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第13話


 立ち上がった楠葉はまず、右手を貫の頭上に伸ばし、黒い糸たちを手で掴めるだけ掴んだ。

 黒い糸たちは触れた瞬間、ピリ、とした痛みを掌に与えてくるが、消えろ、と念じながら力強く掴んで楠葉は引っ張った。その反動で頭にかかっていたレースがはらりと落ちて貫と楠葉の間に落ちたがそんなことを気にする余裕など彼女にはない。


(黒い糸は立ち込めるだけで、不幸を呼ぶ)


 曾祖母から何度も教わったことだ。

 宴という華々しい席で起こる不幸など、想像もしたくない。だからこそ、黒い糸は祓えるなら祓ってしまいたいというのが巫女として、楠葉としての本能でもあった。

 急に立ち上がった楠葉に親戚たちは不思議そうに視線を向けてきたが、それと同時に黒くなった糸たちは楠葉が引っ張った分はすぅっと黒い粒子になり、離散し、貫の周りから消えた。

 刹那、貫の瞳が怒りを帯びた鋭さから、驚きを帯びて丸くなり楠葉の方へ向けられた。

 その瞳を見て、楠葉は妙な疲労感で一瞬の眩暈を感じながらも笑顔を作り、囃し立てていた叔父の方たちを向いた。


「あ、おじちゃんのコップ何も入ってないよ!ほらほら、どんどん飲もう!折角だから私がついであげるね。もうこういう機会ないかもしれないんだから」


 まだ右手がヒリヒリと痛かったが、見た目は何ともなっていないので痛みを我慢しながら傍の酒瓶を掴んだ楠葉は、動きやすい着物ドレスをふわりと器用にたくし上げながら机を回り込み、囃し立てていた男連中たちの輪へと無理やり歩み寄った。

 頭にかかっていたレースは楠葉が座っていた場所に静かに落ちてしまっていて化粧を施した顔が露になっていたが、それを気にしなかった。

 なので楠葉は、驚いた表情のまま動揺を隠せない貫が、そのレースをそっと拾いあげて凝視する様子に気づくことはなかった。


「おー、楠葉ちゃんが主役なのに悪いなぁ」


 楠葉の立ち上がった理由が酒を注ぐことだと察した篠宮家たちは、また各々で食事を楽しみ始めた。


「にしても楠葉ちゃん、めかしこんだらえらい別嬪さんやないか」

「おじさんも元気だったら味見したいところだなぁ」

「髪の毛もよぅ見たらつやつやでキレイやのぉ」

「こらこら、おじさんたち。俺の娘に発情なんてすんなよ」


 男連中の輪に入ったことは悪手だったかもしれない、と楠葉が思うも、何とか実の父親が軽く諫めてくれたので内心楠葉はホッと胸をなでおろす。

 本来、篠宮家の家系は女性しか巫女になれないため、女性の権力が強いとされているが、それは曾祖母が居なくなった時点で立場は逆転していた。直系の血を継ぐのに生まれたのが男ばかりであったため、男の割合が高く、殆どが嫁入りという立場だ。嫁姑問題といったことはないものの、巫女として生まれた楠葉以外に「楠」の名前を持つ者はいない。そのため、男が7割を占めているという男家系となってしまった篠宮家は、男たちが自由に色々な仕事をこなしているお陰で神社の資金や宣伝、近所付き合いなどのややこしい部分はスムーズに行われているといっても過言ではない。むしろ、そのおかげで葛葉神社は成り立っている、という部分は大きいだろう。それゆえに、彼らのお陰で女性陣が神社に関することや家事などに専念できるため、そして男たちばかりが篠宮家直系の血を持つということもありどうしても男たちが大きな顔をする家となってしまったのだ。

 とはいえ、楠葉が糸をコントロールできるようになってからは黒い糸を祓うことで本当に悪い人はいなかったのだが、こういった人が集まる場では誰しもが気が大きくなるもの。

 そして、今まで抑えられていたものが解き放たれてしまうというものが、酒の力でもある。

 それだけでなく、先ほど貫の怒気により黒い糸が一瞬充満したことで。


 男の悪い部分、昔ながらの古い慣習が、表に出てしまった。


 だから、これまで楠葉と良好な親戚関係を築いていたはずの青年が1人、楠葉の横に立ち突然肩に手を置いたのだ。それまで突然触れられたことなどなかった楠葉は驚きのあまりすぐに反応できず、かといって宴の場であるがゆえに無理に振り払うことが出来ず、急な情報量の多さといつもとは違う雰囲気にのまれてしまい固まってしまった。


「でも、もしこのまま見つからなかったらさ。従兄弟の俺が夫だった可能性もあるんだよね?6才も離れているから最初は嫌だと思っていたけど、今の楠葉姉さんなら、いけるなぁ」


 そう言って、今まで楠葉に向けたことのない欲に潤んだ瞳を向けた青年に、楠葉は凍り付く。

 彼の腕と腰に、黒い糸の束が、禍々しい黒煙を纏って絡みついているのを目の当たりにしてしまったからだ。




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