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第51話「悪魔……!?」

「【ノヴァ・サジタリウス】、発進するよー」


『ディアナ』外縁エリアの『CFA』本部へと向かうベラを見送った後。

 星野航は単身、『アステラ』に降りるべく自らの愛機に乗って出撃しようとしていた。


『了解です。しかし、本当に上手くいくでしょうか?』


 不安げな声で訊いてくるオペレーターのカミラ・ベイリーに、航は確信を持って頷く。


「いくさ。おれの言葉は必ず、あいつに……セラに届く」


 航の目的、それは『アステラ』にいるセラ・モンゴメリー大佐に、戦争の早期終結のため働きかけてもらうよう打診することだった。

 軍の派閥闘争に敗れて没落したとはいえ、モンゴメリー家の影響力は未だ侮れず、セラ自身のカリスマ性も高い。彼が動けば相当数の兵士がついてくると航は踏んでいた。


「それに、本当に良かったんですか? 艦を出さなくて』


 確認され、航は緩慢な所作で首を横に振った。


「検査が終わった後、戻る場所がなかったらベラちゃんも困るでしょー? おれは一人でもへっちゃらさ」

『正規軍に狙われる可能性が高いです。どうかご武運を』


 わかってる、と答え、航はまっすぐ前を見据えた。

 開かれたカタパルト射出口より宇宙の暗黒が覗けてくる。

 口内がやたらと渇く。操縦桿を握り締める手には汗がじっとりと滲んでいる。

 怖くないと言えば嘘になる。これから戦う相手は『蠕動者』ではなく、明確な戦意を持った人間なのだ。


「――さあ行こう!」


 決然と叫び、航は一気に【サジタリウス】を発進させた。

 カタパルトの推力に押し出され勢いよく飛び立つ。


 エメラルドグリーンとグレーのツートンカラーの機体。背には実弾銃とビームライフルが一体となったボウガンの如き形状の『サジタリウス・ガン』を備え、それも含め全身を覆い隠す黒いぼろ布のようなマントを纏っている。

 このマントは特殊なラミネートによりビームや実弾によるダメージを軽減するほか、宇宙における迷彩としても十分な効果を発揮する、見た目以上の優れものだ。

『ジュゼッペ基地』の戦いで中破した【サジタリウス】であったが、この一ヶ月の間に改修を済ませ、完全復活を遂げていた。


「正規軍の方々に見つからなければいいけどねー……」


 全天周囲モニターに表示される宙域図を凝視して、航は呟いた。

 センサーが捉える熱源反応が『アステラ』近くに複数ある。おそらくは正規軍の艦隊だろう。彼らの目を掻い潜り、セラが滞在している『ネオシンジュク』ブロックへの入港を果たすというのが今回のミッションだ。


「『ディアナ』の領空を出たら慣性での航行に切り換え。艦隊がいるのは『コロンビア特別区』の真ん前だから、上手く避ければ『ネオシンジュク』に行ける、はず……」


 頭の中でのシミュレーションも、一切のミスや妨害がないこと前提のものだ。

 不測の事態が起こればたちまち困難な状況に陥る。

 完全なる博打。それでも血を流さず戦いを終わらせる可能性があるならば、やる価値はあるはずだ。

 と、そこで男の声が通信で届いてくる。


『そこ、何をしている!? 不用意に領空から出るんじゃない!』

「正規軍に気取られちゃうだろ、黙ってて! 止めるなら撃っちゃうよ!」

『何だと!?』


『CFA』の哨戒機からの警告に喰い気味に応答する航。

 脅し文句をぶつけてくる彼にそのパイロットは面食らうも、ここで『星野号』のエース機とやり合うのは得策ではないと考えたのか、それ以上追及してくることはなかった。

 築いてきた自分の名声に感謝しつつ、航は先へ進んでいく。

『CFA』の領空を抜け、予定通り慣性での航行に変更。これで熱エネルギーによる探知はされにくくなる。あとは運を天に任せ、流れゆくのみだ。


「……頼むっ、頼むよぉー……」


 既にかなりの速度が出ており、慣性飛行でも短時間で『アステラ』に到着できる。

 が、それでも三〇分はかかる計算だ。正規軍とのかくれんぼをやり遂げるには、いささか長すぎる。


「輸送船に潜り込んで行くべきだったかなー……けど出航前の検査とか色々あるだろうし、そうなると時間もかかっちゃうし……あーでもなー、こんな神頼みみたいなことなんで考えたんだろうなぁー……」


