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第19話「この時代の常識を打ち砕くために」

「いやまさかうまくいくなんて」


 諸々の手続きを終えた源二がビルを出ると、ヨシロウは緊張が解けたかのように大きく伸びをした。


「しかし、なんつー隠し玉持ってたんだよ。そりゃお前が手土産に飯を持って行って『食えば分かる』をやるとは思っていたが、あれだ、何だっけ——」

「カツサンド」

「そう、それそれ」


 なんかすげえ美味そうだったんだが、と続けてから、ヨシロウは源二のこめかみに拳を押し付け、ぐりぐりと押し込んだ。


「痛い痛い」

「俺、試食してないんですけどー」


 不満たらたらなヨシロウの声。

 源二が痛そうにしながらも口元には笑みを浮かべ、そりゃあ、と答える。


「『敵を欺くならまず味方から』って言うだろ。まぁ別に欺くつもりじゃなかったが、これはお前に対するサプライズだよ」


 そう言いながら源二が鞄からもう一つ紙包みを取り出す。


「確かに取引ではまずお前に試食させる、という話だったが今回はワタベ氏の反応も楽しんでもらいたかったからな。ほら、カツサンド」

「それなら早く言えよ!」


 半ば奪うようにヨシロウが紙包みを受け取り、中身を取り出す。


「やべえ、マジでトンカツがパンに挟まってる」


 そう言い終わらぬうちに、がぶり、と頬張る。


「ん~~~~!!!!」

「あ、うまいbot発動」


 もう見慣れたヨシロウのリアクションに源二が苦笑する。

 道端でがつがつとカツサンドを頬張るヨシロウを、道行く人々が不思議そうに眺めては通り過ぎていく。

 相変わらずうまそうに食べてくれるなあ、と思いつつも源二はヨシロウが食べ終わるまで立ち止まって周囲を見回した。

 時間としては昼休憩に入る頃、多くの人が手近な食堂に足を運んでいるのが見える。

 周囲の人間にとっては当たり前の景色。


——もし、それを崩してしまえば?


 ただ生きるためだけの、今の時代の食事に革命を。

 その第一歩が展示会だ。


「……ヨシロウ、」


 カツサンドを頬張るヨシロウに源二が声をかける。


「成功させるぞ」

「——ああ!」


 源二の言葉に、期待が込められていることに気付いてヨシロウは大きく頷いた。

 同時に、源二に頼られているという事実に頬が緩む。


「資材の調達とかは俺に任せろ。お前は自分にできることを完璧にやってくれればいい」


 そう言いながら、ヨシロウが片手の拳を上げる。

 それに自分の拳をこつんとぶつけ、源二も大きく頷いた。



◆◇◆  ◆◇◆



 帰宅した二人は休息もほどほどに、早速展示会に向けての準備を始めることにした。


《で、なんで俺まで招集されているんだ?》


 グループ通話の向こうでニンベン屋がクッキーを貪りながら不思議そうに声を上げている。


「なんでって、お前表向きはデザイナーだろうが。ゲンジが特別にクッキーを用意したんだから四の五の言わずにフライヤーを作れ」


 そう言うヨシロウは通販サイトのウィンドウをいくつも開いてイベント参加に必要な資材の値段を比較している。


「まぁ、まさかワタベの野郎が無料でプリンタを貸し出してくれるとは思わなかったな」


 あいつ、結構がめついからプリンタの貸し出し費用は取ると思ったのに、と呟きつつ、ヨシロウが源二にデータを転送した。


「ほい、試食用の紙皿とかここが最安だがどうだ?」

「お、ありがとう。——うん、よさそうだな」


 視界に表示される実寸大の3D映像。実際に手に持った状態で確認することもできるため、「買ってみたら全然違う大きさでした」ということもなさそうだ。

 それはそれとして、ヨシロウが紙皿を見繕った通販サイトは源二も元の時代で何度かお世話になったもの。


「いやぁ……梵天市場まだあるとはな……」


 感慨深く源二が呟くと、ヨシロウが意外そうな顔をする。


「え、そんな前からあったのか?」

「そうだな——俺が子供の頃に創業して、そこから日本最大級の通販サイトになったからなぁ……」


 小規模ながらメガコープとして君臨するレベルには育ったのかー、とどことなく嬉しそうにしている源二に、ヨシロウがえっと声を上げる。


「お前が子供の頃って……」

「一九九七年だったかな。あ、今じゃ西暦って過去のものだったんだっけ」


 お、これもいいな、カートに入れとこうと商品を見繕いながら源二はざっくりと説明した。

 少なくともこの時代は自分のいた頃から百年は経過していることは分かっているが、正確に何年前かを調べる気はない。それは気になったときに調べればいい。今はただこの時代が企業歴C.E.という紀年法を使っていると理解しているだけでいいと考えた源二は悲観的になることもなく淡々と、いや、イベントに向けてわくわくしながらページをスクロールしていた。


「もうちょっと危機感とかねえのかよ」


 源二がトーキョー・ギンザ・シティに迷い込んでからまだ一ヶ月も経過していない。それなのにすっかりこの街に馴染み切っている源二にヨシロウは何度「こいつの適応能力高ぇ」と思ったことか。


「まぁ、戻り方も何も分からないなら焦っても仕方ないからな。だったら今を精いっぱい楽しむだけだ」


 そう答えた源二の目は生き生きとしていた。むしろ、この街に迷い込んだばかりの方が死んだ目をしていたような気がするなと考えると、ヨシロウも自然と理解してしまう。


 元の時代の源二がどのような生活を送っていたかは分からないが、それでも源二にとっては今の生活が充実しているのだろう。源二の言う通り、元の時代に帰る方法は見つかっていない。それなら楽しんだ方がいい、と開き直れる源二のポジティブさにヨシロウは呆れ半分、賞賛半分の眼差しで見るしかできなかった。


