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第41話「知略には知略で」

 ハヤトによるベジミール社提携打診から数日。

 チハヤによって指定された「白鴉組会合の日」として「食事処 げん」は臨時休業、白鴉組のために店を貸し切りにしていた。


 台風も過ぎ去り、ヒートアイランド現象による熱を人工の夕立と風で和らげる、というトーキョー・ギンザ・シティの暑さ対策に感謝しながら店を営業していた源二はまだ数日とはいえベジミール社から何の圧力も掛けられてこないことにいささか拍子抜けしていた。


「まぁ、昨日の今日で攻撃したらあからさますぎるだろうからな。しばらく様子を見てじわじわと圧力をかけてくるんじゃないか?」


 ヨシロウが源二の隣でフードプリンタを覗き込みながらそう分析する。


「だといいけどな。対策打てるから」


 そんなことを言いながら源二がぐるりとカウンターを埋める男たちを見た。


「運が良かったよ、今日が約束の日で」

「それはそうだな」


 ほい、とヨシロウがフードプリンタから焼き魚を取り出してカウンター席の一つに差し出した。


「ベジミール社からの申し出とは、穏やかではありませんね」


 焼き魚の皿を受け取り、テーブルに置かれた小瓶からショーユを垂らすのはサトル。


「どう思います、ハクア殿」


 サトルの言葉に、隣に座っていた男——チハヤがうむ、と頷いた。


「これほどのものならいつかは来ると思っていましたが——思ったよりも早かった感じですね」


 サトルもチハヤもこの事態は想定していた。

 「食事処 げん」の料理であればベジミール社が食いつかないはずはない。サトルからすればフードプリンタの展示会の時点で源二に目を付けていた企業は既に目にしている。そう考えるとベジミール社も「食事処 げん」に目を付けるのも時間の問題だった。


 開業からわずか三ヶ月。本来ならもう少し綿密に調査をして接触してくるものだとは思っていたが、ベジミール社からすればとてもいい匂いのする「金のなる樹」を早々と自分のものにしたい、といったところだろう。

 それほどの魅力を持つ「食事処 げん」に誇らしさを覚えるサトルとチハヤではあったが、それを快く思わない人間がいるのも事実である。


「いや、確かに味覚投影せずともうまい料理が食べられるというのは魅力ですが、オヤジはこの店に肩入れしすぎている」


 サトルとチハヤの会話を聞きながらそうこぼしたのは白鴉組の中でも次期組長候補と言われている若頭、タカトリ・ミヤビだった。頭脳で組を回す、そんな思惑すら感じさせるインテリヤクザの様相をしたミヤビが神経質そうに人差し指で眼鏡を上げる。


「大体、どうしてオヤジは特定の店に肩入れするんですか。その特定ひとつに問題が起これば、最悪の場合組の存続にも関わってくる」

「ミヤビ、お前はまたその話か。オヤジがこの店を守りたいって思ったから守る、それでいいじゃねえか」


 チハヤが「食事処 げん」に肩入れすることを快く思っていないミヤビに対し、チハヤに絶対の服従を誓い手足となって動いているアサノ・ヒビキが口を挟んだ。


「オヤジは『食事処 げん』——いや、ヤマノベに惚れ込んでんだよ。『こいつは世界をひっくり返すかもしれない』って言ってただろうが」


 ミヤビとは正反対の、肉体派ヤクザのヒビキ。

 反抗するなら腕力で黙らせるぞ、と言わんばかりのヒビキだが、ミヤビはそれに怯むことなくその視線を受け止めた。


「ええ、聞きましたとも。だが、特定個人に深入りするのは危険だと言っているんです」


 それはミヤビの経験から。

 かつて、「見込みがある」と思った子供を保護し、手厚く面倒を見たがその子供はミヤビを、いや、白鴉組を裏切ってしまった。今は白鴉組傘下の三次団体となったとある組と白鴉組はその子供がきっかけで抗争になり、最終的にミヤビは自分の手でその子供を殺すことで抗争を終わらせた。


 そういった経験から特定個人に肩入れするのは危険だという考えが白鴉組全体に浸透していたはずだ。それを、組長自ら覆すことにミヤビは脅威を感じていた。


「ミヤビ」


 串に打たれた鶏肉——ヤキトリを食べながら、チハヤはミヤビの名を呼んだ。


「なんですか、オヤジ」


 食べかけのミソデンガクを皿に置き、ミヤビが姿勢を正す。


「貴方が心配する気持ちも分かります。ですが——賭けてみたいと思いませんか」

「何を」


 ミヤビが姿勢を正したままチハヤを見る。

 賭けてみたい——このご時世、ギャンブルというものは非合法なものだ。パチンコやカジノはもちろん、公営競技の競馬や競輪も裏で高額の賭け金が飛び交う非公式の賭博が繰り広げられている。見つかれば摘発される危険を冒しでても一攫千金を狙う人間は後を絶たない。


 当然、ヤクザとして組織立っている白鴉組も闇カジノなど非合法な賭博施設を所有しているし組織の活動に必要な資金を得るにはギャンブルは効率のいいシノギだということもミヤビは理解している。

