メイソン家。
宇宙漂流時代の幕開けから代々、独立部隊『アーレス』を守ってきた軍事の名家である。
目の前に立つ少女のような童顔の女性がその当主であることを、ベラはにわかには信じられなかった。
だが、女性が纏う抜き身の刃のごとき剣呑な雰囲気が、彼女がただ者ではないと告げてきていた。
「私たちは『フリーダム』を押さえるために出撃します。間もなく戦闘が始まりますが、ベラさん、あなたはここから動かないでください」
エイバ・メイソンと名乗った女性に言われ、ベラは思わず立ち上がった。
医務室を退出しようとしていたエイバは足を止め、振り返る。
怪訝そうに細められる瞳に気圧されながらも、ベラは問わずにはいられなかった。
「本当に戦うんですか。『コロンビア』に銃口が向けられているこの状況で、『CFA』を刺激するようなこと……!」
止めようとしてくるベラに対し、エイバはぽつりと呟きを落とす。
「二五〇年……」
「えっ?」
当惑したベラを睨み据え、女は指が白くなるほどの力で拳を固く握り込んだ。
「私たちメイソン家は二五〇年、この時を待っていたのです。穀潰しと馬鹿にされ、不必要だと蔑まれながらも、来るべき時に備え、刃を研ぎ続けてきた……。本分を遂げられず死んでいった歴代の当主たちに報いるためにも、私は戦います。戦って敵を討ち、メイソン家の価値を世界に証明する!」
その激情にベラは怯み、そして悟った。
彼女を突き動かしているのは、二五〇年もの間積み重なった血の妄執なのだ。
今この瞬間のために彼女は生涯を捧げてきた。ベラが何を言おうと彼女はもはや止まらないだろう。
「見ていなさい、ベラ・アレクサンドラ。我がメイソン家と『アーレス』の力を!」
そう言い放ち、エイバ・メイソンはこの場を去っていった。
取り残されたベラは一人、立ち尽くすことしかできなかった。
『フリーダム』と『アーレス』が正面衝突する。それを止めなければならないのに、囚われの身である自分はあまりに無力だった。
*
『星野号』が辿り着いたとき、その宙域は既にもぬけの殻であった。
漂っているのは無数の鉄片のみ。撃墜されたシャトルの残骸である。
「ベラちゃんッ、ベラちゃん、どこや!?」
【ノヴァ・キャンサー】で発進したかなめはデブリの合間を飛び回って少女の名を呼ぶ。
けれども答える声はない。彼の脳が感知できる『N義体』の信号も届いていない。
「この状況です。おそらくベラさんは、もう……」
「なんでや! ベラちゃんはまだ生きとる! ボクにしかわからへんのや、ボクが探さんと――」
沈鬱とした口調で呟くカミラに、かなめは切迫した声で言い返した。
その悲痛な様子にブリッジのブリッジのスミスやノアは言葉を失う。
しかし、カミラだけは毅然と前を向き、かなめに促すのだった。
「撤収しましょう、かなめ君。じきに正規軍がここに来るかもしれない。いま彼らと衝突するのは得策ではありません」
ベラがいなくなったことを認めたくはない。だがシャトルが木っ端微塵になっている現状、彼女が生きている可能性は限りなくゼロに近い。
胸を締め付ける思いを飲み下し、恨まれるのも承知でカミラは忠告した。
「……だったら好都合や。正規軍の奴らを潰して、ベラちゃんの仇を取る」
昏く淀んだ声で言い、かなめは口角をぴくりと上げる。
青く澄んでいた彼の瞳にはいまや、黒い炎が灯っていた。
「ダメですかなめ君! 【キャンサー】一機ではただの自殺行為にしかならない!」
唇を噛み、少年は通信を強制終了させた。
彼はデブリの海から飛び出し、『星野号』を離れて正規軍が来るであろう航行ルートへと向かっていく。
「分かってる。分かってるけど、そうでもしないと気が済まへんのや……!」
脳を機械に置き換え、記憶すらもなくしたかなめを、ベラは好きだと言ってくれた。
彼女がいなければ自分には生きている意味もない。
彼女がいない辛さを抱え続けて生きるなら、一人でも多くの敵を道連れにして死んだほうがマシだ。
「――あぁ、よかった」
壊れた笑みを浮かべるかなめ。
彼の視線の先には哨戒を行う正規軍の【ノヴァ】部隊の姿があった。
『そこの【ノヴァ】、止まれ! 従わなくば発砲も辞さない!』
正規軍兵からの警告も黙殺し、かなめは武器を構えた。
機体の前腕部に換装したガトリングガンを向け、乱射する。
放たれたビームの弾幕に正規軍の【トーラス】たちは散開し、二機一組の隊列を組んで【キャンサー】へと迫った。
「うざいんや!」
苛立ちをあらわに腕を薙ぎ払い、無作為に光弾をばら撒く。
一機の【トーラス】が直撃を受け爆発し、コンビを組んでいたもう一機が誘爆するなか、かなめはそれに目もくれず敵機へと接近した。
『近づこうってのか、こいつ!?』
敵との距離を取って戦う射撃機のセオリーを無視した行動に、正規軍兵が目を剥く。
かなめは撃ち込まれたビームを身を捻ってかわし、すれ違いざまにガトリングガンの銃身で敵機頭部を殴打して撃沈。
