ガルム帝国全土が熱気に包まれていた。
創立記念式典の賑わいは、城内外を問わず人々の歓声と喧騒で満ちている。
その裏で、アストリアたちは変装を施し、帝国の闘技場へと潜入していた。
彼らの目的はただ一つ──捕らえられた仲間、ハウロンの救出である。
「急げ、警備が手薄なのは今だけだ!」
アストリアが前を行きながら仲間達に呼びかける。
闇夜に紛れて牢獄の奥深くへと進む彼らは、途中何体もの魔獣を倒しながら、ついに最深部の牢へと辿り着いた。
しかし、そこにハウロンの姿はなかった。
牢の前に立つ魔獣の看守が、不敵な笑みを浮かべて待ち構えている。
「遅かったな。奴ならもう闘技場に送られている頃だよ。お前らの仲間が実験台にされるところを見届けるがいい!」
看守を打ち倒したアストリア達は、急いで闘技場へ向かった。
その頃、闘技場では捕らえられていた人間達が牢屋から解放され、闘技場の中央に集められていた。
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闘技場の高座には、ミノタウロス族の帝王ゾグナスが威風堂々と座り、その隣にはノルヴィア王国のレイグラス・ノルヴィアが来賓として鎮座していた。
その闘技場の中央に立つのは、炎を纏った弓を手に持つマチルダ。
だが、彼女の目には理性の光はなく、その身体は完全に“怒の魂”に支配されていた。
「さあ、マチルダよ、やれ!」
ゾグナスの冷酷な声が闘技場全体に響き渡る。
マチルダは無言のまま弓を構え、矢を放とうとしたその瞬間、一人の男がふらつきながら彼女に向かって歩み寄ってきた。
「マ……チ……ル……ダ……」
それは、ハウロンだった。
ボロボロになった身体を引きずりながら、彼は必死にマチルダの元へ近づいていく。
「何故だ……なぜ身体が動かない……!」
"怒の魂”が動揺した声を上げる。
ハウロンはマチルダの目の前に辿り着くと、涙をこぼしながらかすかに微笑む。
そして、彼女の短剣をそっと抜き取り、自らの胸に突き刺し自害した。
その瞬間、彼女の脳裏をハウロンとの幸せな日々が駆け巡る。
と同時に、眠っていたマチルダの意識が回復した。
「ハウロンッ!」
マチルダは彼の名を叫びながら、膝の上で安らかに眠る彼の身体を抱きかかえた。
「ハウロン...ごめんなさい...ごめんなさい...」
何度も謝罪の言葉を繰り返す彼女の目から、大粒の涙が止めどなく流れ落ちる。
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レイグラスはゾグナスに向かって冷ややかに言う。
「話が違うではないか。奴は完全に実戦投入可能なのではないのか?」
高座に座るゾグナスは苛立ち、声を荒げた。
「どうした、“怒の魂”!小娘の意識を完全に封じ込めろ!!」
その言葉を聞いたマチルダはゾグナスを一瞥する。
彼女の眼前にあの日、彼女の両親を痛ぶりながら殺したミノタウロス──ゾグナスの冷酷な目つきが鮮明に映し出された。
「お前だけは絶対に許さない!!」
彼女は弓を引く。
無意識のうちに放たれた矢は、燃え上がりながらゾクナスに向かって飛んでいった。
しかし、それを受けたのはゾクナスの手のひら。
彼はまるで何も無かったかのようにその矢を受け止め、空中で弾き飛ばした。
「何故、どうして──!」
彼はその姿勢を崩さず、ただ嘲笑いながら鎮座している。
次の瞬間、彼の手のひらから無数の魔力が放たれる。
矢が一斉に跳ね返され、マチルダの胸元に命中した。
爆風が巻き起こり、彼女は吹き飛ばされて地面に転がる。
「……うっ……」
激痛が身体中を走る。
胸に激しい衝撃を受けたが、彼女はすぐに起き上がると、血まみれの手で矢を再び引き絞る。
その目に宿るのは、ただ嘆き、憎しみだけだった。
「死ねェ......死ねェ!」
嘆きに満ちた叫びと共に、再び炎の矢がゾクナスに向かって放たれる。
だが、今回もまた、矢はゾクナスの魔力によって跳ね返され、マチルダに返ってくる。
その矢が、彼女の肩を貫き、再び地面に叩きつけられる。
「どうして、どうして──!」
彼女の中で怒りが、憎しみが、さらに膨れ上がる。
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その頃、アストリア達は闘技場の近くまでたどり着いていた。
しかし、それを阻む者がいた。レイグラスだ。
「マチルダは今や真の力が覚醒しようとしている、立派な生物兵器だ。邪魔をするな」
彼は冷徹に言う。
「マチルダを生物兵器に?ふざけるな!」
アストリア、ローハンは武器を構える。
「アストリア、ここは私に任せてくれ」
ギルバートが言う。
「ギルバート、僕もあなたに魔法の手解きを受けてきました。加勢させてください」
セラフィスも続く。
「わかった、ここは私とセラフィスで食い止めるからお前達は闘技場へ急げ!」
ギルバートは杖を構えながら叫ぶ。
アストリアとローハンは闘技場へ向かって一直線に走りようやく闘技場にたどり着いた。
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その頃、マチルダは必死にゾグナスに一矢報いようとしていたが、既にかなりのダメージを負ってしまっていた。
「やめろ、マチルダ!これ以上やったら……君の命が危ない!」
アストリアは必死に叫ぶが、彼の言葉が彼女の耳に届くことはなかった。
彼女は再び矢を引く。
"怒の魂"は、既に死病のごとくその全身を蝕んでいた。
その存在は、誰もが最も恐れていたものでもあった。
(そうだ……もっとだ!もっと怒れ!お前の怒り、憎しみこそが、俺を満たす....!)
その声が、マチルダの心の中でこだました。
跳ね返された矢は、今度は彼女の足元で爆発し、マチルダの体が吹き飛ばされた。
ボロボロになった彼女が地面に転がり、息も絶え絶えに呻いた。
だが、それでもマチルダは手を止めなかった。
「この野郎!!!」
アストリアとローハンはゾグナスに斬りかかるが、簡単に跳ね返される。
今の彼女は、まるで戦闘マシーンのように倒れては立ち上がり、矢を放ち続ける。
"怒の魂"は、彼女の中で満ち足りた快楽に溺れているかのように乱舞していた。
怒りが彼女を死へと導くことなど、少しも気にかけてなどいなかった。