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第50話「悲しい声はこれ以上、聞きたくないから……!」

 その手紙は、『ジュゼッペ基地奪還作戦』を終えて帰還した星野航へ、『CFA』のとある職員が渡したものであった。



 拝啓、『星野号』のクルー一同。


 君たちがこの手紙を読んでいる時には既に、戦いは始まってしまっているだろう。

 だが、どうか止めないでほしい。

 私は私の信念に従って戦っている。


 立花。



 宇宙漂流時代二五七年、七月二日。

『オールト基地』が『CFA』を名乗る部隊に制圧されたとの報せが入ったとき、星野航は手にしていた携帯端末を無重力の艦橋に放り投げ、天井を仰いだ。


「……あなたの言う戦いとはこのことか、立花さん……!」


 少数の【ノヴァ】部隊が基地中枢を押さえたのが事実なら、そこに立花が関わっているのは確実だ。数的不利を覆す電撃作戦は彼女の十八番だった。

 それにしても、『オールト基地』が一日も経たず陥落したという異様な早さは腑に落ちないが――。


「なんで……どうしてよ、立花さん……!」


 ベラはそう声を震わせる。

 人を殺してしまったんだ――出会ったばかりの頃、立花はベラに己の罪を告白していた。

 彼女は罪を悔いていた。その贖いのためにベラをはじめ、戦いの中で人の命を救ってきた。

 そんな人がなぜ、再び人を撃ってしまったのか。

 ベラには分からない。それが彼女の信念によるものだとも、思えない。


「止めましょう。立花さんにこれ以上、戦わせちゃいけない!」


 立ち上がったベラは、ブリッジに集まっていたクルー全員に向けて訴えた。

 立花を知るノアとスミスはベラの発言に同調するように深く頷く。


「立花さんを『星野号』に連れ戻すんです! 急ぎましょう、艦長!」

「落ち着いて、ベラちゃん」


 焦燥に突き動かされるベラに対し、航は冷静さを欠いてはいなかった。

 立花が自分から望んで参戦したとは航も思ってはいない。彼女は何らかの理由で――おそらく『CFA』側に脅迫される形で、戦力として利用されたのだ。


「こんな状況で落ち着いてなんかいられますか!?」

「こんな状況だからこそだよ。自分たちがいま何をすべきか――それを見誤っちゃいけない」


 淡々とした口調で諭され、ベラは吐き出しかけた言葉を飲み込む。

 かなめやカミラたち他クルーも、固唾を呑んで続く航の台詞を待った。


「『蠕動者』の脅威は未だ健在だ。彼らと接触しているであろう何者かの痕跡も明らかになった今、人類は身内同士で争っている場合なんかじゃない」


 クルー一人ひとりを見渡して、航は静かに語る。


「この戦い自体を止める。それがおれたちの、やるべきことだ」


 既に基地一つが制圧されたこの状況で、正規軍は報復を名目に全面戦争へと傾くだろう。

 最悪の場合、非戦闘区域である『ディアナ』までもが戦火に呑まれる。そうなれば何十万もの命が奪われ、民間護衛艦クルーたちは帰る場所を永遠に失ってしまう。

 それだけは何としても避けなければならない。


「艦長。それはつまり、正規軍とも『CFA』とも対立する第三勢力として動く……という意味でしょうか」


 この状況でもなお冷静な口調で、カミラが問う。

 長い前髪の下から見据えてくる少女に頷きを返し、航は答えた。


「そうだよ。これは最初から仕組まれた戦争だ。そんな無意味な戦いは、早く終わらせないと……!」


 拳を固く握って歯噛みする航の言葉に、ベラたちは瞠目した。

 そんな彼女たちに航は語ってみせる。


「だって、おかしいと思わないかい? 『オールト基地』は古いとはいえ、腐っても正規軍の宇宙基地だ。それを寡兵である『CFA』の部隊が落とすだなんて、本来できるはずがない。いくら電撃戦が得意な立花さんであってもだ」


