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第42話「利のもの、義のもの」

「——で、ヤマノベさんはどうするおつもりですか」


 ミヤビがひとまず落ち着いたところでチハヤが源二に問いかける。


「そうですね……とりあえずベジミール社の申し出は一度断ったのですが、それで相手がどう出るかですね。実際俺にとってもそんなに悪い話じゃないんです。条件次第では『食事処 げん』をより大きく、有名にすることもできるし俺の収入も大きく増えますから」


 源二としては自分の思いが守られるのならベジミール社との提携はやぶさかではなかった。ただ、あの時のあの状況でそれが確信できなかったから断っただけだ。


 巨大複合企業メガコープが利権を最優先に考えているのはよく分かっている。サイバーパンクものの創作物でもメガコープは利権を貪る悪の象徴として描かれることが多かったし、その印象そのままにこの時代のメガコープは利益最優先で人々の心を蔑ろにしていると感じることもある。


 つい最近も近隣で交通事故が発生したが、事故を起こしたのは少々下っ端に近いとはいえメガコープの社員、被害者は任意保険をかける余裕のない貧困層という構図だった。通報を受けた保険会社が即座に手配した緊急救助チームはメガコープの社員だけを救助し、被害者は遅れて到着した消防の救助隊に助けられたものの結局助からなかった、という流れをニュースで知ったし、実際のところそのような話はトーキョー・ギンザ・シティでは日常茶飯事である。一応、メガコープも自社PRのために遺族には手厚い補償を行なったようだが、それでも悪評を広められることによる株価暴落を考慮すれば微々たるものだ、とヨシロウは説明してくれていた。


 そう考えるとベジミール社の「利権を得たい」という考えと源二の「より多くの人に感動してもらいたい」は一歩間違えると対立する。より大きな利益を得るなら源二の技術は富裕層にのみ提供して下々はそれを指を咥えて見ているだけにした方がいい。


 それだけは源二の耐えられない部分だったのではっきりするまでは断る、そう決めていたのだ。


「ヤマノベさんの考えも理解できますよ。メガコープが『利』を追求するならヤクザは『義』を追求する。もちろん、『利』も存続には必要ですがそれ以上に『義』を大切にするのが我々ですからね」


 それは分かっていますよね? とチハヤが周囲の白鴉組構成員たちを見回しながら言う。

 もちろん、と頷いたのはミヤビを含めた全員。

 嘘だぁ、と源二が思わず疑いの目をミヤビに向けると、ミヤビは眉間に皺を寄せて言い訳した。


「私はどちらかというと白鴉組の金庫番のようなポジションですがそれでも人々の幸せのために動きますよ。どうしようもないクズは搾り取るだけですが、善良な市民を痛めつけるほど落ちちゃいません」

「ゲンジにハジキ向けた奴がよく言うよ」


 ボソッ、とヨシロウが焼き鳥を齧りながらぼやく。


「うっ」


 痛いところを突かれ、ミヤビが思わず呻く。


「あ、あれはヤマノベがあんなものを食わせたから——」

「ゲンジはただスシを勧めただけなのになー。おいゲンジ、俺にもスシくれ」

「あいよ」


 そんなやりとりと共にヨシロウの前にスシの乗った皿が差し出される。

 それを手に取り、ヨシロウはどやぁ、と悪い笑みを浮かべた。


「ゲンジのスシはすっげーうまんだけどなー。なー?」

『うん、うまい!』


 挑発するようなヨシロウの声に反応して一斉に頷く構成員たち。


「ぐぬぬ……」


 ミヤビが唸る。しかし一度源二に負けた身としては今更何を言っても負け犬の遠吠えである。

 そんなミヤビの前に、源二は一つの皿を差し出した。


「さっきはいたずらして申し訳ない。あれで寿司にトラウマ持たれたら俺としても寝覚めが悪いんでまずはこれで慣らしてください」

「イナリズシ?」


 ミヤビが差し出された皿を見る。

 それは狐色をした俵形の食べ物だった。フードプリンタのレシピにも収録されているから見たことはあるが、スシといえば生臭いもの、という印象が強くて食べたことがない。いくら源二のスシがそんなことはない、おいしいものだと言われてもワサビズシあんなものを食べさせられた後ではどうしても腰が引けてしまう。


「嫌ですよ、またあんなもの——」

「今度は大丈夫ですよ」


 にっこり笑って源二が皿をミヤビに押しやる。

 その顔が、先ほどの悪い笑みとは違い、純粋に楽しんでほしいと思っているものだと気づいてミヤビは皿と源二の顔を見比べた。


「本当に?」

「ミヤビ、マジでビビってんな」


 ワサビズシはよっぽど堪えたのか、とヨシロウが思わず笑う。


「イナバは黙っててください!」

「はいはいっと。まあ騙されたと思って食ってみろよ。うまいから」


 ヨシロウにも言われてしまい、ミヤビは覚悟を決めてイナリズシを手に取り、口に運んだ。

 先ほどのような目に遭わないようまずはほんの少しだけ口に入れる。


「——っ!?」


 口いっぱいに広がった、酸味のある甘じょっぱい味にミヤビは目を見開いた。

 まず、広がったのは甘みを含んだ塩味。芳醇な香りを感じたのは源二が使うというショーユというものの風味か。そこに酢飯のこれまた酸味、甘味、塩味が複雑に入り混じった味が混ざっていく。

