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第4章 「人のまにまに」

第27話「人として「生きる」とは(前編)」

 「食事処 げん」がオープンしてからの一か月は源二の予想通り店は戦場のような忙しさだった。

 いくら調理がフードプリンタ任せでも出力のための入力、配膳、後片づけ、皿洗いはしなければいけないことを考えると到底源二一人で回せるものではない。


 そのため、ヨシロウとニンベン屋、数人の白鴉組舎弟や源二の料理に惚れ込んだ近所の住民が自主的に協力を申し出て、作業を分担していた。


「いやマジでこれ本当に落ち着くのか……?」


 閉店後、ニンベン屋がカウンターに突っ伏しながら声を上げる。

 そんなニンベン屋にすっと差し出されるカレーライス。

 待ちかねていた賄いにやった、と歓声を上げるニンベン屋に、源二は苦笑しながらスプーンを手渡した。


「まぁでもオープン当時に比べたらかなり落ち着いてきたぞ」

「言われてみれば……」


 源二に言われ、ニンベン屋も納得したように呟く。

 実際、「食事処 げん」の客足はオープン当時に比べてかなり落ち着いたものになっていた。入ってすぐに注文して食べたらすぐ退店しなければ他の客に迷惑がかかる、というフェーズは終わり、客と源二が多少言葉を交わす余裕も出てきていた。もちろん、長居をすれば他の客に迷惑がかかるためじっくりと話すことはできないが、それでも時間帯によってはある程度の会話をすることもできる。


「大体の予想通り、一ヶ月で落ち着いては来たが、もっと気軽に利用できるようになるにはもうしばらくかかりそうだな」


 まさかここまで人気が出るとは思わなかったよ、と源二が呟いていると、裏口が開いてひょっこりとヨシロウが顔を出した。


「おう、お疲れさん」

「おう」


 ヨシロウがニンベン屋の隣に腰掛けると、目の前にすっと皿が差し出される。


「早いな」

「そろそろ来ると思ってたんだよ」


 ヨシロウの前にも差し出されたカレー。口に運ぶとスパイスの香りが口の中で弾け、ハッキングで疲れた頭が冴えわたるような錯覚を覚える。


「あ、そうだ今日のレポート」


 あっという間にカレーを完食し、ヨシロウは源二に向けて指を弾いた。

 源二のBMSにデータが届く。


「お前の予想通り、客足は落ち着いてきた感じだな。ただ、ここ数日の流れを見るとほぼ横ばいだからよほどのイベントでも起こさない限りこの水準を維持できるんじゃねえか?」


 源二の視界に表示されるオープン初日からの客と売り上げの推移。

 初日をピークに少しずつ数値が落ち着き、ヨシロウの言う通りここ数日は一定ラインを行き来する状態だった。


「まあ、あとは下がっていくだけになるか新しい常連を掴めるか、ってことだな」


 満足そうに源二が呟き、二人から空になった皿を受け取る。


「ニンベン屋もありがとう。偽造の仕事は大丈夫なのか?」

「あぁ? んなもん毎日来るもんでもねえしデザイナーはただの副業だからな。それならここを手伝って賄い食った方が幸せになれる」


 ニンベン屋は「その一瞬が幸せならそれでいい」という刹那的快楽思考が一番気楽だと思っているところがある。それは戸籍偽造の時からの付き合いで源二もよく知っている。


 うまい飯が食えるならそれでいいというニンベン屋が自分の飯で幸せになってくれているなら彼にそれ以上望むわけにもいかない。


「また頼むよ。お前、意外と人気あるんだよ」


 お前がいない時、たまに「あの店員いないのか」とか言われるんだぞ、と言いながら源二はフードプリンタの電源を落とす。


「じゃ、帰るぞ」

「おう、帰ったらまた実験か?」


 そんな会話をしながら三人が店を出て施錠し、帰路に就く。


 ——明日は何が頼まれるだろうか。明日は何を食べようか。そんなそれぞれの思いを胸に。



◆◇◆  ◆◇◆



 その日は雨が降っていた、ということで店内はかなり落ち着いていた。

 流石にランチタイムは満席だったが十四時を過ぎたあたりで昼食目当ての客はいなくなり、店内では数人の常連が暇そうに情報交換や雑談にふけっていた。


「おう、タイショー、今日は天気悪ぃな!」


 そんな挨拶と共に常連が上着に付いた水滴を払って店内に入り、いつも頼むメニューをオーダーする。


「タキさん、今回もカレーですか。やっぱりどこでもカレーは人気なんだなぁ……」

「タイショーのカレーは特別なんだよ!」


 差し出されたカレーに息巻きながら熱弁する常連に源二は苦笑した。

 この店にはもう何人もの常連が付いている。毎日来るコアな客から数日に一回、ふらりと立ち寄る客、頻度は様々だが、それでも源二の料理をうまいうまいと言って食べては気の合う常連と言葉を交わして帰っていく。


