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第55話「不愉快だな……」

『オールト基地』司令部にて。

 もたらされた報せに立花の思考は一瞬、真っ白になった。


「九条管理官より報告です。ベラ・アレクサンドラを移送中のシャトルが、正規軍の未確認機によって撃墜されたとのこと!」

「せっかくの人質が……! 護衛は何をやっていたんだ!」


 言葉を失う立花を他所に、『CFA』軍幹部のちょび髭の男が苛立ちをあらわにする。

 男の名はジェイコブ・カーター。白い軍服を纏う壮年の彼は、『フリーダム』で艦長代理を務めていた人物であり、ユージーン会長の命で『オールト基地』司令官に任じられていた。


「そ、それが全滅したと……」

「チッ、『フリーダム』のパイロットさえ使えていれば、そんな失態防げたものを……!」


 九条管理官にベラの拉致を命じたのは、このカーター司令であった。

 彼は『オールト基地』の守りを盤石にするべく、自らの独断でその作戦を実行させた。

 それはユージーンやハッブルといった『CFA』上層部も与り知らぬところであった。


「まあいい……正規軍が簡単に撃墜するということは、最初から大した価値のない人質だったのだろう。あのシャトルは護衛の数機を除けば武装していない輸送船……それを撃った正規軍に大義はない。兵たちの怒りを焚きつけるちょうどいい燃料になる」


 さっさと切り換えて己の打算を口にするカーター司令。

 大した価値のない人質。そう吐き捨てた彼に、立花は関節が白く浮き出るほど固く拳を握り締めた。

 唇を引き結び、歯を食いしばる彼女を一瞥し、カーターは言う。


「事は『ディアナ』領空の境界線近くで起こった。『ディアナ』の防御を固めねばならん。貴様にも出てもらうぞ、立花」


 侮蔑の滲む視線に突き刺され、立花は無言で敬礼を返した。

 その態度にカーターが突っかかる。


「返事が聞こえんなぁ! 人を殺しすぎて言葉すら忘れたか、えぇ!?」

「はッ! 司令の仰せのままに」

「声が出るなら最初から返事をしろ。いちいち苛つかせるな」


 死刑囚である立花に拒否権はない。周囲に蔑まれ、恐れられ、まともに人間扱いもされない彼女は、苦汁を飲みつつも従うほかなかった。

 数で劣る『CFA』側に時間の猶予はない。すぐさま作戦会議を開始するカーターらを尻目に、立花はそっとその場を後にした。

 そんな彼女の後に、一人の青年がついてくる。


「立花さん。あんな酷い物言い、許しておいていいんですか!」


 人気のない廊下で立ち止まり、亜麻色のポニーテールを揺らして女は振り返った。

『CFA』の白い軍服を身に纏う、ヘーゼル色のマッシュヘアーの青年。

 まだ幼さを残しつつも端正な顔立ちの彼は、オーエン・ブラウン。正規軍に撃墜された大型補給艦『タマヨリ』乗員における、唯一の生き残りである。

 彼は艦が沈んだ時、ダミーバルーンで機体を隕石に偽装し、脱出を果たした。その後、『ディアナ』へと合流すべく動き出した『オールト基地』に拾われ、ここにいる。


「いいのさ、言わせておけば。それより君はいいのか? こんな女の肩を持てば、君だって軍での立場をなくしてしまうぞ」

「構いません。あなたの戦いがあったからこそ『オールト基地』が一日も経たずして陥落したと聞きました。どんな過去があろうとも、あなたは優秀な戦士だ。僕はあなたを尊敬します」


 青年の目には強い力への羨望が、ありありと浮かんでいた。

 だが、立花は彼の語るようなヒーローではない。

『オールト基地』を守る【ノヴァ】も艦隊も、普段から警戒が薄かったとはいえ、異様に数が少なかった。自分たちは敵に誘い込まれたのだ。

 その目的が何なのかは立花には分からない。しかし、自分たちがこの戦争の裏で糸を引く何者かの手のひらの上で踊らされていることは、確かだった。


「不愉快だな……」

「えっ?」

「この戦争がだよ」


 ベラを道具として使い捨て、兵たちに人殺しを強いる、醜い戦争。 

 それを仕組んだ何者かを殺せるのなら、自分はどんな罪を背負ってもいいとさえ思う。


(君の仇は必ず討つ。だから私の罪を許してくれ……ベラ)



