最大戦速で『アステラ』方面へ後退する! 総員備えろ、猶予はないぞ!」
「かっ、艦長! せっ正規軍の【ノヴァ】を確認! こちらに近づいてきます!!」
レーダーが捉える敵影の数は五十を超えている。その背後には艦艇が五隻。これだけの数は咄嗟に集められるものではない。
差し向けられた戦力を前に、ロドリゲスはすぐに己の予測が間違いであったことを悟った。
敵の本命は『ディアナ』ではなく、この『タマヨリ』をはじめとする補給艦であったのだ。
「総員、第一種戦闘配置! 何としても艦を守り抜け!!」
ロドリゲスの号令を受け、待機していた【ノヴァ】パイロットたちが続々と機体を発進させていく。
その数、二十四。多勢に無勢であったが、もはや彼らに後はない。覚悟を決める時間すら与えられず出撃を余儀なくされた【トーラス】たちを、オーエンはモニター越しに見つめた。
「僕も出ます、艦長!」
「ダメだ。お前はまだ見習い……戦場には出せん」
「でもっ!」
巌のような顔で言い渡すロドリゲスにオーエンは食い下がった。
しかし艦長は青年の言葉を黙殺し、【ノヴァ】部隊とブリッジへ矢継ぎ早に指示を出し始める。
オーエン一人を置き去りにして、戦闘は開幕した。
「敵艦よりミサイル多数確認!」
「弾幕用意! 迎撃しろ!!」
「第一中隊、敵部隊と交戦中! 既に三機が落とされました!」
「『ハンター』で援護しろ! 敵を散らせて各個撃破を狙え!」
オペレーターと艦長の叫び声が飛び交っていく。
戦況は劣勢だった。『タマヨリ』が放つ対蠕動者ミサイルは確かに牽制としての効果を発揮したが、それでもなお数の暴力に押されている。
無理だ。勝てるわけがない。そう確信したオーエンは艦長に進言した。
「敵の艦艇は五隻……後詰の【ノヴァ】部隊も控えているはずです。このままでは落とされます、早く撤退を!」
焦る青年に対し、ロドリゲスはきっぱりと言い切る。
「ダメだ。補給を待つ友軍を見捨てて逃げることなどできん」
「ですがっ……!」
さながらオーエンたちは断頭台で処刑を待つ罪人だ。
だが、一体自分たちが何を犯したというのだろう。クルーたちは任務に出向く護衛艦を支援していただけで、正規軍には何もしていない。オーエンに至ってはこの航海が初めての船出だったというのに――。
「……っ、父さん、母さん……!」
死が足元まで迫っている気配がする。
ここが最後なのか。両親に誇れる戦果を一切挙げることなく、ここで終わるのか。そんなのは嫌だ。けれどもはや、盤上の逆転など不可能だ。
「友軍です! 『デナリ』、『ボナ』、『サンフォード』、三隻がこちらに向かってきます!」
オペレーターの報告にオーエンは顔を上げ、モニターを凝視した。
三隻の護衛艦は敵艦艇を大きく迂回し、それぞれこちらへ合流しようとしている。
彼らとの合流さえ果たせば戦力差は縮まる。見えた希望にオーエンが表情を輝かせた、その瞬間――
「『サンフォード』、信号途絶!」
「光学映像を出せ! 状況を確認しろ!」
オーエンは絶句した。彼が見たのは巨大な光の奔流に呑み込まれ、そして消えていった一隻の光景だった。
『ガンマ粒子レーザー砲』――『エクスカリバー』。
敵艦より放たれたそれが僚艦の一隻を一瞬にして撃沈させたのだ。
間を置かず、残る敵艦が撃ち出した『エクスカリバー』が『ボナ』、『デナリ』の二隻を畳みかけるように撃墜していく。
「あ、ああ……あああああああっ……!」
罅割れた声を漏らしながらオーエンはその場に崩れ落ちる。
唯一の逆転の目が断たれた。今度こそ本当に、終わりだ。
絶望に打ちひしがれる青年にロドリゲスは目を向け、言った。
