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第12話

「やっと来たか」


 ぶっきらぼうな口調と共に楠葉を見た貫は、一瞬目を見開いたが、すぐに不機嫌そうにそっぽを向いた。その時に、ボソっと「結構いいじゃねぇか」と呟いたのを聞き逃さなかった楠葉は、すんっと下がった気持ちが一気に持ち上がり、頬が火照るのを感じていた。


(なんだかんだで、異性に褒められるのも初めてじゃないかな、私)


 仕事に熱心になりすぎたがために、ナンパや合コンに誘われるといった経験がない楠葉にとって、さりげない誉め言葉というものは中々に胸に刺さるものがあった。そして貫自身が美形なこともあるせいか、彼の周りにキラキラとしたオーラが見え始めた楠葉は、自分が妖怪である貫を異性としてかなり意識し始めていることに気づき、慌てて首を横に振った。


「ほらほら、立ってないで座って座って」

「今日の主役はあんたら夫婦なんだからね!」

「わ、わ!」


 楠葉が自分の気持ちに整理をつけれるような時間は与えられる暇もなく、楠葉は親戚たちに追いやられる形で貫と隣同士になるよう座らされた。ぎゅ、と押し込むように座らされたため肩が触れ合い、それだけで全身が熱くなりそうな自分を抑えられない楠葉は少しでも接近を避けようと座る位置をずらそうとするが、篠宮家がどんどん2人を囲み身動きが取れないよう中心の奥の席へと追いやってきたため、くっつくように座ることは避けられなかった。さらに、楠葉が席をついたことで「待ってました」とばかりにもうお酒が入っている楠葉の父が立ち上がり「娘の結婚にかんぱーい!」という若干呂律の回っていない掛け声と共に宴は開催され、貫の隣からは逃れられないと楠葉は観念することにした。

 改めて楠葉が広いテーブルの上を見回すと、この世の高級食品全てが揃っているのではないかという豪華さで、普段見たことのない景色に楠葉はこの宴にいくらお金がかけられたのだろうかとここで初めて現実的なものが脳裏をよぎり、面食らっていた。


「お祝いの品がそれはそれはたくさんあってねぇ!今までの楠葉を見てきたお客様からたくさんのお祝いが届いているのよぉ」


 楠葉の驚く姿に嬉しそうに答える楠葉の母。


(それって一部お供え物も入っているよね?)


 という言葉が喉から出かかりそうな楠葉であったが、なんとか苦笑いで茶を濁すことにした。

 隣では、楠葉が「甘いものが食べたいの」と注文をした際に甘いおはぎや色とりどりのお饅頭の数々が目の前に並べられたことにより、すっかりと機嫌を直した貫が目を輝かせ、夢中に頬張り始めていた。

 実は楠葉の視線から、貫の頭に狸の耳、お尻からは狸の尻尾がぴこぴこひょこひょこと嬉しそうに忙しなく動き続けているのが見えているのだが、どうやらこれも糸と同じく普通の人間には見えないようで、誰もそんな貫を気にしていない。

 成人男性が甘いものに夢中になっている、という風にしか映っていないのだろう。

 ただ、貫は人間の中でも美形の部類に入る美貌。

 そのため、貫が機嫌良さそうに食べる様子に、楠葉の夫とわかっていても視線を奪われてしまうようで、親戚の女性たちは皆見たことのないような呆けた顔で貫を見つめる様子が何度かあった。

 実際、隣にいる楠葉も貫を見ていると、尻尾と耳のせいで余計に見つめてしまい――


(だめだめ、このままじゃまたあの幻惑にかかる)


 実際、あの結婚式に強引に持ち込まれたのは貫を『美しい』と感じた瞬間だった。

 恐らく幻惑はどれだけ貫に魅了されたかに関係しているということだろう。


(篠宮家の巫女として、しっかりしなきゃ)


 そう思って首を横に振っていると、赤ら顔の叔父たちが貫に叫んだ。


「おいおい、あんちゃん酒は飲まんのか!甘いもんばっか食ってても立派な男にゃなれんぞ!」


 その声に同調するように、「ああそうだそうだ」「しっかり食うもん食わんと立派な子種は作れん」「今日も楠葉ちゃんとよろしくやるんだろ!?」「そうだそうだ、たんと肉食え、肉!」「精気養うための酒も忘れるなぁ!」などと下品な言葉も交えて囃し立て始める男連中に、楠葉は青ざめた。

 貫の耳が、それらの言葉を聞いた瞬間。

 ぴくっとひくついた刹那、黒い煙と共に尻尾と一緒に消え去り、甘いものに夢中になって輝いていた黒い瞳がすっと細められ、鋭いものに変化したのだ。加えて、貫の周りを漂っていた白い糸が一瞬でどす黒くなり、ピンと張りつめた冷たい糸が楠葉の頬をかすめた。

 もし本物の糸であったら、ピアノ線のように鋭い刃となっていただろう、と思えるほどの鋭さは今までに見たことのない糸の形であり、改めて貫が『初代の巫女の手に負えなかった化け狸』ということを印象付けるのには十分すぎる黒い気配と言い知れない冷たい何かを纏っていた。


(まずい……!)


 怒っている、と判断するには十分な様子に、楠葉は瞬時に立ち上がった。


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