 一人になるとつい弱音を吐いてしまう。昔からの悪い癖だ。

 士官学校時代、そのことでセラに散々叱られた。おかげでだいぶ矯正できたが、根っこの部分はなかなか変えられないらしい。


「まっ、前を向くっきゃないよね~」


 そう言葉にして気持ちを切り換える。

 航が後ろ向きになったとき、セラはいつも前を向けと発破をかけてくれたのだ。

 その教えは『星野号』の艦長となった今も生きていて、折れそうになった際、航の心を守ってくれた。


「…………」


 一〇分、一五分が経過していった。

 身体を締め付けるシートベルトはさながら拷問のようだった。逃げられない息苦しさの中で身を潜め、ただ到着の時を待つ航だったが、ふと感じた気配に目をかっ開く。


「何っ!?」


 センサーが捉える三時の方向からの高熱源反応。

 モニターに映る猛スピードで迫る黒い影を前に、航は硬直した。


「――!」


 その影がすれ違う一瞬、彼が感じたのは圧倒的なプレッシャーだった。

 何百トンもの水が頭上から容赦なく降り注ぐような、息もできぬほどの重圧。

 この速度は『蠕動者』ではない。【ノヴァ】だ。

 だが、これほどの速さ、そしてこの本能を恐怖させるような感覚は何なのだ。


「ッ、はぁ、はぁッ……!」


 その影が目と鼻の先を通過していった後、航は肩で息をして汗だくとなっていた。

 心臓の鼓動が爆音のように響いている。わななく胸を手で押さえ、どうにか呼吸を整えた彼は、カメラ・アイが録った映像を確認する。


「これは……!?」


 そこに映っていたのは彼もまだ見たことのない機体であった。

 体高三〇メートルを超える大型の、闇を体現したかのような深い紺色のボディ。頭部からは山羊の角を思わせる二本の湾曲した角が後方へと伸び、金属でありながらどこか有機的で不気味な存在感を醸し出している。背負う翼は鋭く滑らかな刃のようだった。赤く光るカメラ・アイは禍々しい。


「悪魔……!?」


 随分と悪趣味な機体だ、と航は顔をしかめた。

 いや、この際機体のデザインはどうだっていい。恐るべきはあの機動性と、何より発されていた異様なプレッシャーだ。


「あんなものを暴れさせちゃいけない……!」


 直感が警鐘を鳴らしている。

 あれは怪物だ。その所属が正規軍であれ『CFA』であれ、戦場に壊滅的な被害をもたらす力を有していることは疑いようもない。

 だが、あの機体を追おうにも【サジタリウス】の推力では到底間に合わない。

『ディアナ』に残してきた仲間たちが心配ではあったが、今は追跡を諦め、元々の任務に集中するほかなかった。


「『アステラ』はもうすぐだね。よし……」


『ネオシンジュク』ブロックの宇宙港に近づきつつあるのを確認した航は、管制室への回線を開いて入港許可を要求した。

 彼の故郷でもある『ネオシンジュク』は正規軍にも『CFA』にも肩入れしない、いわば中立の立場を取っているブロックである。加えて航には現『ネオシンジュク』区長との個人的な繋がりもある。

 とはいえこの情勢である。多少交渉に手間取りはしたが、航はどうにか「区長とのコネ」というカードでごり押して入港を果たすのだった。



『ネオシンジュク』ブロックは日系人が多く住む区画である。そのため、他所のブロックからの来訪者にはよく「空気が醤油臭い」と言われる。

 ここに住んでいた頃はそれが自分ではまったく分からなかった航だったが、消毒された宇宙ステーションに慣れきってしまうと、確かに空気に匂いを感じる。

 だが、それが臭いというわけではない。むしろ胸騒ぎを落ち着かせてくれている。


「急なアポだ。来てくれるとも限らないけど……」


 彼はサングラスにマスクという変装姿で、中央区画のカフェにてセラを待っていた。

 宇宙では戦時だというのに、周囲は日常を過ごす人々でがやがやと騒がしい。

 星野航を知る者もここにはろくにいないのだろう。マスクを外してアイスコーヒーを一口飲んだそのとき、彼は入り口付近に見知った金髪を見かけ、軽く手を挙げてみせた。


「やあ、身体はどう?」

「問題ない。多少の副産物はあるけどね」


 訊ねてくる航の正面に腰掛け、同じくメガネで変装しているセラ・モンゴメリーが言う。

 レンズ越しに見えるセラの左眼の瞳は、血のように赤く変質していた。

『ジュゼッペ基地奪還作戦』にて確認された『知性体』――通称、『パラサイト』。それに寄生された後遺症が、これだった。


「左眼が赤いね……。視覚に異変は?」

「いや、何も。見た目が変わっただけさ、今のところは。他の部分も何の不調もきたしていない。むしろ体力の戻りが早すぎて先生にびっくりされたよ」

「ふぅん。『蠕動者』の血を取り込んで、生命力が増したとか?」

「まさか。それじゃ僕が化け物になったみたいじゃないか」


 そう言って肩を竦めるセラ。

 そんな彼を射抜くような目で見つめ、航は本題に切り込む。


「君は人間だ。まっとうな人としての君を見込んで、頼みたいことがある」

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