ローハンが気がつくと、そこは見たこともない場所だった。
柔らかな光に包まれた空間。
透き通る青空の下には、果てしなく続く白い雲が広がっている。
風はなく、耳を澄ませば遠くから穏やかな調べが聞こえるようだった。
「ここは…どこだ?」
ローハンは体を起こし、周囲を見渡した。
しかし、地面の感触もなく、空気に漂うような不思議な感覚だ。
目の前に広がる景色は美しい。
それなのに、心がどこかザワザワしていて落ち着かない。
彼はふと、地球での最後の記憶を思い出した。
「・・・死んだのか、俺は。」
だが、自分の命で地球が救われたのなら、それでいい。
そう思えた。
ローハンは立ち上がり、雲の上を歩き始めた。
どこに行けばいいのかはわからない。
ただ、足が自然に動いた。
しばらくして、彼の視界に人影が現れた。
遠くに立つ一人の男。
ローハンはその姿に思わず目を凝らす。
その男の顔は、まるで自分の鏡像のようだった。
「誰だ....?」
距離を縮めるにつれ、男の表情がはっきり見える。
驚くべきことに、その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「やあ、兄さん。」
その声を聞いた瞬間、ローハンの足が止まった。
「兄さん?」
男は頷いた。
「そうだよ。僕だ、ハンスだ」
その名前を聞いた途端、ローハンの胸に鋭い痛みが走る。
忘れていたはずの記憶が、氷のように冷たい形で心に突き刺さった。
「ハンス…」
ローハンは呟いた。
その名は、彼の過去の一部だった。
いや、正確には、忘れ去ろうと心の中に必死で封じ込めていたものだった。
「俺に…弟がいたのか…?」
その言葉を口にした瞬間、幼い頃の記憶が洪水のように押し寄せる。
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ハンスはすべてにおいて自分よりも優っていた。
勉強も運動も、そして両親の愛情さえも。
ローハンがどれだけ努力しても、ハンスには敵わなかった。
その結果、ローハンの心にはいつしか嫉妬が芽生え、そしてそれが憎しみに変わっていった。
──ある日のことだった。
ローハンは弟を崖際の遊歩道へ誘い、ふとした瞬間に足を滑らせたように見せかけた。
弟はそのまま崖下へと消えていった....。
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その記憶は彼の中で忘却の彼方に押し込められていた。
両親は弟を失った悲しみの中、ローハンを以前よりも愛するようになった。
ローハン自身も、弟を殺めた罪悪感を無意識に封印して生きてきたのだ。
「・・・ハンス….。」
ローハンの目から涙が溢れた。
「俺は…お前を…」
「殺したんだろう?」
穏やかに言うハンスの声は、まるでローハンの心を見透かしているかのようだった。
ローハンは肩を震わせた。
「俺は最低だ…。嫉妬心で…俺が、お前を…」
ハンスはゆっくりと首を振った。
「いいんだよ、兄さん」
「いいわけがない!俺は…!」
ハンスはローハンの肩に手を置き、優しく微笑んだ。
「兄さんは、自分のことで精一杯だったんだ。それは仕方がないよ。僕を憎んだのも、僕を殺したのも…兄さんが悪い人だからじゃない。ただ、不器用だっただけなんだ。」
その言葉に、ローハンは息を呑んだ。
「僕は兄さんを恨んでなんかいないよ。むしろ、兄さんにまたここで会えて嬉しい。」
「ハンス…」
ローハンは顔を両手で覆った。
罪悪感と解放感が同時に押し寄せ、涙が止まらなかった。
「ありがとう…ありがとう、ハンス…」
二人はしばらくの間、雲の上で寄り添うように立っていた。
天国の風が、彼らの間に流れるわだかまりを優しく洗い流していくようだった。
そして、ローハンはそっと目を閉じた。
この場所で、ようやく自分が許されたのだと、初めて感じることができた。
──彼は目を覚ました。
そこは、いつものレジスタンスアジトだった....。