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第65話「終わりだよ、ベラ・アレクサンドラ」

 ハッブルとの決着を付けられぬまま、エネルギー切れ寸前で撤退したエイバ・メイソン。

 旗艦『ケイオス』へと帰投した彼女は【カプリコーン】を降りる。

 次の戦いに備えて整備と補給をメカニックに命じるエイバだったが、駆け寄ってきた副官の耳打ちに瞠目した。


「マザー司令が?」


 その報せは彼女にとって予想だにしないことであった。

『エレス基地』のマザー司令が密かに『ケイオス』まで赴いている。

 警戒を払いつつ、エイバは急ぎ、司令の待つ艦長室へと向かった。


「失礼いたします」


 入室と同時に敬礼するエイバを見上げ、既に上座に掛けていたエレミヤ・マザー司令はすっと目を細めた。


「形だけの敬礼はよい」

「心外ですわ、司令。私はメイソン家の当主として、常に正規軍への忠誠を誓う身です」


 敬礼を解かぬままエイバは言った。

 微笑みを纏う彼女に対し、マザーは表情一つ動かさず促す。


「座れ。話は手短に済ませたい」


 マザーの背後には側近らしき浅黒い肌の若い男が一人。

 彼は仏頂面だが微かに汗ばんでおり、緊張を窺わせた。


「ではお伺いしましょう」


 身構えていることを感じさせない柔らかな所作で、エイバは対面のソファに腰掛ける。


「セラ・モンゴメリーが寝返った。何を血迷ったか奴は『星野号』なる護衛艦と合流し、我々と敵対するつもりらしい。愚かしいことだとは思わないか、エイバ?」


 切り出された情報にエイバは胸中で驚きながらも、微笑みを崩さなかった。


「仰る通りですわ、司令。いくら『エレス事変』と『ジュゼッペ基地奪還作戦』の英雄たる『星野号』であっても、我ら正規軍の前には無力。私にはモンゴメリー大佐が乱心したとしか思えません」


 調子の良い言葉を並べ立てるエイバ。

 そんな彼女にマザーは訥々と語る。


「ただの乱心ならばよいのだがな。報告によれば『星野号』は『フリーダム』と交戦する以前、我々の部隊にも攻撃を加えたらしい。奴らと遭遇した部隊によれば、星野航はこう言ったそうだ――『この戦争を止める』と」


 エイバの血の気が引いた。

 星野航が第三勢力として戦争そのものを止めようとしている――この情報は、彼女の計画にとって予想外の変数だった。だが今は動揺を見せるわけにはいかない。


「なるほど……それは確かに憂慮すべき事態ですわね」


 エイバは慎重に言葉を選んだ。


「『星野号』の戦闘力は侮れません。第三勢力として動かれては、我々の作戦にも支障をきたしかねないでしょう」


 マザーは無言でエイバを見詰めていた。その視線に込められた疑念を、エイバは肌で感じ取っていた。


「エイバ、お前はハッブルとの戦闘で何故撤退した?」


 来た――エイバは内心で身構えた。


「エネルギー残量が限界に達していたからです。【カプリコーン】の性能を過信して長期戦に持ち込んだのは、私の判断ミスでした」


「そうか」


 マザーは立ち上がり、窓際へと歩いた。


「だが、観測された戦闘データから分析するに、お前には十分に勝機があったように思えるのだが」


 エイバの背筋に冷たいものが走った。マザーは確実に自分を疑っている。この会談自体が、彼女の忠誠心を試すための罠なのだ。このままでは粛清されてしまう。行動を起こすなら今しかない。


「司令、私がハッブルに情けをかけたとでも?」


 エイバは微笑みを浮かべたまま反駁した。


「それこそ心外ですわ。私はメイソン家の誇りにかけて、正規軍の勝利のために戦っています」


「そうであることを祈るよ」


 マザーは振り返った。


「なぜなら、この戦争の行方はお前の双肩にかかっているからだ。【カプリコーン】を駆る者として、そして――」


 その時だった。


 艦長室の扉が勢いよく開かれ、何者かの人影が転がり込んできたのは。


「動くな!」


 女の鋭い声が室内に響く。侵入者は銃を構え、迷うことなくマザーに照準を合わせていた。

 その人物の姿にエイバは目を見開く。


「ベラ・アレクサンドラ――!?」


 CFAから奪取し、この艦で監禁していたはずの少女が、なぜここにいるのか。財団会長の娘であり、『星野号』のパイロットでもある彼女の右手には、軍用ピストルが握られている。


