星野航が『アステラ』へと発つのと同時刻。
ベラ・アレクサンドラは『CFA』からの出頭要請を受け、宇宙ステーション『ディアナ』内の『CFA』本部へと向かっていた。
罪状はスパイ容疑。
『ジュゼッペ基地』での戦いの映像を正規軍にリークし、戦争の大義名分を与えた、というものである。
(危険は承知。けど、立花さんが『CFA』にいるのなら、行くしかない)
脳の緊張を反映して義体の回路が軋むなか、ベラは胸中で呟く。
立花に望まぬ戦いを強いている『CFA』は信用ならない。ベラのことも正規軍に対する「人質」というカードとして利用してくるかもしれない。
だが、それでも。
立花と直接会って話をするには、『CFA』と接触する以外に方法はない。
(あなたは脅されているだけなんだよね、立花さん。人殺しなんて、本当はしたくないんだよね。あなたは強くて優しい人だから……!)
自分の信念に従って戦っている、と立花は手紙に書いていた。
その真偽を確かめたい。そして、それが嘘でも本当でも、ベラは立花を戦争から引き戻したいと思う。
「『星野号』のベラ・アレクサンドラさんですね?」
無重力エリアから重力エリアへと繋がるエレベーターを降りた直後。
そこで待ち構えていたスーツ姿の男性に声をかけられ、ベラは顔を強ばらせた。
「容疑者のわたしを、わざわざ迎えに来てくださったんですか?」
「ええ。逃げられると厄介ですから」
男の眼鏡の下の瞳が鋭く細められる。
直感的に不穏な気配を感じ取ったベラが身構えたときには既に、彼女の周囲を屈強な黒服の男たちが取り囲んでいた。
「っ――!?」
一瞬にして背後を取られ、羽交い締めにされる。
関節を極められて一切の身動きを取れなくなったところに不意打ちでスプレーを噴射され、ベラはまともにその噴霧物を吸ってしまった。
「ごほっ……!? ずっ、随分と手荒なことをするのね、『CFA』は……!」
口元を押さえ、男たちを睨み付けながらベラは吐き捨てた。
噴射されたのは催眠スプレーか。
そう理解して顔を歪めるベラに、七三わけの男はせせら笑ってみせた。
「身柄さえ捕らえられれば、もとより貴女の罪状はどうでもよかったのです。貴女という存在は『財団』に対して有効な交渉のカードとなるのですから」
「立花さんのことも、そういうやり方で……!」
その名前を聞いて、男は嘲笑を深めた。
「立花? ああ、彼女は違いますよ。彼女は望んで我々と共に戦っているのです。あなた方にお送りした手紙にもそう書かれていたでしょう?」
「そんなわけない! 立花さん、は……!」
意思に反して脳がぼんやりとし始め、義体が睡眠を感知して動きを止めていく。
瞼を襲う重力に懸命に抗おうとするベラだったが、気づいたときにはもう意識を手放していた。
彼女の入眠を確認した眼鏡の男――『CFA』管理官の九条は、配下の男たちに命じる。
「速やかに移送しなさい。傷一つつけてはいけませんよ」
*
次に目を覚ましたとき、ベラは暗闇の中にいた。
「……ッ、むぐッ……!」
どうやら猿ぐつわを噛まされているようで、口が固定されて声も出せない。
それに四肢は拘束具に縛られていて、身を捩ることもできない。
息苦しさを感じながらベラは耳をそばだてる。微かに聞こえてくるのは一定間隔で続く重低音だ。
(消毒された匂い、乾いた空気。それに、このエンジンが動くような音……ここは、宇宙?)
ここは『ディアナ』の中ではない。自分はシャトルでどこかへ運ばれているのだ。
己の感覚をもとに、ベラはそう判断した。
(『CFA』はわたしを力尽くで捕縛した。あの眼鏡の男は、わたしのことを財団に対する交渉のカードだと言ってた。そしてわたしは今、宇宙にいる……)
状況を整理しつつベラは己の行き先を推測する。
人質を置くのは大抵の場合、敵対者に手を出されたくない場所だと決まっている。
そう考えれば自ずと答えは導き出される。
『オールト基地』。
『CFA』が正規軍より奪取した、『ディアナ』以外では唯一となる軍事拠点である。
(立花さんはきっと、そこにいるはず。会って話をすれば、きっと……!)
航は戦いを止めるために一人で『アステラ』に降りたのだ。当初の予定とはまったく違ってしまったけれど、ベラもまた、航のように一人ででもできることをしたいと思う。
しかし、基地に移送されたところで立花と会える保証もない。
自分から能動的に動けないこの状況が、もどかしくて仕方がなかった。
(わたしの声が聞こえていたら、助けに来て……かなめ……!)
ぎゅっと目を瞑り、少女は祈った。
かなめの脳は『N義体』と同様の機械で構成されている。彼がベラの異変を感じ取ってくれている可能性に懸けて、ベラはひたすらに願い続けた。
だが、その最中。
突如として激しい揺れに見舞われ、ベラはその場から放り出され壁に背中を強打してしまう。
「んぐッ……!?」
衝撃に脚の拘束具がカシャンと外れ落ちる。
同時にシャトル内に緊急事態を告げるアラートが鳴り響き、ベラは事態を悟った。
あの時と――立花に命を救われた時と同じ、『蠕動者』の襲撃だ。
『総員、第一種戦闘配置! 繰り返すッ、総員、第一種戦闘配置!』
切羽詰まったオペレーターの声が艇内に響き渡る。
その声音にベラは違和感を抱いた。単なる『蠕動者』相手にしては口調が切迫し過ぎている。
何か別の敵が現れたと考えるべきだ。そう、たとえば――。
「んんんんんんんんんんんんッ――!!」
視界が一瞬、白く明転した刹那。
爆風の奔流に呑み込まれ、ベラは己の身体が浮遊するのを感じた。
反射的に固く目をつぶり息を殺す。
その束の間、彼女は自分の枷がすべて外れたことを認識し、瞼を開く。
「……!!」
そこには、無数の星々を頂く宇宙があった。
そして、その光景を遮るように目の前に舞い降りた黒い影があった。
硝煙を引き裂いて見下ろしてくるそれは、【ノヴァ】に見えた。
捻じ曲がった頭部の角。三日月に似た背中の翼。冷たい禍々しさを発する死神の鎌。
酸欠で鈍くなる思考の中、身体の芯が凍りつくような恐怖に、ベラは死を覚悟した。
(……あれ、は……?)
意識を手放す直前、ベラが見たのはコックピットから飛び出してくる人影であった。
影はこちらに近づいて、手を差し伸べてくる。
死を前にして脳が描き出した幻覚か。ならばそれでもいい。あの人の幻が自分を包んでくれるのであれば――。
その記憶を最後に、ベラ・アレクサンドラの意識はぷつりと途切れるのであった。