 だが、それは「運営する側」の話であって「賭ける側」は別だ。


 見込みがある、と擁護するのは危険すぎる。もし何かあった場合損をするのは、下手をすれば破滅するのはこちらである。

 だからこそミヤビはチハヤが源二に肩入れするのは快く思っていなかった。


「そうだそうだ、別にヤクザもんがギャンブルするなってルールはどこにもない。たまに大きく賭けるのが男ってもんだろうが」

「黙りなさい、脳筋が」


 割って入ったヒビキにミヤビがピシャリと突き放す。

 つれねえなあ、とぼやくヒビキ、そして話し合うミヤビたちを源二は静かに眺めていた。


「ミヤビはなんでも計算ずくで動くインテリだからな。口論で勝てるのはオヤジくらいなもんだよ」


 源二の隣に立ってヨシロウが囁く。


「分かるよ。ああいう手合いはただ腕力で勝てばいいってものじゃない。それを上回る仕掛けが必要だ」


 ヨシロウがミヤビを観察する源二の顔を見る。

 その顔に不安はなく、むしろ不敵な笑みが浮かんでいることに、「こいつ、まさか」と考える。

 源二には何かしらの手があるというのか。あるとすればそれは何か。


 ミヤビは確かに源二の料理を認めてはいるが、ただ料理を出しただけで納得するなら既に源二の味方となっているはずである。そうならずにチハヤに苦言を呈しているのは「食事処 げん」に対してまだ懐疑的な考えを持っているから。

 それを黙らせるための何かを源二が持っているとすれば、それは——。


「お言葉は分かりますよ、タカトリさん」


 不意に、源二がチハヤたちの話に割って入った。


「なんですか、カタギの人間が我々の話に入り込む必要はないはずです」


 明らかに不機嫌そうな様子でミヤビが源二を追い払おうとする。

 しかし、源二はそれをものともせずミヤビにスシの入った皿を差し出した。


「タカトリさんは『げん』は二回目、そしてうちの人気メニューはまだ食べていませんでしたね」

「それがどうしました」


 「食事処 げん」の料理は分かっている、とミヤビが反論すると、源二はニヤリと笑ってショーユの小皿も脇に置く。


「いいや、分かっていませんね。本当に分かっているならこれが食べられるはずです」

「食べられる、ってただのスシじゃないですか。知っていますよ、ショーユをつけることで大きく化けるということくらいは」

「——本当に?」


 源二の目が挑戦的なものになる。


——あ、こいつ悪いこと考えてやがる。


 源二の横顔を眺めていたヨシロウが本能的に悟り、息を呑んだ。


「百聞は一見に如かず、食べてみることをお勧めしますよ」

「そうだミヤビ、スシは一度経験しておくといいでしょう」


 チハヤも横から助け舟を出す。


——あ、オヤジも気づいたようだな。


 これは確実に分かっている。具体的に何かは分かっていなくても、源二がミヤビに対して何か手を打とうとしていることはチハヤも気づいたのだとヨシロウが理解する。

 チハヤに言われ、ミヤビは逆らうことができなかったのだろう。

 渋々皿を引き寄せ、スシにショーユを付けた。


「スシ程度で私の考えを変えさせるなど——」


 無駄だ、と言いつつもミヤビがスシを口に運ぶ。

 次の瞬間。


「〜〜〜〜〜〜〜〜!!??」


 スシを食べたミヤビが目頭を押さえて悶絶した。


『あ』


 ヨシロウとヒビキの声が重なる。


「お、おいイナバ、これって——」


 悶絶するミヤビを尻目にヒビキが小声でヨシロウに尋ねる。


「あいつ、やりやがったな」


 スシを出すってことはそういうことなんだよなあ、とヨシロウも納得した。


「な、何を食わせたんですか!?」


 ひとしきり悶絶したミヤビが源二を睨みつける。

 懐から銃を抜き、源二に突きつけたのは激昂した証だろう。

 周囲の白鴉組の構成員も慌ててミヤビを止めようと立ち上がるが、源二は銃を突きつけられてもなお平然とそこに立っていた。


「インテリヤクザが暴力に逃げれば負けですよ」


 静まり返った店内に響く源二の声。


「な——」


 源二の指摘に、ミヤビが言葉を失う。


「私は料理を出しただけですよ——ワサビたっぷりのスシを」

「うわこわ」


 源二のネタバラシにヨシロウが思わず声を上げる。

 ワサビはほんの少し付けただけで効果がある。それをたっぷり仕込んだとは、嫌がらせ以外の何物でもない。

 ヨシロウはそれを知っているから「源二が先に手を出した」と認識できるが、源二が「料理を出しただけ」と主張するのなら相手からすれば勝手に料理を食べて勝手にキレているだけである。


「く、くそ——」

「勝負ありましたね」


 静かに、チハヤが宣言した。


「ヤマノベさんはとても強いのですよ。料理で全てを解決します。貴方もこれで思い知ったことでしょう」

「それは、確かに——」


 いまだにツンとする鼻の奥に辟易しながらミヤビは源二を睨みつけた。

 知略では誰にも負けないと思っていた自分が、この何処の馬の骨とも分からない源二に敗北した。源二の言う通り、自分は出された料理を食べただけである。

 それだけで、この場の空気は「源二を擁護すべきだ」という流れに固まった。


 源二は強い。銃を突きつけられても怯えない肝の太さもある。

 そんな源二がベジミール社、いや、巨大複合企業メガコープと対立すればどうなるか。

 メガコープの力は圧倒的だ。それでも源二はまっすぐ立ち向かうはずだ。


 それを少しでも手助けするために白鴉組は存在する。

 それを、ミヤビははっきりと認識した。

 弱いから守るのではない、強いから手助けする。

 その、チハヤの思いを確かに感じ取り、ミヤビは己の考えが間違っていることに気がついた。


「——なるほど、オヤジが貴方に惚れ込んだ意味が分かりました」


 銃を下ろし、ミヤビが人差し指で眼鏡を上げる。


「こちらの非礼、申し訳ない。貴方は白鴉組が守るべきだと認識しました」

「分かってもらえればいいですよ」


 にっこりと笑って源二がもう一皿、スシを差し出す。


「というわけでお口直しにもう一皿どうぞ」

「誰が食うか!」


 いつになく取り乱したミヤビの言葉に、その場にいた白鴉組の構成員たちは思わず苦笑した。

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