「オーエン、お前は逃げろ。デブリ擬装用のダミーバルーン……それを利用して漂流するんだ。明朝、『エレス』へ航行する艦がこの宙域を通過する予定になっている。上手くやれば彼らに拾ってもらえるかもしれない。……ああ、それと推進剤は使うなよ。エネルギーを『蠕動者』に感知される」
この人は何を言っているんだ、とオーエンは思った。
まだ何を成したわけでもない若造を一人、逃がす。
それがたとえ不確実な方法だとしても、本当に生き延びるべき人間は他にいるはずではないのか。
そう、たとえば――。
「かんちょ」
「それ以上は呼んでくれるなよ。俺には艦長として、最後まで艦やクルーたちと運命をともにする責任がある」
そう言ってから艦長は手短に格納庫のクルーへと指示を出した。
予備戦力の【トーラス】一機、そしてデブリ偽装用のダミーの準備が完了する。
「【ノヴァ】部隊、半数が撃墜!」
「左舷被弾! Hブロック一番二番、炎上しています!」
「Hブロック隔壁閉鎖! 残るミサイルすべてを注ぎ込んで敵【ノヴァ】を迎撃、少しでも時間を稼げ!」
敵機の撃ち込むミサイルやビームによる衝撃が艦を揺さぶる。
聞こえてくる死の足音に、オーエンはその場で立ち竦んでいた。
そんな彼にロドリゲス艦長は怒号を飛ばす。
「行かんか、馬鹿者!! クルーたちの思いを無駄にするつもりか!?」
言われ、オーエンは気がついた。
パイロットやブリッジのオペレーター、格納庫のメカニックに至るまで、艦長と思いを一つにしていることに。
彼らは自分たちの死を覚悟したうえで、未来ある若者に後を託そうとしていた。
その思いにオーエンは目に熱いものを滲ませる。
ぎゅっと瞼を閉じて涙を振り払った彼は、床を蹴飛ばしてブリッジを去った。
「必ず生き延びます――」
爆撃に艦が揺れ、バランスを崩してもなお止まらず、オーエンは格納庫へ一直線に走った。
待機していたメカニックたちに敬礼し、彼はコックピットへと急ぎ乗り込む。
「オーエン・ブラウン、発進準備完了しました!」
「スモーク射出! 弾幕もありったけぶち込んでやれ!!」
目眩ましの煙幕と牽制の弾幕が艦から発射される。
カタパルトに乗った【トーラス】は、デブリ偽装用のバルーンを全身に纏い、そして勢いよく宇宙へと射出された。
青年の離脱をモニターで確認したロドリゲスはブリッジのクルーたちを見渡して、彼らに頷いてみせた。
「『タマヨリ』突撃! 敵艦に特攻をかける!!」
これが最後の仕事だ。『補給艦』としての本分を遂げて引退できなかったのは心残りだが、戦友の息子を守って死ねるなら後悔はない。
全エネルギーを投入しての爆発的な加速。
敵艦の意識は否応なしに『タマヨリ』一隻に集中する。
「オーエン……お前には辛い運命を背負わせてしまうかもしれん。だが、生きていればきっと……お前らしい幸福を見つけ出せるはずだ」
ただ願うのは、彼に生きて幸せになってほしいということ。
戦友が自慢げに抱いてみせていた幼子の姿を瞼の裏に浮かべ、ロドリゲス艦長は穏やかに微笑んだ。
そして。
再充填の最中であった『エクスカリバー』が四〇パーセントの出力で放たれる。
極太のレーザー砲撃は『タマヨリ』の行く手を遮り、もはや止まれない艦はその中へ突っ込んで散華した。
「ロドリゲス艦長――――!!」
止めどなく涙を流し、オーエンは絶叫する。
今すぐに偽装バルーンを脱ぎ捨てて助けに行きたかった。だが、それは艦長たちの最後の思いを無下にする行為になる。己の身体を抱き締めてわななき、青年は懸命に衝動を堪えた。
やがて光が消え失せ、沈黙が虚空に降りる。
正規軍の艦艇は戦略目標を達成したと判断したのか、【ノヴァ】部隊を引き上げて『エレス』方面へ撤退していった。
「殺してやる……お前らなんか、殺してやる……! 艦長の仇は、僕が……!!」
密閉された揺りかごの中。青年は音のない暗黒を漂いながら、喉が枯れるまで呪詛の言葉を吐き続けた。