A225宙域。かつて中立交易拠点として栄えたその空域は、今や砲火の閃光に染まりつつあった。
『オールト基地』のジェイコブ・カーター司令は五隻からなる艦隊を基地周辺に展開。
『ディアナ』との合流を妨害せんとする正規軍を迎え撃たんとしていた。
「接近中の敵艦を確認! 識別コード AWS1192-C、正規軍旗艦級――艦名、『ケイオス』です!」
「……一隻だけか? 随分と舐められたものだ」
整えたちょび髭を擦りながら立ったまま貧乏揺すりをするカーター。
『コロンビア』を『エクスカリバー』で脅迫した時点で、独立部隊『アーレス』の参戦は予測していた。だが、旗艦一隻のみでこちらに向かってくるとはどういう了見か。
「或いは都合のいい鉄砲玉として利用されたか、ですね」
副官を務める女性士官が呟く。
『アーレス』は戦争がなければ役目のない窓際部隊だ。正規軍にとっては捨て駒としてちょうどいい存在だろう。
旗艦一隻のみで向かってきたのは、それが面子を保ちつつ犠牲を最小限にできる最善手だからか。
「哀れなものだ。ならばせめて全力をもって殲滅してやろう。戦場で散られるのなら奴らも本望だろうよ」
下卑た笑みを浮かべるカーター。
彼はかつて正規軍の士官であったが、落ちこぼれとして『アーレス』へ左遷され、嫌気が差して出奔したという過去があった。
「第一艦隊、出撃せよ! 正規軍の鼻っ柱をへし折ってやれ!」
*
カーター司令の号令によって『オールト基地』より五隻の護衛艦が出陣。
旗艦を四隻の艦で取り囲む輪形陣を敷き、『アステラ』より一直線に接近しつつある『ケイオス』を迎撃せんと構えた。
「会敵まであと三〇〇秒! いや――速い! 『ケイオス』加速しています!」
「狼狽えるな! 弾幕を張れ!」
「二時の方向に仰角二〇! 『トライデント』、『ジャベリン』、撃ちィ方はじめ!!」
モニター上の敵艦を示す赤い光点はみるみるうちに自軍へと迫ってきている。
陣形の前面を務める護衛艦『ナルカミ』ブリッジでは、焦燥に駆られるクルーたちに艦長が毅然と命令。火器管制官が二種のミサイルを発射した。
宙域を覆い尽くさんばかりの弾幕が敵艦の行く手を阻む。
しかし、『ケイオス』は委細構わずこちらへと突っ込んできた。
「なっ……!? 奴ら正気か!?」
壮年の艦長が目を剥く。被弾も意に介さず突撃してくる敵艦の動きは止まらない。
硝煙を引き裂いて『ケイオス』はなおも迫る。砲火と爆炎の嵐の中、あたかも死をも恐れぬ猛獣のごとき進撃だった。
「直撃多数! しかし敵艦のシールド、まだ健在です!」
副長の声が震える。無数の砲撃を受けてなお、敵艦の前進は一分の緩みも見せなかった。艦体は黒曜石のような装甲に覆われ、その表面を爆煙が這い、赤熱の火花が散っても、まるで無傷のようだ。
「こんな……化け物があってたまるか……っ!」
艦長が唸るように呟く。その声は通信チャンネルを通じて他艦にも届き、誰もが一瞬、同じ疑念と恐怖に囚われた。
そのとき、敵艦の艦首が閃いた。蒼白い光――
『全艦、回避機動!! ガンマ線レーザーが来るぞ!!』
旗艦から発された号令とともに、輪形陣が一斉に解かれた。各艦が左右に散開しようとする、その刹那――
光。
空間が、音もなく引き裂かれた。
僚艦の船体が真っ二つに裂け、閃光とともに爆発四散した。あまりにも一瞬の出来事だった。警告音が鳴り響くブリッジで、誰もが息を呑む。
「『シオツチ』、ロスト! 『ミズハ』も損傷甚大です!」
「くそっ……あれが『ケイオス』の主砲か……!」
艦長は歯噛みしながら前方モニターに映る戦況を睨み据えた。
炎とデブリの破片の渦中を、なおも無傷で突き進む『ケイオス』。
その艦影を仰ぎ、彼らは畏怖した。
もはやこれは艦などではない。怪物だ、と――。
「こいつを『オールト基地』まで進ませるわけにはいかん! 総員、心臓を捧げよ!!」
弾幕が通用しないのなら艦を直接ぶつけるまで。
旗艦の指示を待たずして、玉砕覚悟で『ナルカミ』は『ケイオス』への特攻を断行した。
全推力をもって加速する艦が敵艦へと肉薄する。
だが、『ナルカミ』の艦首が『ケイオス』の横っ腹に激突する、その寸前――
幾重にも明滅した光が、彼らの視界を白く塗り潰した。
*
『ケイオス』に突貫しようとした『ナルカミ』が突如、無数の光線に突き刺されて爆散した。
その直後、旗艦含む他の艦も四方八方から差し込んだビームに貫かれ、轟沈する。
「なっ……何が起こっている……!?」
素っ頓狂な声を上げ、カーター司令はその場で腰を抜かした。
哀れんでいたはずのたった一隻の敵艦に、五隻の護衛艦がなすすべもなく散った現実に、彼は絶望に見舞われていた。
あのビームは敵艦から放たれたものではなく、虚空から突如出現したように見えた。
沈黙する『ケイオス』は硝煙の尾を引いて、静かに『オールト基地』への距離を詰めてくる。
あの主砲を再び向けられては、終わる――。