「まぁ、お前が楽しんでくれるなら俺はそれでいいんだがな。そのおかげでうまい飯が食えるし」


 源二が調味用添加物と出会ってからのヨシロウの生活の質QOLは劇的に上がった。うまい飯が食える、ただそれだけで日々の生活にメリハリが出る。起きて、生きるために必要な栄養素を摂取して、淡々と依頼をこなして寝る、そんな毎日が源二の料理で一変した。どんな料理が出るのだろう、どんな味がするのだろう、それを考えるだけで依頼を進めるペースも上がる。今まで食べていたプリントフードも味覚投影という意味では味がしていたが、源二の料理はそれに比べれば天と地ほどの差がある。


 ただのビジネスでの関係だったはずなのに、今では源二はなくてはならない存在になっているという事実にヨシロウは苦笑した。いや、この思いは恐らく自分だけのものではない。ニンベン屋やサトルも同じだという確信みたいなものがヨシロウにはあった。


 ゲンジはこうやって自分の道を切り開いていくんだな、と思いつつ、ヨシロウはヨシロウでSNSに展示会参加の告知を出す。この辺りのプロモーションは源二に一任されているため、知り合いのインフルエンサーからアドバイスを受けている。

 失敗は許されない。この展示会が恐らくは源二の店——「食事処 げん」の行く末を決める。


 自分の気合を入れるために、ヨシロウが皿に乗ったクッキーを一枚手に取る。

 見た目は何の変哲もないチョコチップクッキー。しかし口に運べば甘い香りが鼻孔をくすぐるし、口に広がるチョコレートの甘味がバニラ風味のクッキーに絡まり、ころころと表情を変える。


「やっぱうめえよ……」


 思わずそう呟いたヨシロウの目の前にすっと皿が差し出される。


「ほい、試食」


 源二の声にヨシロウが皿の中身を見ると、それは一粒のキャンディだった。

 味覚投影なしでは何の味もしないキャンディ。しかし源二の手にかかれば何が起こるか分からない。

 高鳴る期待に、ヨシロウがキャンディを口に運ぶ。

 ——が、次の瞬間、ヨシロウは恨めしそうに源二を睨みつけた。


「味しねえ!」

「まさか二〇二二年の話題の商品が素で作れるとは思ってなかったんだよ!」


 源二は源二で興奮が隠せていない。


「二〇二二年にマジで味がない飴が売られて、人気あったんだよ。まぁ、実際に食ったら薄めたスポドリみたいな味はしたんだが、それ以上に味がないからこれ、俺の時代で売ったらネタになっただろうなあ……」

「俺は当たり前に食ってんだよ! 味を寄越せ味を!」

「はいはい」


 さっきのは冗談だよ、と源二が改めて皿を差し出す。

 その上にあるキャンディを、今度は大丈夫だろうな? と疑いつつもヨシロウは口に放り込んだ。


「っ!」


 口いっぱいに広がる透き通った甘味。砂糖スクロースだけの甘さだけでなく、わずかに甘酸っぱさも含まれている。

 レモン味か、と味覚投影で食べたときの味を思い出しつつヨシロウが呟く。


「当たり。これを個装して配ってみようと思うんだが、どうだろう」

「いいんじゃないか? ブースで立ち止まった奴にはしっかりしたもの食わせて、これと一緒にチラシを配れば気になる奴は戻ってくれるだろ」


 口の中でレモン味のキャンディを転がしながらヨシロウがそう答えると、源二もやっぱり、と頷いた。


「チラシに大きく『味覚投影なしで食べられる!?』とでも書いておけば興味を持った人は投影なしで食べてくれるはずだ。抵抗がある人は投影ありで食べるだろうし、無駄にはならないと思う」

「そうだな。って言うが、実は飴は比較的味覚投影オフで食べられたりする。お前の時代にもそういう飴があったということは需要があるってことだ」

「なるほど」


 源二が意外そうな顔をするが、すぐに納得する。

 自分がいた時代に味のしないキャンディが流行ったのも、物珍しさもあったのは事実だ。しかしあの新型ウィルスの流行でマスク着用が当たり前になった際に「口の中を潤す」という目的でキャンディの需要が増えた。ところがキャンディは香料で香りづけされており、満員電車など密閉空間では他者に迷惑をかけてしまう。それを緩和したのがこの「味のしないキャンディ」だった。香料をしていないから匂いを出さない、ということで注目を浴びたキャンディだからこそ分かる。どのような時代であってもこういったものは需要があるのだ、と。


 ただ、なんとなく源二が思ったのは「味のしない、キャンディ」だと思って食べたら味がした、だと逆に反感を買うのではないか、ということだった。

 周囲への配慮のため、香りづけはしていない。調味用添加物だけでは香りまでは再現できない。だからこそ不意打ちで驚かせるには最適だが、同時に反感を買う可能性もある。流石にこれに関する反応がポジティブなものになるかネガティブなものになるかは予想がつかない。

 だが、ヨシロウは大丈夫だろ、と呟いてキャンディを噛み砕いた。


「『この時代の常識を打ち砕く』がお前のコンセプトだ、普通の飴だと思ったところを殴ってやれ」


 源二の料理にはそれくらいの魔力が秘められている、そう続けてヨシロウは源二の肩をポンと叩いた。

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