源二がフードプリンタにオーダーされた料理用に調合された調味用添加物を投入する。
相手が義体だからと特別に調合することはない。ただ、いつも通りに料理を出力するだけ。
オーダーされたのは人気ナンバーワンのカレー。調味用添加物の組み合わせでスパイシーさを出すのには苦労したが、苦労した甲斐あっての人気なので源二としては誇らしさもある料理である。
フードプリンタがまずライスを出力し、それからカレー部分を出力する。
固形物と液体に近い半固形物が出力できるのは何度見ても面白いな、と源二は店内が混んでいないことをいいことに出力の様子を眺めていた。
そんな源二を、義体の男が興味津々で眺めている。
「……いい匂いがするな」
ふと、男が呟いた。
「お、分かりますか?」
店内に漂うスパイスの香り。注文したのが一人や二人程度ならそこまで匂わないが、カレーは人気メニューのためかなりの数が注文された結果、店内に香りが残っていたのだろう。
実際のところ人より鋭い味覚と嗅覚を持つ源二も気づいていたが、他の客や閉店後に夕食を食べにくるヨシロウは気づいていないようなのでその香りは微々たるもの、それに気づくとはこの義体の男は高感度の嗅覚センサーも備えているということか。
「ああ、戦場では匂いに気づけるかどうかで生存率が変わるからな。嗅覚センサーは重要なパーツだ」
そう答えた男はふっと笑って店内を見回す。
「……まさか、嗅覚センサーが戦場以外で役に立つとはな」
「ふふ、食事というものもある意味戦いですよ?」
少なくとも、源二にとっては食事は戦いだった。
料理人と、料理を食べる者の一騎打ち。うまいと言わせられれば勝ちなのか、それともうまいと思えば勝ちなのか。
この戦いの勝敗を決めるのは自分だし、明確な勝敗の基準はない。
それでも源二は全力で料理を出すし、客もその味を判定する。
この義体の男にとって源二の料理は通用するものか否か。
出力が完了したカレーが男に差し出される。
「どうぞ」
「……ありがとう」
差し出されたカレーの黄金色に男が一瞬目を取られるが、すぐにスプーンを手に取り、皿に差し込む。
スプーンに掬われた一口を男が口に運ぶ様子を、源二は緊張の面持ちで眺めていた。
ゆっくりと、男がカレーを咀嚼する。
味覚センサーで味は分かるのだろうか。それともただのデータの羅列として認識されてしまうのだろうか。
何分にも感じられる数秒の後、男はカレーを飲み込んで口を開いた。
「これが……カレー……」
そう呟いた男の声音には驚きと感動が含まれていた。
「……味覚センサーに、確かに反応する。味覚投影で感じる味を、味覚センサーを通じて感じている——いや、リアルタイムに味の反応が変わっている?」
男の視覚には味覚センサーが受け取った味の成分の推移がリアルタイムで表示されている。それとは別に、脳はしっかりとカレーの味を認識していた。
「……うまい」
ぽつり、と男が呟く。
その瞬間、源二の顔も緩んだ。
自分の料理は味覚センサーにも通用した、その事実が嬉しく、同時に義体の男も料理を楽しむことができた、ということに胸が熱くなる。
良かった、という言葉が源二の口から漏れる。
「正直、味覚センサーを使っても味覚投影と変わりないだろうと思っていた。だが、全然違う。こうやって味覚投影を使わずに味わうと、味覚投影の味はのっぺりしているんだ——と」
一言一言、言葉を選ぶように男が感想を口にする。
それは想像していた味ではなかった、しかし源二を傷つけないようにと選んだ言葉ではない。
この感動を言葉にすることができない、どのような言葉を使っても陳腐になってしまう、そんな思いが感じ取れた。
「……ありがとう」
再び、男が感謝の言葉を口にする。
「全身が義体でも——生身の人間と同じように食事を楽しんでもいいんだな」
「当たり前ですよ!」
思わず、源二の口から強い言葉が漏れた。
源二の言葉に、男が驚いたように目を見開く。
その奥の
「義体だから食事を楽しんではいけないなんてことはありません。味を知る手段があるのなら、それを使う権利はあるんです」
「タイショー……」
男が源二を見る。
源二は真っ直ぐな目で男を見つめていた。