 どちらも「甘じょっぱい」ものなのに全く違う風味で、ミヤビは思わず「ほう」と声を上げた。


「これが、スシ……」

「まぁ、どっちかというと入門編みたいなものですけどね。わさび稲荷ってものもあるにはありますが寿司の生臭みが苦手ならまずはこいつとかたまごとかで経験してもらえるといいですよ」


 あの生臭みは魚由来ですからね、と説明する源二の声を無視してミヤビは手にしたイナリズシを完食、皿に残っていたもう一つのイナリズシも口に運ぶ。


「うまいな、これ」

「だろー?」


 ニヤニヤ笑うヨシロウ。

 ヨシロウとしては普段スマした立ち居振る舞いをするミヤビには一度痛い目に遭ってもらいたかったところなので溜飲が下ったも同然である。

 ゲンジ、ありがとうと心の中で手を合わせつつ、ヨシロウはチハヤに視線を投げた。


「ってなところでハクア殿」

「なんですかな、イナバ」


 ヨシロウの声にチハヤがそちらに顔を向ける。


「ゲンジは『義』の人間です。だからこそ、ハクア殿も力を貸したい、と思ったんでしょう?」

「そうですね。ヤマノベさんが利益を追求するだけの人間ならここまで手を貸したいと思いませんよ」

「なら——」


 言いかけたヨシロウを手で制し、チハヤが大きく頷いた。


「ベジミール社の好きにはさせませんよ。ちょうどワタベ氏もいることですし、今ここで言っておきましょう」

「お、ハクア殿も何か策が?」


 チハヤに名前を出されたことでサトルが身を乗り出す。


「ワタベ氏の推測ではベジミール社はいつ、どう動くと思いますか?」

「あー、多分、来週には動きがあるんじゃないですかね。実は少し気になる情報が入ってきていまして」

「ほう」

「調味用添加物の出荷量を絞る、とのこと。確実に『食事処 げん』に圧力をかける気ですね」


 ってか、うちイベント企画会社なんですけどと言いつつもサトルは聞き齧った情報をチハヤに打ち明ける。


「なるほど、確かに調味用添加物を大量に使うのは『食事処 げん』くらいのものですからね。売れないから撤退する、というのは理に適っている」

「この間の出展企業からの情報ですよ。次の展示会企画は企業には告知していますし、一部の企業は『食事処 げん』の再出展を楽しみにしてますので」


 さて、どうします? とサトルがチハヤを見る。


「そうですね——ヤマノベさん、調味用添加物の在庫は?」

「まだたっぷりありますよ。供給が絶たれても数ヶ月は、多分」

「しかし、その数ヶ月で次の安定供給ルートを確保しないとまずいですね」


 ふむ、とチハヤが顎に手をやる。


「調味用添加物の消費期限は確か一年。今のうちにかき集められるだけかき集めればフードトナーの供給が絶たれない限り一年は存続できますね」

「その一年でベジミール社との決着をつけろ、と」


 真剣な顔で源二もチハヤを見ると、チハヤは笑顔で頷いてみせた。


「ヤマノベさんにはなるべく心配のないように店を回していただきたいので。ここは我々に任せてもらってもいいですかな?」

「そう言っていただけるのなら、俺は白鴉組にうまい飯を提供するだけです」

「では、任されましょう」


 そう言い、チハヤはサトルとヨシロウに視線を投げた。


「ワタベ殿とイナバ、お二人の力もお借りしますよ」

『もちろん』


 源二のためなら多少の無茶くらいはする、その覚悟でサトルとヨシロウが大きく頷く。


「まずは現時点で流通している調味用添加物の確保を——滅多に売れないものとはいえ、単品ででも愛用している家庭はあります。その家庭をターゲットにした転売ヤーが動く前に全てこちらで確保しますよ」

「ハクア殿、こっちの動きを察知した転売ヤーは潰していいっすかね?」

「ええ、転売ヤーは『利』の者。徹底的に潰してやりなさい」


 チハヤとヨシロウのやり取りに、源二は「転売ヤーってこの時代にもいるんだ……」とズレたことを考えてしまう。


 いずれにせよ、この店の原動力ともなる調味用添加物の確保は急務だ。それをヨシロウ、サトル、そして白鴉組がバックアップしてくれるならこれ以上に心強いものはない。


 今はただ座して待つだけだ、と思いつつ、源二はフードプリンタから次の料理を取り出した。


「はい、唐揚げです!」

『おおー!!』


 次々と出てくる唐揚げの皿に、その場にいた一同は一斉に歓声を上げた。

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