 目が覚めて差し込んできた真っ白い光に、思わず顔をしかめる。

 徐々に慣れてきてクリアになっていく視野に映るのは、見知らぬ天井だ。

 年季の入った蛍光ランプが時折明滅するなか、遠くから重低音が響いてくる。鼻腔を刺激するのは消毒液の匂いだ。頭頂から踵にかけて感じる重力は、自分がどこかに横たわっていることを示している。

 ここは医務室か。

 そう理解したその時、傍らから柔らかい女性の声が彼女の名を呼んだ。


「あら、気づいたんですね。ベラ・アレクサンドラさん」


 身体を起こそうとするが目眩を覚えるベラに、その女性は「落ち着いて」と優しく声をかけてくれる。

 その言葉に甘えて枕に頭を預け、ベラは女性に訊ねた。


「あなたは……?」

「発語に問題なし。意識レベル変わりなし。流石は『財団』のお作りになった『N義体』、ユーザーの脳にしっかり酸素を送り届けていたようですね」


 素晴らしいわ、と女性は拍手しながらにこりと微笑む。

 丸っこく愛らしさを感じさせるショートボブ。メイクの薄い素朴な顔立ちは少女のようなあどけなさを醸しつつも、大人の女性らしい落ち着いた雰囲気を纏っていた。白衣を羽織り、その中に正規軍の紺色の軍服を着用している。 

 彼女の言う通り、宇宙空間にパイロットスーツなしで放り出されたにも拘わらず、ベラの脳には何の異常も起きていなかった。


「ベラさん、ここに来るまでの状況を説明できますか?」


 確認され、ベラは訥々と経緯を語った。

『CFA』に拉致され、人質として『オールト基地』まで移送されていたこと。

 その最中に未確認の【ノヴァ】にシャトルを襲撃されたこと。

 そして、意識を手放す寸前に見た、謎の【ノヴァ】から出てきた人影――。


「ふむ、そうですか。人質として……。お可哀想に。でも大丈夫です、あなたの命は助かりました。ここにいれば『CFA』から危害を加えられることもないでしょう」


 憐憫の情を滲ませつつ女性は言った。

 その柔和な口調にベラは安堵すると同時に、危機感を抱く。

 あの未確認の【ノヴァ】。そして、女性の「ここにいれば『CFA』から危害を加えられることもない」という言葉。間違いない――今いるこの場所は正規軍の領域だ。


「ここは、どこなんですか?」

「正規軍コロンビア独立部隊『アーレス』。その旗艦『ケイオス』の中です」


 その部隊名を聞いてベラはハッとする。

 コロンビア独立部隊。『アステラ』の建造当初、首都『コロンビア特別区』を守護するという名目で設立された、有事の際は独自権限のもとに独立行動を許されている特殊部隊だ。

 だが、宇宙漂流時代が始まってから二五〇余年、目立った動乱は起こらず閑職扱いされていた。


「『アーレス』が動く……ってことは、まさか……!」


 首都『コロンビア特別区』に危機が迫っている。

 勢いよく起き上がり声をわななかせるベラに、女性は告げた。


「お察しの通りです。『CFA』のカーター司令官は先程、正規軍へ声明を出しました。『「ディアナ」へと進軍している部隊を撤退させよ。さもなくば「コロンビア特別区」ブロックへ向け、「エクスカリバー」を照射する』、と……」


『エクスカリバー』とは『フリーダム』に搭載された高出力ガンマ線レーザー砲である。

 その直撃を受ければ『アステラ』の外壁は甚大な損傷を負い、最悪の場合、崩壊する。


「そんなの、正気の沙汰じゃない……!」


 もしそれが現実になれば、コロンビアに住む五百万を超える人々の命が失われる。

 カーター司令は自分たちの勝利のためなら、無関係の市民たちを犠牲にすることさえ厭わないというのか。

 常軌を逸したその声明に、ベラは眉間に深い皺を刻んで吐き捨てた。


「ですが、実際にそう宣言されています。であれば、それが実行されるか否かに拘わらず、私たちは戦わなければなりません。受け継いできた使命を、遂げるために」


 拳を固く握り締め、熱のこもった口調で女性は言う。

 昂ぶりを抑え切れんとばかりに白衣を脱ぎ捨てた彼女の胸に輝く徽章を見て、ベラは息を呑んだ。

 三つ星に下線が引かれた階級章は、正規軍大佐の地位を示すもの。

 そして、『アーレス』において大佐の肩書きを持つ者はたった一人。


「まさか、あなたが……!?」


 先程までの柔和な雰囲気とは一転、鋭い眼光を宿した瞳でベラを見据え、その女性は口角を上げた。


「ええ。私こそがエイバ・メイソン。『アーレス』を代々率いてきたメイソン家の、第八代当主です」

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