顔を青ざめさせるカーターは司令席の肘掛けを掴んで立ち上がり、唾を飛ばしながら命じた。
「『オールト基地』取り舵いっぱい! あの砲の射角外に何としても逃れるのだ!」
「はっ! と、とりかーじッ!!」
号令に従って『オールト基地』が動き出す。各所に設けられたスラスターを噴かし、その巨大な宇宙船は一気に回頭した。
「『アステラ』側に回り込め! 『アステラ』を盾に取れば奴らも撃てまい!」
最大戦速で『基地』を敵の後ろへ回り込ませようとするカーター。
だがその瞬間、襲い来る衝撃に彼らはよろめいた。
「右舷被弾! 第二五ブロック、炎上しています!」
「二五ブロック隔壁閉鎖! ええい、一体どこから撃っているというのだ……!?」
またしても見えざる攻撃。
気づいた時には既に被弾している現状をカーターは呪う。
このままでは『オールト基地』はなすすべもなく落とされる。そんなことがあっていいものか。たった一隻の戦艦相手に、数で勝る自分たちが負けることなど――。
「【ヴァーゴ】、『ケイオス』を越えて先行しています!」
舞い込んできた報告にカーターは拳を肘掛けに叩き付けた。
「何をしているのだ、あいつは! すぐに呼び戻せ、『ケイオス』を止めねばならん!」
「ガンマ粒子によって通信、途絶しています!」
「チッ、こんな時に――!」
カーターは苛立ちを露にする。
そうこう言っている間に艦の下方から何条ものビームが重なって昇り、船体を震わせた。
もはや『基地』を動かすことも叶わない状況に、男は悟る。
単騎、敵艦の向こう側へと猛進する立花の【ノヴァ・ヴァーゴ改】こそが、逆転への一縷の希望なのだと。
*
その不可視の攻撃の正体を看破していたのは、この戦場でたった一人。
【ノヴァ・ヴァーゴ改】を駆る立花は、頭部から垂れるベールのごとき防護マントをはためかせ、一直線に目標へと驀進していた。
「旗艦『ケイオス』はあくまで囮――」
彼女がそう呟いた瞬間、後方に一点の光が瞬く。
機体センサーよりも先に直感でそれを捉えた立花は、それを視認することなく振り返りざまのビーム砲の一撃を見舞った。
「本命はこちらだ!」
背後に咲くは爆炎の花。
それを置き去りにして突き進む【ヴァーゴ改】の道を阻むように、虚空から湧き出た光線が彼女を串刺しにせんとするが――
「鬱陶しいんだよ!!」
そう気炎を吐き、立花は構えた『ガンマメガランチャー』を回転しながら薙ぎ払うように照射した。
【ヴァーゴ改】を中心とした水平方向三六〇度を焼き尽くすガンマ線の砲撃。
束の間、何もないように見えた宙空に爆発が連鎖する。
「出て来るんだな、『アーレス』の首魁!」
『あら、私の存在を見抜くなんて……あなた、素晴らしいセンスをお持ちのようですね?』
くすくすくす、と。
彼女の叫びに応じるように、女の嗤い声がコックピット内に響いた。
その直後、身構える立花の眼前で虚空が揺らめき、濃紺の装甲を纏った【ノヴァ】が姿を現す。
三〇メートルを超えているだろう大型機。頭部からは山羊の角のごとき二本のアンテナが後方へ伸び、異質な存在感を醸している。背負う翼は蝙蝠のそれに似ている。
禍々しく光る赤いカメラ・アイに見下ろされ、立花は思わず息を呑んだ。
「……ッ!」
心臓が激しく肋骨を打っている。
汗ばんだ手のひらで操縦桿を握り締めた刹那、頭上から降り注ぐは三条の光線。
超人的な反応速度で身を翻し、それをすんでのところで回避した【ヴァーゴ改】は『ガンマメガランチャー』を速射、応戦する。
『この「ドローンビット」にも対応できるとは……。名乗る権利を差し上げてもよくってよ、あなた』
未確認の【ノヴァ】の周囲に集結したのは、烏の羽根を思わせる形状の小型戦闘ユニット。
羽根の付け根にあたる部分のスラスターを噴かし、自在に舞うこの「ドローンビット」こそが、艦隊を壊滅させた不可視の攻撃を放った正体であった。
「『ドローンビット』……機体から分離して全方向からの攻撃を実現する無人機、か。これだけ小さければガンマ線の影響でセンサー類が効かない状況下で、目視での索敵をすり抜けることも容易というわけだ」
「名乗っても良いと言ったはずですが?」
立花の言葉に女は苛立ちを露にした。
無人機に十分警戒を払いつつ、立花はフンと息を吐き、言い放つ。
「私は立花。『CFA』の立花。正規軍の狗、ここで成敗してくれる!」
今の自分は『CFA』の傀儡に過ぎない。だが抱いた正規軍への怒りは本物だ。
柳眉を吊り上げ、立花は相対する敵を睨み据える。
そんな彼女に対し、濃紺の【ノヴァ】のパイロットは「ドローンビット」の先端にある砲口を一斉に向けた。
『正規軍の狗、ですって……?』
硬質な声音をわなわなと震わせ、女は言った。
膨れ上がった殺気を感じ取って立花が動くと同時、羽根のごときビットが一気に光線を乱れ撃つ。
『私はメイソン――エイバ・メイソン! 私たちの誇りを馬鹿にする者は、この【ノヴァ・カプリコーン】で叩き潰す!』