戦争勃発から半日後、宇宙漂流時代二五七年六月三〇日、午後四時。
『フリーダム』のグレイ・ハッブル艦長は宇宙ステーション『ディアナ』の『CFA』本部へと召集されていた。
「随分と手厚い歓迎で。ユージーン会長」
会長室まで通されたハッブルは、自分を取り囲んで銃を向けているシークレットサービスの男たちに視線を遣る。
両手を挙げる彼の表情は泰然としており、一切の焦りを感じさせない。
その態度がユージーン・プレイス会長には不気味に映った。十分な距離を取ってハッブルを迎え、ユージーンは言う。
「今ここで証明してください、ハッブルくん。君が無実であるということを」
老年の会長の声は震えていた。
それは自分が築き上げてきたものが正規軍との戦争によって崩れ去っていくことへの、恐怖の表れであった。
「仰る通り、私は無実です。ですが、それを証明する前に人払いをする必要があります」
試されている、とユージーンは感じた。
自分を信用しろ、とハッブルは言っているのだ。それは、「さもなくばここで撃たれることも構わない」という脅迫にも等しい揺さぶりであった。
「……君たちは外へ。彼と一対一で話します」
『CFA』という組織にとって、グレイ・ハッブルという男は唯一無二の存在だ。
護衛艦運営、【ノヴァ】開発、作戦指揮――そのいずれにおいても彼を上回る人材はいない。
彼を手放すわけにはいかない。故にユージーンは、彼を信じることを選択した。
「良き選択に感謝します、会長」
薄く笑みを浮かべ、ハッブルはソファの下座の前に立った。
誘導されるように上座に掛けたユージーンは、無意識に襟元のネクタイを弄る。
品のある所作で席に着いたハッブルは、真っ直ぐに会長を見つめ、話を切り出した。
「先の『ジュゼッペ基地奪還作戦』において、敵となったのは『蠕動者』だけではなかった。機械に寄生する能力を持つ『知性体』……奴に操られた正規軍の【ノヴァ】も、我々に牙を剥いたのです」
ユージーンは一瞬、絶句した。だがすぐに平静な表情を繕い、言う。
「……では、あの映像は……」
「ええ。我々を攻撃してきた正規軍の【トーラス】を迎撃した際のものです。それを上手く切り取られてプロパガンダに利用されてしまったわけですが、そうなると一つ、重大な問題が出てくる」
「……その映像がどこから流出したのか、ということか」
「流石は元頭取、理解が早いですね。私は『フリーダム』或いは『星野号』内に正規軍のスパイが存在すると考えています」
今度こそユージーンはしばし、言葉を失った。
正規軍は民間護衛艦内にスパイを忍ばせ、入手した映像を嘘の根拠に仕立て上げ、『CFA』との開戦理由にした。
スパイが「正規軍機と『フリーダム』機」との戦闘映像を入手できたのは偶然かもしれない。だが、補給艦『タマヨリ』を含む四隻が宣戦布告の直後に撃沈されたことから考えれば、この戦争は初めから仕組まれたものと見るのが妥当だ。
「そ、そのスパイはまだ特定できていないのですか?」
「容疑者は既に絞られています。だがそんなことはどうでもいい。既に戦端は開かれてしまった。この戦いをどう対処するか……決めるべきはあなたですよ、ユージーン会長」
ハッブルから選択を突きつけられ、ユージーンは広い額に脂汗を滲ませる。
「し、しかし……」
「三割を超える軍備の増強、一〇隻を超える艦が参加した大規模軍事演習。あなたは『CFA』の威武を示せば正規軍も簡単には手を出せなくなると考えたのでしょう。その考え自体は間違ったものではありません。過去、地球で対立関係にあった国同士でも、そういった睨み合いはよくあったといいます。正規軍がまともな軍隊であれば狙い通りにいったでしょう。しかし……」
理詰めで己の罪を責められ、ユージーンの呼吸は浅くなった。
彼は本気で戦争をするつもりなどなかった。
武力を示して時間稼ぎを行ったうえで民間に根回しを行い、正規軍の横暴を白日に曝す。それが計画だった。
ユージーンの誤算はたった一つ。
正規軍という組織がとうに、人が守るべき最後の一線を踏み越えてしまっていたことだ。
「『アレクサンドラ財団』の傀儡と化した正規軍に、もはや正義はありません。仮に彼らに降伏したとしても、その後の扱いは目に見えています。我々の選択は二つに一つ。戦いに勝って生き残るか、敗北して死に絶えるか」
ハッブルの姿がユージーンには鬼神のように映った。
自分は軍人ではなく、戦争などしたこともない。なおも言葉に窮するユージーンに対し、ハッブルは語気を強めて詰め寄った。
「あなたが始めた戦争だ! あなたが責任を取らずして、部下たちにどう落とし前をつけるおつもりか!」
逃げる選択肢など、ユージーンには最初からなかったのだ。
顔面を蒼白にさせ、老年は喉から声を絞り出して答える。
「……私の過ちです。私がすべての罪を背負います。ですから……ハッブル君、どの面下げてと思われるかもしれませんが、私たちにどうか力を貸してはくれませんか。君たち『フリーダム』の力がなければ、『CFA』が正規軍に勝つことなどできないのです」
恥も外聞もかなぐり捨てて、ユージーンは目の前の強者に縋った。
少しの間を置き、鈍く光る目を細め、ハッブルは鷹揚に頷きを返す。
「……無論です。『フリーダム』がこれまで民間護衛艦のトップでいられたのも、『CFA』の便宜があってこそのこと。我々は一心同体の関係です。見捨てたりなどしませんよ」
差し出された手に、ユージーンは迷わず飛びついた。
垂らされた救いの糸に夢中になるあまり、このときのユージーンは気づく由もなかった。
グレイ・ハッブルの瞳に宿る、仄暗いものの存在に。