 そう指摘する航に、スミスが眉間に深い皺を刻んで言う。


「じゃあそれが正規軍のマッチポンプだとでもいうのか? 何のために?」

「そんなの正規軍のお偉方に訊かないとわかんないよ。けど、一つだけ確かなのは……正規軍の中に、人類同士の戦いを激化させたがっている誰かさんがいるってことだ」


 宣戦布告の後、報復に来た『CFA』軍へ敢えて基地を明け渡し、正規軍に「基地を取り戻す」という新たな大義名分を与える。

 基地を奪った『CFA』はそれを何としても守ろうと徹底抗戦するだろう。

 そうして戦局は後戻りのできない総力戦へと突入していく。

 ――その果てに笑うのは一体、誰なのだろうか?


「君たちに無理に戦えとは言わないよ。相手は『蠕動者』じゃなくて人類だ。戦いたくないと思うのも当然のことだ。でも、おれは戦う。悲しい声はこれ以上、聞きたくないから……!」


 悲壮な覚悟を宿し、航は決然と宣言した。

 クルーたちの中に異論を唱える者はいなかった。ベラも、かなめも、カミラも、スミスもノアも、皆が航のもとで意志を一つにしていた。

 戦いを止めたい。

 そして、仕組まれた戦いに巻き込まれた立花を救い出すのだ。


「それで、まずはどうするんです、艦長?」


 真っ先に聞いたのはカミラだった。鋭い眼差しを向けてくる彼女に、航は予め用意していたような口調で答える。


「戦場に出る前にやるべきことがある。おれは一旦、『アステラ』に降りるよ」


 が、すぐさまベラから反論が飛んだ。


「そんな悠長な……! それにこの時勢です、『フリー』の人間が『アステラ』入りできるとは思えません!」

「準備なしで戦いに臨んでも負けるだけだよ。……大丈夫、ツテはあるから。おれってさ、こう見えても顔が広いんだ」


 冗談めかして得意げに笑う航に、ベラはくしゃっと泣きそうな顔になった。

 だが、彼女はそれ以上追及はしなかった。やると決めたらやり通す、それが星野航という男だと理解していたから。


「わかりました。けど、必ず無事に戻ってきてくださいよ。あなたがいなければ『星野号』は成り立ちませんから」

「とーぜん。一日で戻るからさ、心配せずに待っててよ~」


 クルーたちを少しでも安心させるため、焦燥を隠して普段の間延びした口調で言う航。

 わずかに緩んだベラたちの表情を確認した彼は目を細め、ブリッジを退出しようとした。

 しかし、その時。

 舞い込んできた連絡に、彼は足を止めた。


『「星野号」に通達する。「CFA」は貴艦クルーのベラ・アレクサンドラに出頭を要請する。ベラ・アレクサンドラにはスパイ容疑がかけられている。これに応じない場合、貴艦をスパイ幇助の疑いありと見なし、拘束も辞さないものである』


 ユージーン・プレイス会長の声がそう宣告した。

 誰もが硬直し、ベラへと視線を注ぐ。

 不穏な影が差す中、件のベラはそれをはねのけるように毅然と言った。


「大丈夫です、艦長。わたしは無実なんですから、何も心配することはありません」

「けど、危険だよ。君も立花さんのように、『CFA』に捕まって利用されるかも……!」


 案じてくれる航にベラは首を横に振り、気丈に笑ってみせた。


「それでも行きます。わたしにとっては、自分一人が苦しむよりも、艦長たちに危害が及ぶほうが辛いんです」


 仲間を守るためなら自分が傷つくことさえも厭わない。

 そんな彼女に対してできるのは、信じて背中を押すことだけだった。


「君の無事を祈るよ」

「艦長こそ。為すべき事を、為してください」


 真っ直ぐ見つめる航に、ベラも真摯な眼差しで応える。

 強い信頼で結ばれた二人はそれぞれが行くべき場所へと急ぎ、かなめたちクルーは二人の帰る場所を守るため、『星野号』に残るのであった。

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