 今も、目の前でカレーを貪る常連は幸せそうにため息をついてじっくりと味わっている。

 今は忙しいが、理想に近い店を開けたことに源二がふと笑みをこぼしたとき、店内に一人の男が入ってきた。


「いらしゃい!」


 源二がまず声をかけ、それから男に視線を投げる。

 その瞬間、源二の視線はその男にくぎ付けになった。

 人間にしては大柄な躯体、ボディビルダーでもここまでは筋肉質にならないだろうというシルエットに源二はピンとくる。


——軍用の義体か。ここに来たということはフリーの傭兵か……?


 実際、筋肉ではちきれそうに見える腕は黒光りする金属の光沢を放っており、異質なものに見える。

 流石に素体でいるわけにはいかないということでジャケットにパンツ姿ではあるが、それでもこの男は明らかに通常の人間とは違っていた。


「タイショー、空いてるか?」


 義体の男の声に、源二がもちろん、と平静を繕って頷く。


「空いてる席へどうぞ!」


 そう、席へ案内しつつも源二は自分の心臓が早鐘を打っていることに気が付いていた。

 緊張している。この、義体の客に。

 別に義体を見るのは初めてではない。ヨシロウだって腕を機械に置き換えているわけだし、常連にも身体のどこかを義体にしている人物がいる。


 それでも源二が緊張したのは、目の前の男が——。


全身義体サイボーグを見るのは初めてか?」


 席に着いた男がそう尋ねてくる。

 ええ、と源二が頷いた。

 少し言葉を交わしただけだが、男は純粋に食事をしに来ただけで他意はない、そう判断する。

 そう判断すると気持ちは落ち着き、源二は「何にしますか」と尋ねていた。


 元の時代にいたときと何も変わらない。

 障害を持った人間は元の時代でもよく目にしていた。それは車いすだったり白杖だったり、あるいは精神や知的なものだったり、自分のように心身ともに何不自由なく生きることができない人間。


 義体も同じだ。ましてや、義体が当たり前に普及しているこの街では見かけない方がおかしい。

 ただ、全身を丸ごと義体にしている人間は初めて見たので驚いただけだ。


 改めて、源二は義体の男を見る。

 服から覗く腕や脚は見るからに金属やカーボンで表面が覆われているが、頭部は人工皮膚を使い、疑似毛根を埋め込んだ頭髪でごく普通の人間と変わらない顔つきをしている。表情筋や開口のために頬に切り込みが入っていなければ首は生身だと言っても疑わないだろう。


 しかし、それはそれで疑問が生じる。

 全身義体ということは生身の部分は脳以外存在しない。最近は人工脳の開発も進んでいるというニュースを目にしているのでもしかしたら脳も生身ではない被験者くらいはいるかもしれない。


 そうなると普通の食事が摂れるのか、とは思うし、味覚投影なしを売りにしている源二の料理を味わうことができるかどうかも怪しい。

 来てくれたのは嬉しいが、自分の料理を楽しむことができるだろうか、と不安が胸をよぎった源二に、男は口元に笑みを浮かべて見せた。


「この店の料理は味覚投影せずとも食べられると聞いてな。舌に味覚センサーを搭載してきた」

「え」


 思わず源二の口から変な声が出た。

 まさかの味覚センサー。


「味覚センサーで、味、分かりますか……?」

「それは試してみないと分からない。だが、一度経験してみたくて」


 そう言った男の顔が、なぜか無邪気な子供のように見えて、源二は言葉を失った。

 本来なら欠損部位か仕事で必要な箇所だけを義体にするものなのに全身義体ということはそうせざるを得ない理由があったということだ。そんな男が、源二の料理を食べてみたいと味覚センサーを搭載したと言う。


 そんな男に同情してしまったのかもしれない。

 源二はすぐに笑顔を浮かべ、頷いた。


「それならぜひとも試してもらわないと! もしかしたら、今後にもつながるかもしれませんしね!」


 いくら味覚投影で十分だと言われても、実際に自分の舌で味わいたい人間を止める権利は誰にもない。

 それは舌まで義体にした人間も同じで、もし源二の料理が味覚センサーでも味わえるというのならそれは今後への大きな一歩となる。

 味覚投影オフの料理はまだ「食事処 げん」でしか味わえないが、逆に言うと舌で味わえない人間は客層ではない。しかし、もし味覚センサーが味を認識すれば——。


 緊張した面持ちで男がメニューから料理を選ぶ。

 BMSに届いたオーダーを見て、源二はよし、と両手を合わせた。

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