「ついに見つけたわ」


 ベラの声は憎悪に震えていた。


「エレミヤ・マザー――この戦争の元凶!」


 マザーの側近が腰の銃に手をかけようとしたが、ベラが銃口を僅かに動かすと、男は動きを止めた。


「どういうつもりだ、小娘」


 マザーは動じることなく言った。


「護衛もいる中で、一人で乗り込んでくるとは愚かな」


「愚かでも構わない!」


 ベラの瞳に宿るのは、狂気に近い決意であった。


「あなたが死ねば、この無意味な戦争も終わる! これ以上、人が人を殺す悲劇は起こしちゃいけない!」


 エイバは愕然とした。ベラは刺し違える覚悟で暗殺を目論んでいるのだ。


「人の命を弄んでそんなに楽しい!? マザー!!」


 緊張が極限まで高まった瞬間、マザーの側近が素早く銃を抜こうとした。

 だが、ベラの方が早かった。

 発砲音が艦長室に響く。

 側近の男が肩を押さえて床に倒れ込んだ。


「次はあなたの番よ、マザー!」


 エイバは冷静に状況を分析していた。ベラがマザーを殺せば、確実に自分も疑いの目を向けられる。監禁していた人質を逃がしてしまったという責任もある。何より、ベラを生かしておけば『星野号』との交渉材料を失うことになる。

 保身のため、エイバは迷わず行動した。

 腰のホルスターから素早く銃を抜き、ベラの義肢を狙って引き金を引く。

 乾いた銃声。

 ベラの左腕から火花が散り、義肢が機能を停止した。


「エイバ・メイソン……!」


 疑似痛覚に顔を歪め、ベラは振り返ってエイバを睨み据える。


「ごめんなさい、ベラさん」


 エイバは冷たく微笑んだ。


「あなたは大切な人質です。勝手に死なれては困りますから」


 ベラは左腕を庇いながら、今度はエイバに銃口を向けた。


「正規軍の犬――あんたもマザーの同類よ!」


 再び銃声が響く。だが今度はマザーが隠し持っていた銃を発砲したのだった。弾丸はベラの右肩を貫通し、彼女は銃を取り落とした。


「終わりだよ、ベラ・アレクサンドラ」


 マザーは銃を構えたまま立ち上がった。


「よくやった、エイバ。人質の管理が甘かったのは問題だが、最後に忠誠心を示したのは評価しよう」


 床に倒れ込んだベラを見下ろしながら、マザーは続けた。


「以後、ベラ・アレクサンドラの身柄は『エレス基地』にて預かる。良いな?」


 エイバは表面上は従順な表情を浮かべていたが、内心では複雑な思いを抱いていた。ベラを撃ったことで当面の疑いは晴れたが、同時に『星野号』という利用価値のある戦力を敵に回す可能性も生まれてしまった。


「承知いたしました、司令」


 血を流して床に倒れたベラが、苦痛に顔を歪めながらもマザーを睨み上げた。


「道具にされるくらいなら、殺されたほうがマシだわ! さあ、早く私を殺しなさい!」


 その叫びを黙殺し、マザーは部下を呼んでベラを医務室に運ばせた。

 そして立ち去り際に、エイバに最後の言葉を投げかける。


「エイバ、今日のことでお前への疑いは晴れた。だが警備の不手際は見過ごせん。今後はより厳重に管理しろ」

「はっ。早急に改善するよう周知いたしますわ」


 一人残されたエイバは、窓の外に広がる宇宙を見詰めながら考えていた。

 マザーの疑念が完全に晴れたとは思えるほど、彼女は楽観的な人間ではない。ベラ・アレクサンドラという財団及び正規軍に対する脅迫のカードを失った現状、次の行動を急がねばならないのは確かだった。


『星野号』という第三勢力が現れ、複雑化する戦況の中で、『アーレス』が生き残るために必要なものは何か。


(利害の一致を図れるのは、あの男でしょうか……)


 目指すべきは最終的な勝利。その過程でどれだけプライドを曲げようとも、最後に笑っていられればそれでいい。

 エイバは耳元のインカムで部下へ命じた。


「マザー司令が艦を離れ次第、暗号通信を。送信先は――」

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