頭上より突き刺すような光線は倒した敵機の真下に潜り込んで直撃を避け、爆煙の中からビームガトリングをぶっ放した。
『馬鹿がッ!』
「馬鹿はそっちや、アホンダラ」
冷たく吐き捨て、敵の背後からヘッドショットをかます【キャンサー】。
なぜ後ろを取られたのか理解することも叶わず、その正規軍兵は乗機の爆発に呑まれて戦死した。
先の爆煙の中にかなめが残していたのは、左腕のガトリングガン。
咄嗟にパージしたそれに自動で射撃させることで、彼は自分がまだそこにいると敵に思い込ませたのである。
『再接続はさせん!』
「チッ、まだおるんかい!」
切り離した腕を取り戻そうとしたかなめをビームの連射が阻む。
残る敵は四機。四方から差してくる光線を高速機動で回避するかなめだったが、片腕を手放したことで敵の攻撃に対応しきれなくなってしまった。
その隙を逃さず、正規軍の【トーラス】は【キャンサー】の左胸を狙って射線を集中させる。
それを避けようとかなめが右へ身体を傾けたその時、一筋の光が右腕のガトリングガンを貫き、破壊した。
「ッ……!!」
畳みかけるようにパージしていた左腕も狙撃され灰燼と化す。
もはや丸腰となった【キャンサー】へ四機の【トーラス】が肉薄せんとする。
『破壊するな! 鹵獲しろ!』
『了解!』
自分は死なせてももらえないのか、と、かなめは乾いた笑みをこぼした。
覚悟を決めた彼は腰のビームサーベルを抜き、腹部へ押し当てる。
(ああ……いま行くからな、ベラちゃん……)
そう胸中で呼びかけた瞬間。
脳内に閃光が走り、かなめは頭上を振り仰ぐ。
ベラの気配だ。なんで。どうして、今になって――。
後悔と安堵とが綯い交ぜになり、少年はくしゃっと端正な顔を歪めた。
『戻って来いッ! かなめ君!!』
死を迎え入れる直前、男の声がかなめを現実に引き戻した。
ビームサーベルを手放して腰部スラスターを全開にする。すんでのところで敵の包囲から脱出したかなめは頭部バルカン砲を捨て置いたサーベルへと撃ち、爆発を巻き起こした。
『死ぬつもりではなかったのか!?』
「ボクはまだ――生きる!!」
そう心からの叫びを上げる少年を援護するように、何条もの光線が迸って正規軍の【トーラス】へと迫る。
パイロットたちの視界を塗り潰す白き閃光。
瞬間、彼らは一様に己の敗北を悟った。だが光線はわずかに足元を逸れていくのみで、彼らの命を奪いはしなかった。
『て、敵は……!?』
『くそっ、高濃度のガンマ線に妨害されて捕捉できない!』
ビームが通過し、視野が再び暗黒に戻った後。
そこには既に敵機の姿はなかった。
仲間を奪われた怒り。敵を仕留めることができなかった悔しさ。唇を噛み、握り拳でモニターを叩き、彼らはただ、吼えることしかできなかった。
*
戦線を離脱し、かなめは並走する機体をおずおずと見上げる。
黒いマントに身を包むのは【ノヴァ・サジタリウス】。
『アステラ』からの帰還を果たした星野艦長が、かなめを救ってくれたのだ。
「艦長っ、艦長、ボク……」
自らの身体をかき抱き、声を激しく震わせてかなめは涙を流す。
人を殺してしまった。湧き上がる怒りに任せて、直接の関係はない哨戒の兵士たちを撃ってしまった。これでは本能に従って人を喰う『蠕動者』と同じだ。
『……事情はカミラちゃんから聞いた。君の過ちは決して許されることじゃない。だけど……同じ罪を抱えながら、贖罪のために戦っていた人のことを、おれは知っている』
深い後悔に打ちひしがれるかなめに、航は優しい口調で諭す。
そんな温かさを持った彼の言葉を、とめどなく溢れてくる涙を拭いもせず、かなめは聞いていた。
「立花はん、って人のこと、ですか……?」
『そうだよ。そしておれたちは、立花さんや君のように過ちを犯す人が少しでも減るように、戦っていかなきゃいけないんだ……!』
かなめは唇を噛みしめ、濡れた瞳を細めた。罪の重さが肩にのしかかる。だが、それでも――。
黒きマントを翻す【ノヴァ・サジタリウス】は、彼の沈黙を責めることなく、ただ静かに寄り添うように宙を漂っていた。
『人は痛みを知っているからこそ、誰かを守れるんだ』
柔らかさと力強さが同居した声音で、航は言った。
かなめの指が操縦桿をかすかに握りしめる。機体のシステムが呼応して、静かに軌道を変えた。彼の迷いが、ほんのわずか、前へと踏み出した証のように。
「……艦長。ボク……もう一度、戦いたい。今度は、守るために」
『ああ。その言葉を聞けてよかった』
通信の向こうで航が微笑む気配がした。
ベラはまだ生きていて、この戦場のどこかにいる。今も感じる電波の波形は、彼女の『N義体』のものとまったく一緒だった。
彼女を助けに行く。それだけではなく、彼女とともに誰かを守るため、この戦争を止める。
過去は消えない。罪も償えるとは限らない。
それでも、自分を憎んだまま終わるより――戦って、誰かの未来に繋げたかった。