「義体でも生身でも、同じ人間です。人間なら、食事は誰にでも平等にあるべきです」
貧富の差によって食べるものに差はあったとしても。
食べるという行為は、誰にでも等しくあるべき、源二はそうはっきりと認識した。
義体だから食事をしてはいけない、という理屈はない。義体に食べ物を消化する機能があるのなら、いや、その機能がなかったとしても味を楽しむ権利までは奪われてはいけない。
そんな源二の思いに、男は目頭が熱くなったような錯覚を覚えた。
この顔も義体で、涙など出るはずがないのに泣きたくなるような感覚に陥ってしまう。
「タイショー……ありがとう」
その言葉を繰り返しながら、男がカレーを次々に口へと運ぶ。
「全身義体だとどうしても怖がられてしまうし、人によっては『機械が人間の真似事をするな』と言うんだ。だが、タイショーは……俺を人間として見てくれるのか」
「当たり前じゃないですか」
男の言葉に、源二が即答する。
「うちの料理を楽しみたいというのなら、誰だって大歓迎ですよ」
初めに感じた不安はもうなかった。
あるのは「食事に来たのならそれは客だ」という思いだけ。
男がカレーを食べる姿を、源二は微笑ましく見守っていた。
「タイショー、ありがとう。うまかった」
カレーを完食した男が満足そうな顔で源二に言う。
「楽しんでいただけて良かったですよ」
男が差し出した空の皿を受け取り、源二が笑って見せる。
「なあ、タイショー……。また、食べに来てもいいか?」
恐る恐る——店内の他の客の様子を窺いながら、男が尋ねる。
「もちろん、いつでも来ていただいて構いませんよ。ここは食事を楽しむ場所なんですから」
その権利はあなたにもありますよ、と源二が続けた。
「そうだそうだ、兄ちゃん、その図体で何日和ってんだよ」
「そうそう、ここはうまい飯を楽しむ場所。飯を楽しみたい奴に悪い奴はいないよ!」
源二の言葉に触発されたのか、店内にいた常連も笑いながら男に声をかける。
「……」
言葉を失う男。
とんでもない場所に来た、と男はここで改めて思った。
料理が美味しいだけではない。常連も気軽に声をかけてくる、温かい場所。
外の冷たい雨とは対照的に、この店はとても暖かかった。
気温という意味ではない。胸の奥底が温まるような、そんな温度感。
「……いい店だ」
思わず、男はそう呟いていた。
「うまい飯を出すだけじゃなくて俺を人として見てくれる、なんでタイショーはそんなに優しいんだ」
その男の問いに、源二は満面の笑みをその顔に浮かべた。
「飯をうまいと楽しめるのは人間の特権ですからね! それができるなら人間ですよ」
「飯を、うまいと楽しめる——」
源二の言葉を反芻する。
たったそれだけのことで、源二は男を人間だと言い切った。
「——なんだ、そういうことか」
源二に言われて、男はふと悟ってしまった。
全身義体である自分を人間ではないと一番思っていたのは自分自身ではないか、と。
自分が人間ではないと思い込んでいたから周りも人間として扱わない。もちろん、義体だというだけで人間扱いしない人間もいるが、そんなものはごく一部だ。
自分は人間だと人間らしく生きればいい。
そう思うと、男の心はすっと軽くなった。
「ご馳走様」
腹も心も満たされ、男は立ち上がった。
「タイショー、俺、実はフリーの傭兵やってるんだよな。もし荒事に巻き込まれそうになったら俺を呼んでくれ。何があっても駆けつける」
「そりゃ心強い」
男の申し出を、源二は断らなかった。
荒事が発生しないに越したことはないし、「食事処 げん」は白鴉組の後ろ盾がある。男の申し出は無用の長物ではあったが、どこで何が起こるかわからないのがトーキョー・ギンザ・シティである。
それに、これがきっかけで男が常連になるのならこのビジネスチャンスを逃すわけにはいかない。
そんな思いも交えつつ、源二はありがたいと頷いた。
「何かあったら頼むよ!」
「ああ、任せてくれ」
そう言い、男が店の外に出る。
朝から降り続いていた雨はいつの間にか止んでいた。
ビルの隙間から差し込んだ光が水溜まりに反射し、煌めいている。
「——さて、午後も頑張りますか」
そう小さく呟き、男は堂々とした足取りで街の中へと消えていった。